火に油




「そういうわけで、悪いが一週間ぐらい留守にすっから、上に上手く言っといてくれ。ダイゴには俺が適当に言っとくから」


「成程そういう事ですか…かしこまりました。それなら早急に空港のチケットと…あっ、書類の方も用意しておきます。…それにしても…本当に良かったですねアスナ様!」


「はいっ!他の地方なんて滅多に行かないし、色々勉強してきます!」


「えぇえぇ、それがよろしいと思います。事が良い方向に進んだようで何よりです。ほほほ」



次の日の朝。
ほどよく太陽が昇り、テーブルの上に置かれたコーヒーが調度良い温度まで下がったのを見計らったキンモクは、ジンがわざわざ自分の為に用意してくれたコーヒーをそれはもう嬉しそうに、噛み締めるように口にした。
そんな中でキンモクが聞いたのは、なんと昨晩あれだけアスナと悩んでいたジョウト地方の事だった。

「頼みたいことがある」と電話で呼び出されて、何となく察してはいたが…本当に承諾をするとは。





しかもまさか、お泊まりだったとは。





「あー楽しみ!!アゲハント、見つかるといいね!」


「だーかーら、何度も言ったろ?目的はそれじゃなくて、あくまで「お前の傷心旅行」な。お前紅葉好きだし、向こうにも温泉はあるし。何よりジョウトにはこっちにいねぇポケモンだっているんだ、向こうのトレーナーと目が合えばバトルにもなるだろうし。…それが目的だからな?そこら辺勘違いすんなよ?」


「分かってるよ!でも、偶然でも会えるかもしれないでしょ!」


「お前な…何日前の話してんだよ。アゲハントがまだエンジュに留まってる保証なんて何処にもねぇだろ。あんま期待すんな」


「あーもう分かってるってば!!それでも偶然会えた時には誤解を解こうとするからね!」


「誤解も何もねぇと思うけどな」


「うっさい!!このひねくれ者!!」




ジンが用意してくれたコーヒーに舌鼓をうちながら。
目の前で、いつも通りの雰囲気の2人の会話を聞いているキンモクは、無事にアスナの行きたがっていたジョウト地方に行くことになったのに安心しつつも、どうも…どうしてもさっきから…いや、さっきというよりもこの部屋に来た時。もっと言えば、ジンの顔を見た時からずっと気になっている事があるのだ。

言わない方がいいのはよく分かっている。
勿論、よく分かっている。
しかし、それにしたってずっとそれが「無かった」ことのように、当たり前のように繰り広げられている会話がそのお陰で真っ直ぐに頭の中に入ってこない。



だって、だってそうだろう…ずっと、ずっと。





「あ!そうだ!買い物!買い物行こうよ!折角別の地方に行くんだもん、色々用意しないと!」


「はぁ?用意?何の」


「服とか服とか…あと服とか……あっ、旅館!旅館の予約!」


「ほぼ服じゃねぇか」




こんな楽しそうな?会話をしているアスナの隣に座っているジンの頭に、それはもう……



大きなたんこぶがあるのだから。



言っていいものか、突っ込んでいいものか。
「そのたんこぶはどうされたのですか」と聞きたくて仕方がない。しかし聞けない。
こんな「何事もありません」みたいな雰囲気でいられては聞くに聞けない。

昨晩の間に一体何があったのだろう…いや、もしかしたら自分が呼び出される前の早朝に何かあったのかもしれないが、それにしたって気になる。
大体まず第一に、無事に交際をする事になった2人が一晩を共にしたということは、もしかしなくてもそういう事になったのかもしれない。
そこら辺の事情については、ジンが小さな頃から世話をしてきたキンモクでも想像はつかないが、真剣に交際をすると決めた女性を乱暴にするような性格でないことは保証出来る。


…そう、不謹慎で失礼かもしれないが、そういう事には決して乱暴な仕方はしないだろう。
するとすれば、それは「好き」故で歯止めが効かなかっ………………




「あっ、なるほど!!それでたんこぶ?!!?!」


「「は?」」


「恥ずかしさ故、嬉しさ故ですねアスナ様…なるほどなるほど…ほほほ、良かったですねジン様…とてもお幸せそうで、このキンモクも大変嬉しく思います。これからも末永く、仲睦まじくいて下さいね!ほほほ………………はっ、」


「「っ……………」」





幸せそうで本当に何よりだ。
こうなるまでの苦労を知っているキンモクだからこそ、想像しただけに過ぎないが、その事が何よりも嬉しくてついつい思いっきり口に出してしまった。
すると、2人は揃って言葉を詰まらせ、片方は真っ赤に顔を染め、もう片方は罰が悪そうに視線を逸らして少しだけ頬を染めているのだから、やはり間違えではないのだろう。

しかし、それにしたって失言にも程があった。
あまりにも嬉しかったとはいえ、物凄くはしたなくて不埒なことを口走ってしまったのだから。




「………っ、キンモク……お前なぁ…っ、人がどんだけ痛み耐えてこいつの気を逸らそうとし、」


「…ぁ、あぁあぁあジンの馬鹿ぁぁぁあ!!!!!」


「てたと思ってんだ!!また思い出しただろこいつっ!!俺の顔見る度に朝からずっっっっとこの調子で物は投げるわ殴ってくるわで落ち着かせんのに随分とかかっ、」


「私は失礼致しますね?!ほ、ほら!書類!!数日ホウエンを離れるなら協会に提出する書類もありますから!!」


「馬鹿馬鹿馬鹿馬鹿!!!変態!!すけべ!!!鬼っ!!」


「コーヒーご馳走様でありました!!!!まさかジン様が私にコーヒーを入れて下さる日が来るとは!!このキンモク!!大変感動致しました!!!感動したので今日はもう胸がいっぱいです!!一生忘れはしません!!!」


「コーヒー如きどうでもいいわ!!!聞けや!!おい!!爆弾投下しといて帰るんじゃねぇよ!!いっってぇ?!!!やめっ、だぁぁぁこの暴力女を鎮火させてから帰れ!!!ってめ、この!!老いぼれぇえええ!!!!」




ドタドタドタドタドタドタ!!!!!
…っと、何とも慌ただしい音が後ろから聞こえるものの、足を掴まれて動けないジンの叫び声を無視して「ご馳走様でした」とその部屋を出たキンモクは顔を真っ赤にしながらご丁寧にきっちりと玄関の扉を閉めてそそさと一つ下の階にある自宅と足を動かした。

その最中で、「色魔」等という暴言のような物と共に聞こえたドンガラガッシャーーーン!!!という何かが割れるような音が聞こえた気がするが、きっと気のせいだろう、そう、気のせい。




「おまっ?!待て…待て?な?落ち着け?…っ、ふざ、そのグラス高かっ」


「知るかぁぁ!!!!馬鹿ァァァァ!!!!」




……後で食器諸々弁償致しましょう…と思うキンモクなのだった。


















「うわぁぁー!!良い景色っ!!あっ見て見てジン!!あれサニーゴじゃない?!」


「サニーゴだな」


「あっ!!あっちでマンタインが飛び跳ねてる!!うっわぁ!!てことはもうほぼジョウトみたいなものだよねここら辺!!」


「そうなんじゃねぇの」





あれから。
キンモクの爆弾投下によって散々な目にあったジンは、船の上にあるビーチベッドに横になりながら近くではしゃいでいるアスナの話に適当に相槌を打っていた。

そんなジンに思わずぷくーっと頬を膨らませてその隣にあるもう一つのビーチベッドに腰掛けたアスナはサイドテーブルに置いてあったパイルジュースを手に取って一口飲むと、ポケフォンを弄っているジンへと声を掛ける。




「ねぇなんでそんなにつまらなそうなの?!」


「なんでわざわざジョウトに行くのに海の上を通らなきゃなんねぇんだよ…」


「都合の良い日取りの飛行機のチケットが取れなかったからでしょ?」


「「それならクルージングなんてどう?」ってわざわざ聞いてきたダイゴに盛大な礼を言って即答したお前のせいだろ」




…そう。
あの後で色々と…それはもう本当に色々と準備を整えたアスナとジンの2人は、目的であるジョウトに向かっているところだ。
そんな中で、何故飛行機ではなく船で移動しているのかと言えば、それはキンモクが用意してくれた書類を提出した時に御曹司であるダイゴがふと軽い思いつきで言ったのが原因だった。

「傷心旅行ならクルージングで行けば」という、お金持ちでなければ簡単に出ては来ないだろうその一言で。





「「クルージング」って良い響きだったんだもん!!」


「何処がだよ。別に珍しくも何ともねぇだろクルージングなんて…四方八方水に囲まれて嬉しくも何ともねぇっつの」


「あーそうですかーお金持ちには珍しくも何ともないもんね!!てかいいじゃん!四方八方水!海!」


「「元」金持ちな。…水は昔から好きじゃねぇんだよ。変に気分が落ち着いてやる気が削がれる。あとどっかのナルシスト思い出す」


「親友でしょあんた…」




水に囲まれると変に落ち着いてしまう。
そんなことを言うジンに、あんたは炎タイプか…と思わず心の中でツッコミを入れてしまったアスナだったが、目の前でふわぁ…と大きな欠伸をしながら親友の話をしたジンを見て、あまりにもその様子が彼らしいのもあってか、いつも通りの日常な気がしてゆるゆると気が抜けてしまった。

しかし、そんなジンが通知音を鳴らしたポケフォンを見るや否や、急に軽く吹き出した事にどうしたのだろうと思ったアスナが首を傾げれば、それに気づいたジンは自分のポケフォンをアスナに手渡してきた。
それを受け取ったアスナが何だ何だとジンのポケフォンを確認すれば、何とそこにはここに来るまでにそれはもう物凄く苦労して説得した自分の祖父からのメールの内容が表示されていた。




「……………へ?!」


「お前のじいさん、ほんっとに孫馬鹿だよな」




そしてもっと驚いたのは、その内容が「船ではしゃぐ可愛いアスナをお前には絶対にやらんからな」
という怒り狂ったその内容で、何故そんなことを知っているのかとジンが送ったらしいメールの内容を確認すれば、そこには先程の自分の姿が動画となって出てきた事だった。




「なっ、え、いつ撮ってたのこれ?!っ、馬鹿っ!!うわ…あたし子供みたい…っはず、恥ずかし…!!もうっ!!!てかいつ連絡先交換してたの?!ねぇ、というかじっちゃんめっちゃ怒ってるけど何て返信したの?!」


「ざまぁ」


「火に油を注ぐなぁ!!!!!」




今頃、ジンからの返事に地団駄でも踏んでいるのだろう…骨が折れる程に説得しまくった祖父のムラの姿が容易に浮かんだアスナはため息をついて頭を抱える。

しかし、ため息をつきつつも何だかんだ楽しんでるじゃないかと隣で少し満足気にしているジンを見て、思わず微笑んでしまったアスナなのだった。



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