弱みと切っ掛け




「きたきたきたーーーっ!!!ジョウトォー!!!」


「はぁ、やっと着いたか…あー疲れた…」




乗っていた船の大きな汽笛の音にも負けず、両手を空に伸ばして大声を上げたそんなアスナとはまるで正反対の怠そうな声を出し、首を回してボキボキと鳴らしているジンはアスナが喜んでいる間に…と今まで我慢していた煙草に火をつけた。

しかしアスナはわりと直ぐに我を取り戻したのか、ジンが煙草の煙を二度吐き出したくらいの時にはキョロキョロと辺りを見渡していた視線を後ろへ向けてジンへと声を掛ける。




「ねぇねぇジン!取り敢えず都会のコガネシティに着いたわけだし!何か美味しいも……の……うわぁ…」


「あ?何だよ」




こうして着いたコガネシティは、都会のこともあって美味しいものは勿論、大形デパートだってあるかなり栄えた街だ。
だからまずは街を見ながらご飯を食べたい!とジンに言ったアスナなのだが、それは話している間に何かに気づいて段々とその声を小さくしてしまった。

その理由はジンの服装のこと。
どうやら彼は自分と同じく、船を降りる前に荷物を取りに部屋に戻った時に着替えた様子だった。
その服装はいつものライダースではあるが、その色はワインレッドではなく黒。
そのお陰で彼の引き締まった身体が更に良く見えるし、何よりいつもと違うその格好にアスナは新鮮さも混ざって段々と顔を赤らめてしまう。




「…いや、ふ、服がいつもと違うなーって……っ…カッコイイ…」


「いや今かよ。カッコイイのは知ってっけど。つかそれはお前もだろ」


「そ、そうだけどさ!だって景色に夢中で今の今まで着替えてたこと気づかなかったんだよ!」


「どんだけ来たかったんだよ…まぁいいけど。まずこの服だってわざわざお前が「これ着て」って俺の部屋のクローゼットから勝手に引っ張り出してきたもんだろ…」


「うっ、だっ、だってそれだって、あの時着てくれなかったから見たことなかったんだし!い、今初めて見たんだからしょうがないでしょ!」




顔が真っ赤アスナが話しながら近づいて来たことに気づいたジンは煙草の火を消して携帯灰皿に仕舞うと、アスナに「自分でこれを着ろと言ったんだろう」と冷静なツッコミを入れてしまう。

そのツッコミを受けたアスナは反論出来ずに素直にぐぬぬ…っ!となりながらも負けじと言葉を返した。
すると、そんなアスナの必死な様子が面白かったのだろうジンは得意気に笑うと、目の前まで来たアスナにぐい、っと顔を近づけてわざと小声でこう言った。




「なんだ?俺に惚れ直しでもしたか?」


「っ、ひゃ、ひゃい……!!!」




キスが出来る程の距離で、いつもよりも低い声で、しかも小声で。
そんな事を言われたアスナは今度こそぼふん!!!と頭をショートさせて気の抜けた素直な返事が声に出てしまう。
そんなアスナの様子が心底面白かったのか、ジンは笑いながらその頭をぽんぽんと優しく叩くと、今にも目を回しそうになっているアスナの荷物を持って横を通り過ぎてしまう。

すると、今までしていた彼の煙草の匂いが遠くなった事でやっとジンが先に行ってしまったことを理解したアスナは慌てて後ろを振り返ると、わりと遠くまで行ってしまったジンの背中に少しばかりの怒りが湧いて再度大きな声を上げた。




「っー!!!てか!!!あたしの服装に関しては何もないわけー?!!」




折角の彼氏との旅行なのだからと。
いつもと同じく腹部を晒した格好ではあるが、シアナを連れて悩みに悩んだそのサルエルパンツと、彼を思い出させる赤いベルトを着けたアスナは怒りながらジンを走って追いかけた。

そして、そんなアスナの運動神経の良さもあってか、想っているよりも早く足音が近づいてくるその音に気づいたジンは心の中で焦りながら少し赤い顔を急いで冷やすのだった。

どうやら、アスナがジンを意識して選んだその服装は見事に本人のドンピシャだったという事実は、ジンの心の内だけで済んでしまいそうだ。
















「食いもんが先じゃなかったのかよ…」


「可愛い服を見つけたら買っちゃうのが女の子の特徴だって覚えといた方がいいんじゃない?」


「…………良く知ってる」


「あれもこれもって止まらなくなってつい時間を忘れちゃうのも覚えといた方がいいんじゃない?」


「……それもよぉぉく知ってる………はぁ、お前らが仲良いわけだよ…」


「シアナと買い物する時はいつの間にか半日は経つからね!」


「勘弁しろよ…」




港でそんなやり取りをした後の2人は、それから数時間経ってコガネシティのデパート内にあるレストランで各々注文した物を前に話をしている所だった。
そこには食後に頼んだチーズケーキをさぞかし満足気に美味しそうに食べているアスナと、ブラックコーヒーを飲みながら心底疲れている様子のジンが向かい合って座っており、その表情は面白いくらいに間逆のもの。

というのも、それは港に着いて直ぐに「ご飯が食べたい」と言っていた筈のアスナがレストランを探している道中という道中で見つけた服を買い占めてしまった事により、それに結局数時間も使ったアスナは来て早々満足。
そしてそれに同じく数時間付き合わされたジンは来て早々心底疲れてしまっていたというわけだ。




「それにしても…!!んーっ!!このチーズケーキすっっごい美味しい…!!本場のモーモーミルクで作るとこんなに違うんだね?!」


「そりゃ良かったな…」


「ジンも食べる?!」


「要らねぇから1人で全部食えよ」


「あぁそう?じゃぁ遠慮なく!」




そんな、港の時とはお互い正反対の立場にアスナはすっかり満足した様子で、その表情は何処か勝ち誇ったような清々しさとモーモーミルクを使ったチーズケーキにこれでもかと笑顔になっている。

そんなアスナに少しだけイラァ…としたジンだが、それよりも目の前のアスナが幸せそうにしているその表情を見てしまえば少しだけれどその疲れも吹っ飛ぶというもの。
口には絶対に出さないが、そんな自分に対してこれも惚れた弱みか…と思ってしまえば、飲んでいるブラックコーヒーが何処か甘い気がして、ジンは思わず降参とでも言うように優しく笑ってしまった。




「……………ジンってさ……」


「何だよ?」


「いつもは人を小馬鹿にしたムカつく笑い方するじゃん?」


「ひでぇ言われようだな。まぁ否定もしねぇけど」


「…でも…」


「?」




ジンがつい優しく笑ってコーヒーの飲んでいる光景をたまたま見てしまったらしいアスナは、思わずチーズケーキを運んでいたフォークを置き、きょとんとした顔でそれを眺めてしまう。
そしてそのままジンに容赦のない事を言うのだが、それを酷いと言いつつも全く傷ついていない様子のジンは、いきなり何だと言うような表情でカタン、と飲んでいたコーヒーを置いた。

すると、今度はその音が合図だったかのように言われたアスナの言葉を聞いたジンがきょとんとした表情をしてしまう。




「…たまに、そうやって優しく笑うよね……そういえばあたし、その顔に惚れちゃったんだよな…」


「…………………」


「…………え?………あっ、え?!あたし今何言った?!」


「……」


「や、やだちょ!!忘れて!!今の忘れて!!何でもない何でもないっ!!」




アスナから、自分に惚れてしまった切っ掛けを話されたジンはあまりに突然のことに黙ってしまえば、ジンが何も言わないことで生じた沈黙でアスナは冷静になったらしい。
自分が言ってしまった事を理解して、途端にあわあわと顔を真っ赤にして慌てて両手をぶんぶんと振って見せた。
しかしそれでもジンは珍しくきょとんとしたまま何も言わず、その沈黙に耐えきれないアスナは再度そんなジンに声を掛ける。




「っ、もー無理!!ねぇー!!何か言ってよ!!うんとかすんとか言ってよー!!」


「すん」


「あーーーもう!!そういうとこ!!ムカつく!!!!!」



お願いだ、お願いだからうんとかすんとか言ってくれ!とアスナが自分の顔を両手で覆い隠して頼み込めば、黙っていた筈のジンの口から直ぐに「すん」という返事が返ってくる。

顔を覆っていることで、ジンがどんな表情で言ったのか分からなかったアスナはすっかり形勢逆転からまた形勢逆転されてしまったことに腹を立てて顔を隠したまま苛立ちを露わにしてしまうが、そんなアスナの怒りを鎮めたのは、急にいつも通りの声でジンから言われた一言だった。




「アスナ、」


「もう、何だよぉ…っ!」


「…服、似合ってる」


「っ…!!だからそういうとこぉ…っ!!!!」




怒りは鎮まったが、それよりも。
嬉しさと恥じらいと、色々な物が混ざって…その会話を顔を覆い隠していたまました事に心底安心したのは、果たしてアスナ1人だけだったのだろうか。

良くも悪くも、それを知っているのは実は影でこっそりと会話を聞いて「可愛い…!」と呟いてしまっていた2人の若い女性店員だけだったらしい。



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