落ち着かせるには




「……あ。次の会議って何だっけか…」


「カゲツ…次の会議はジムリーダー適正テストについてのことだろう?僕達の休憩後には結果が出ているから、その結果次第で会議の内容も変わるんだ。誰が誰の指導役になるか決めないといけないし…まぁ決めると言っても挙手制なんだけど…」


「あー…!そういえばもうそんな時期か!あれって年に一回だよな?まぁあれで赤点とるなんてホウエンジムリーダーだと過去に成り立てのトウキが一度きりだったし…別に俺達が出る心配はないんじゃねぇのか?」


「…まぁ、それもそうか…トウキ以来誰も赤点はとっていないし、別に心配する程じゃ……って、ジン、聞いてる?」


「聞いてねぇ」





ホウエン地方にあるポケモンリーグホウエン支部。
その建物内では関係者しか入れない内部の廊下を横に並んで歩いていたダイゴとカゲツ、そしてジンの姿があった。
コツコツと靴音を鳴らしながら向かっている場所はその階にある食堂。

先程ダイゴが言った通りに、どうやら今日はジムリーダー適正テストというものの結果発表の日だったようだ。
そのテストがどういうものかというと、簡単な話、年に一度本部から派遣された試験官のトレーナーがジムリーダーとして相応しいかどうか見定める、というもの。
そこで赤点をとってしまったものはその地方の四天王が指導役となって改善策を共に見つけだすという…云わば地方向上イベントというわけだ。





「……あれ?丁度今終わったみたいだね。皆出てきた」


「お!………ん?なんか様子が可笑しくねぇか?」





食堂に向かって真っ直ぐ進んでいた一行が途中の十字路に出れば、タイミングが良かったのかとある部屋からぞろぞろと何人かのジムリーダー達が出てくる場面に出くわす。
その様子を見て、何処か様子が可笑しいと首を傾げたカゲツの言葉が耳に入ったジンは歩きながら操作していたポケフォンから視線をそちらに向けた。





「…あ。ダイゴさん達…どうも」


「やぁトウキ。…何かあったのかい?」


「あー…っと…ですね…それが、そのー…赤点とっちゃいまして!」


「はぁ?!お前またかよ?!ゲンジさんから拳骨食らうぞ?!」


「いやいやそれは勘弁!!って!いや、僕じゃない!僕じゃなくて!!そ、その…!」





廊下で固まっていたジムリーダー達の外側にいたトウキが一番初めにダイゴ達に気づいて挨拶をするものの、その表情はとても複雑そうだったこと、そして何よりその口ごもっていた口から「赤点」という単語が出たことで呆れたようにカゲツが声をあげる。
どうやらカゲツの口ぶりからみて、トウキが一度赤点をとった時の指導役はゲンジだったのだろう。
しかしトウキはその事に関して両手をぶんぶんと振って自分じゃないと否定すると、再度気まずそうに視線を逸らしてしまった。

そんな様子に不思議に思った面々がトウキの後ろで固まっている連中に目を向ければ、心配そうにしているツツジとナギの間から見知った色が顔を出したことで、今まで怠そうにしていたジンの表情みるみるうちに違うものへと変わる。





「あ…あははー…!あたしが赤点とっちゃいまして!」


「ア…アスナ?とっちゃったの…?」


「はい!とっちゃいました!いやーあたしの所にきた試験官の人凄い怖い人で有名だったらしいんですよ!お陰で緊張してボロ負けしちゃって!あー…まぁでもそれは言い訳ですよね!やっぱりまだまだってことだなーあたし!!」


「……」





唖然としてしまっているダイゴ達の前で、あははー!と笑いながらやっちゃいました!と明るく振舞っているアスナは目の前にいるジンに一切目を向けない。
その後ろでアスナ以外のジムリーダー達が複雑そうにしている所を見るあたり、どうやら赤点をとってしまったのはアスナ1人なのだろう。

別に赤点をとったからといってジムリーダーの権利が剥奪されるという訳では無いのだが、本人からしたら相当に辛いことなのは安易に予想出来る。
それが例え新人ジムリーダーで今回が初めての経験だとしても、いや、初めてだからこそ今回のことはかなり堪えているはずなのに。
それでも明るく振る舞い続けるアスナを見ていられなかったダイゴはちらりと隣にいるジンへと目を向けた。





「…ジン…?」


「…?おいジン…どうした?」





ダイゴがジンへと目を向ければ、そこにはいつの間にかポケフォンをポケットに仕舞ったジンがただ黙ってアスナを見ている姿だった。
呆れている様子もなく、怒っている様子でもなく。
まるでアスナからの言葉を待っているかのように見えたダイゴが思わずジンの名前を呼べば、それに釣られてカゲツもその様子を視界に入れて疑問を含めて名前を呼ぶ。

そして…そんなダイゴとカゲツの声に、ぴくりと一瞬反応して笑顔が曇ってしまったアスナを見たジンは静かにため息をつくと、スタスタと歩いてアスナの前に立つ。
ジンが目の前まで来ても尚その顔を見れないアスナは思わず下を向いて身構えてしまうが、意外なことにもジンが口を開いたのは自身の後ろにいるダイゴにだった。





「おいダイゴ」


「?なんだい?」


「挙手制だったよな」


「!…まぁそうだね。それにお前も、補欠と言ってもここの四天王に何ら変わりはないよ」





ジンの言葉に、心の中で「聞いていたんじゃないか」と呆れてしまうものの、その言葉の意味に直ぐに気づいて安心したように笑ったダイゴは質問の答えを伝える。
そんな2人の様子を見ても未だに理解が出来ず、今はどういう状況なんだと黙って見守っていた面々を驚かせたのは、その後に続いたジンの言葉だった。






「おいアスナ」


「っ…?」


「お前の指導役とやら、俺がやってやる」


「………っ、…ほ、…ほん…と…?」


「…こんな時に嘘言うわけねぇだろ。…おいダイゴ、カゲツ。後は任せた」


「はいはい」


「は?あ、え?どういう状況……?と、取り敢えず、おう!任された!」





自分が指導役をやると言った瞬間、明らかに強がっていたアスナの瞳がゆらりと揺れたのに気づいたジンは即座にアスナの手を取ると、ダイゴとカゲツに簡潔に声を掛けて気持ち早足でその場を後にする。

残された面々がぽかーん…としてしまっているのをどうするべきかと1人で苦笑いしていたダイゴだったが、その問題はカゲツからの質問で無事に解決する事になったようだ。





「え…っと、あの2人って…もしかしてあれ?」


「…あいつ、やっぱり言ってなかったのか…」


「おう。俺は何も聞い………………は?!マジで?!」


「まぁ、マジだね」





もしかして、あれ?と、小指をちょんと立てて聞いてくるカゲツに些か古いなと思いながらもそれを肯定したダイゴはこの後暫くカゲツやジムリーダーの面々に質問攻めにされて貴重な昼休憩が無くなってしまう羽目になるのだが、それはこの際仕方の無いことかもしれない。























「ったくお前は…あの場で素直に声を掛けてくりゃいいもんを」


「だ、だっ……てぇ!!情けなくて言えるわけないじゃん!大体何で今日に限ってちゃんと出勤してんの…?!絶対居ないかと、思ってたぁ…っ!!」


「ジジイに引っ張り出されたんだよ。ったく…ダイゴの奴…寄りにもよってあのジジイを四天王の世話係だか何だかに引き抜きやがって…お陰でサボるにサボれねぇっつの。…つか、んな事どうでもいいから早く泣き止めよお前…」


「うわぁあんキンモクさん仕事熱心…!!てか無理…っ、泣き止めない…っ!情けなくて…!あた、あたし…!こんなんで、シアナとの約束叶えられるかなぁ…?」


「……」


「ジン、にも!呆れられてたらどうしよ、って!思った…から!!…あたし、よわ、よわ…すぎ…っ!何であたしこんなに弱いの…!何で駄目なの…!わか、分かんないよぉ…っ!!」


「……はぁ、分かった分かった、もう好きなだけ泣け。ここ防音だから」





ダイゴがあの場にいた全員から質問攻めにあっているのだろう時に。
ジンがアスナを連れてきていた場所はホウエン支部内にあるジン専用の私室だった。
普段あまり使用していないのもあってか、自宅よりも遥かに物が少ないその部屋は、皮肉なことにアスナの泣き声が良く響く。

ワインレッドのソファに座らされ、ジン自ら自分の指導役を買ってもらえたこと、何より大好きなジンしか今この場に居ないことが余程彼女を安心させたのだろう。
先程は強がってけらけらと笑っていたのに、今では素直にわんわんと涙を零して泣いてしまっている。

その目の前にしゃがんでアスナが自分で拭いきれていない涙をジンは自分の袖で拭ってやりながら泣き止まそうとしていたのだが、どうにもその涙が止まるどころか増える一方なのに根を上げて、部屋の隅にある冷蔵庫の中身を確認してお茶を取り出していた。





「ほら、緑茶。これ飲んで、ちっと落ち着け」


「う、うう…無理っ、嗚咽で…飲めない…っ!うわぁあん…っ!ひっく、う、うう…っ!ぐす、」


「重症だなお前…」


「ごめ、ごめ…っ!で、っも…ひっ、止まんない、んだもん…っ!も、頭ぐちゃぐちゃ…っ!ぐす、ひっく」


「…はぁ…取り敢えず、飲みてぇっちゃ飲みてぇんだな?」


「ん、喉は、乾い…た…っ、けど!それ以上…に、涙止まんない、し…悔しいし情けないし意味分かんないしおえっ、つ止まんなっ、いし!」


「んで、落ち着きもしてぇと」


「そりゃ、そ…だけど!そんな余裕…ない!」





くれたお茶は飲みたい、落ち着きもしたい。
そう言うアスナだが、それ以上に自分でも戸惑う程に涙がわんさかと出てくるものだからそれどころではないのだろう。
そんなアスナを暫く眺めていたジンだったが、一つ息をついて行き場のなくなった緑茶の入ったペットボトルを一旦テーブルに置くと、アスナの隣に座ってそのカタカタと震えている体を抱き締めた。

そんなジンの突然の行動に驚きはしたものの、それでも涙が止まらずに泣き続けるアスナは確かにこのまま抱き締めてくれればそのうち落ち着くのかもしれないとジンの首に腕を回そうとする。
だが、その腕は彼の首に回す前に彼によって阻まれてしまった。
何故かと言えば、ジンがテーブルに置いた筈のペットボトルの蓋を開けて自分で飲み始めたからだ。

いや、確かに冷蔵庫できちんと冷やされているわけだし、誰かに飲まれないよりは冷たい内に飲んだ方が良いとは思う。
しかし何も今この状態で飲まなくても良いだろう。





…と、ぐちゃぐちゃの頭の隅で微かに思っていたアスナの思考は次の瞬間真っ白になってしまう。






「んっ、?!…ふ…っ、?!」






突然。
顎に指を添えられて上を向かされたと思えば、驚く程に冷えた液体が熱くなっていたアスナの口内に入ってきたのだ。
でもその他に感じる外側からの柔らかい感触の方が何倍もアスナにとっては問題だった。

どういう事かというとつまり、アスナはジンからキスをされて、あろう事か冷たいお茶まで飲まされているということ。
そう、もっとつまり口移しである。





「っ、ふ…っ!…、まっ…」


「……」




流れてくるお茶をコクコクと飲んだその時点で赤面物だと言うのに、飲ませ終わっても尚キスを止めないジンはアスナの唇をまるで食べてしまうかのように、はむりと自分の唇を動かして…それを何度も繰り返す。
そんな彼からのキスに、すっかり気を緩めてうっとりとしてしまっていたアスナの瞳からはとうに涙は引っ込んでいた。

先程まで頭の中が後悔と情けなさと悔しさとでぐちゃぐちゃだったのに、今ではそのぐちゃぐちゃだった筈の頭の中は大好きなジンで埋まり、心の中で何度も好き、好き、と呟いてしまう程に。





「……ん。…すっかり落ち着いたな?」


「っ!!?!!ば、ば、ばっ、ば!!!馬鹿ッ!!馬鹿ぁーーーーッ!!!」






泣き続けていた筈なのに、それを意図も簡単にうっとりとさせてしまう程に上手すぎるキスを受けていたアスナに対して。
まるでオマケかのようにペロリと最後にアスナのすっかり熱くなった唇を舐めてから離したジンは大層面白そうな表情でそんな事を聞いてくる。

そんなジンに対して、涙と嗚咽が引っ込んだ代わりにそれの倍くらいの勢いで心臓がバクバクと暴れ回っているアスナの声は防音が施されているはずの部屋の扉からも漏れるほどだった、というのはダイゴから話を聞いて給湯室から慌てて飛んできたキンモクだけが知っている。



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