二つの炎





「っ……!!アスナァァァァ!!!!!」




燃え上がる炎に包まれた孤児院に向かって、頼む…頼むから何か反応を返してくれと願ったジンのその叫びは悲しく辺りに響き渡る。

それが数分…いや、数秒経っても何の音も返ってくることはなく、自分の目の前にいるバクフーンに対してなのか…それとも不甲斐なさ過ぎる自分に対するものなのか。
ただ、ただ勢いよくやり場のない怒りがまるで炎のように燃え盛って体全身を覆ってしまうような感覚を覚えたジンは、無我夢中で手持ちのポケモン達を全匹ボールから解き放つと、バチバチと焼ききれてしまうギリギリの思考回路を無理矢理繋ぎ止めて指示を出した。




「ッ…!!ウォーグルは飛んで二階の窓からガキを連れ出せ!バシャーモ達は俺が戻るまで何がなんでもバクフーンを押さえ込んでろ!!!」




炎が燃え盛る前に確認した二階の窓は小さかった。
恐らくあの大きさだとアスナを窓から救い出すのは不可能…ならばまずはと幼い故にまだ通れる筈の子供の救助をウォーグルに頼み、そして未だに怒り狂うバクフーンを自分が戻るまでに押さえ込めと残りのポケモン達に指示を出した瞬間、ジンはバシャーモ達の返事を聞く暇もなく彼らに背を向けて走り出す。




「?!あんた!!いくら何でも無茶だよ!!大人しく消防隊に任せ…」


「んな暇あるわけねぇだろッ!!……!貸せ!!」


「えっ?うわっ?!」




ジンが走って向かっていったのは孤児院の裏口だった。
そしてそんなジンが思いっきりドアを蹴り飛ばした姿を離れた場所から見たオバナが半ば叫ぶように止めるが…それをジンは一瞬で否定すると、消防隊が来るまでの間にバケツリレーをしようと考えたらしい職員から水の入ったバケツを奪い、豪快に水を頭から被ると一目散に孤児院の中へと消えていく。




「っ、ジン!!あんたまで火の中で死ぬんじゃないよーッ!!」




ジンから掛けてもらったライダースを大切そうに胸に抱いて…涙を溜めながら叫んだオバナの声をちゃんとその耳に入れてから。














「っ、くそ…!!全然足が抜けない…っ!」





一方…炎に包まれている孤児院の二階の部屋で身動きが取れないままのアスナは何とか本棚を足の上から退けようともがいている最中だった。
しかし…ただでさえ呼吸もままならない煙の中でそんな事を続けていればあっという間に体力なんてものは尽きてしまうと判断したアスナは、何処か諦めたかのように動きを止めてうつ伏せのまま自分の腕へと顔を埋める。




「……あはは……バチ……当たったのかな…?」




叫び返した、ちゃんと。
先程ウォーグルが一緒にいた男の子を連れて行ってくれた窓から聞こえた…大好きなジンが自分の名前を叫んでくれた、その声に。

しかしこんなゴウゴウと凄まじく燃える炎の中で、ガラガラと周りの木材が崩れていく中で、煙で掠れた声なんて届くわけがない。

いずれもう…こんな状態ではたすかることなんて難しいのは、認めたくなくても…分かりたくなくても分かってしまう。
きっとバチが当たったんだ、サキさんからジンを取って、純粋で心優しい…無邪気な彼女に対して少しでも良くない感情を持ってしまったから。




「………死ぬって、……こんな、………孤独なんだな……げほっ、……こんな…怖い思い…して、それでも……サキさんは、ジンのこと……想ってたのに……あたしに、託して…くれたのに……ごほっ、ごほっ!」




自分なら、嫌だ。
例え死んでしまったとしても…もうあの赤い瞳に自分が映らなくても、会話が出来なくても、触れられなくても。
ジンが他の誰かと幸せになるだなんて…きっと…





(ありがとう…アスナさん)





自分なら、あんな事を言えないだろう、あんな笑顔を向けられないだろう。
ずっと分からないつもりでいた、分かるつもりもなかった。
でも今こうして死と隣り合わせになって、大好きなジンとさよならをするんだという事実を突きつけられた今なら、自分がしようとしていた事の本心が浮き彫りになってしまう。




「……そっ…か。…あたし…アゲハントのこと……罪滅ぼし、だと思ったんだ……ははっ、最低だなぁ……」





最低だと、そうアスナが自分に言ったのは…アゲハントを自分の気持ちを軽くさせる為に利用しようとした事だけではなかった。
バチが当たったから、きっと今こうなっているのに、それなのに自分は「嫌だ」と素直に思ってしまうから。

ジンとさよならは嫌だ。
シアナとさよならは嫌だ。
お母さんも、お父さんも…じっちゃんも…ウォーグルが助けてくれた男の子に頼んで、何とかベルトから外せた自分のポケモン達とも。

さよならするなんて嫌だ…もう一緒にいられないだなんて嫌だ。

泣いたり笑ったり、怒ったり…そんな当たり前の日々を手放すだなんて、嫌だ、怖い、死にたくない。





「……ッごほごほっ、!!……あぁ……でも、もう…よく、わかんない、や……」





薄れゆく意識の中で…それに比例して何故か「怖い」「嫌だ」という思いは強まるばかりで。
ぐるぐるぐるぐると…まるで…うずくまっている自分を包んでいるこの黒く苦しい煙のように、黒い恐怖の感情が溢れて止まらなくなったアスナは、ぽろぽろと大粒の涙をいくつも落とす。

しかしそんな小さな…些細な水分でさえも一瞬で蒸発してしまうのがやけにリアルで…あぁ、本当にもう駄目なんだと生きることを諦めてしまったアスナが目を閉じてしまった、その時だった。




「……え………、あ…れ……?」




ぶわりと…何処から飛んできたのかも分からない突風が部屋中に満ち溢れ、苦しかった呼吸が一瞬で楽になったのは。

なんで、どうして?
そんな疑問が真っ暗な思考回路を綺麗に掃除してくれたお陰で、意識がハッキリとしたアスナが顔を上げれば、そこには…あれだけ自分を死に導くと言わんばかりに四方八方を塞いで燃え上がっていた炎が、道を開けるかのように部屋の隅へと追いやられている光景。

こんな常識なのに、苦しくない。
こんな常識なのに、熱くもない。
寧ろ…何故だか本棚と床に挟まれている足に力が湧いてくるような感覚さえあって、半信半疑でもがいてみれば、案の定アスナの足はゆるゆると本棚から抜け出していた。




「………え……抜けた……!あれだけビクともしなかったの……………に………?……って、わっ!?」




すんなりと抜け出せた事が不思議で、体に力が入らない訳ではなく、呆気に取られてへたりこんでしまったアスナだったのだが、すると今度はそんなアスナに「立て」と言っているかのように再度先程の突風が巻き起こる。


炎の中で突風が吹くだなんて有り得ないが、その風が熱風でないことも有り得ない、と。
凄まじい風に驚いてぎゅっと目を瞑ってしまっていたアスナがそんな事を考え、確認の為に目を開けた…その時、二つの「ある事」が立て続けに起きた。




「……………………へ……?」




一つは…



(うるせぇ。……懐かしい…か。どうだろうな…別に懐かしいと思う程住んでた訳でもねぇけど……まぁお陰さんで人生の転機にはなったな)



目の前で。
人生の転機になったと、そう言った彼のあの言葉と表情をアスナの脳内に蘇らせた…神聖だと素直に目を奪われてしまった、何かの影が一瞬だけ見えたことと。




そして、二つ目は…




「ッ、はぁ……ッ!はぁっ、!!っ、はっ、」




いつもクールで、何事にも基本無頓着で。
口は悪いし意地悪だし、その癖に容姿は世界一かっこよくて、運動神経も抜群で頭もキレる。

バトルが強くて、誰よりも「炎」が似合う…大好きな人が。




「はっ、はぁっ、…、!アスナ……ッ!!アス、げほっ、…はっ、悪…かった…!!」


「…ふ…………うあ、……!っ、こわ、か…っ!っ…!ジン、ジン…っ!怖かった…こわ、怖かっ…!うわぁああん!!」




咳き込む程に息を切らせて、呼吸するよりも言葉を発して。
酸素を求めてバクバクと暴れ回る心臓そのものに押し付けられているかと思うくらい…強く抱き締めてくれていたこと。


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