欲しい言葉
知っていた。
ドアの僅かな隙間から、電話のやり取りを聞いていた事くらい。
知っていた。
それが、自分が言った言葉が。
どんな想いを持っていたとしても後退りをしてしまう内容な事くらい。
「……返す…か。……はぁ、」
あれから、降っていた雨は止み、アスナは直角90度並の見事なお辞儀をして、空元気のようにベランダからリザードンに乗って帰っていった。
ご丁寧に、「借りた服はちゃんと洗って返すから!」と半場強引に鞄の中に服を詰め込んで。
「…チッ」
誰も居なくなったリビングのソファに怠そうに座り、煙草を吸っていたジンは誰に対してでもなく舌を鳴らす。
この舌打ちは自分に対してのものだった。
あの時、偶然にもタイミング良く電話がかかってきたのもあったが、実はあの言葉はわざわざ改めて言う必要がなかった。
わざわざあんな言葉を放ったのは、聞けば絶対に後ろへと線を引くか、諦めるだろうと思っていたから。
しかし、予想外だった。
あいつは、アスナは。
(…いえ!何でも!ただちょっと、ジンの服が大きくて歩き辛いだけです!)
(うん!止むまで居るわ!雨の中を飛ばさせたらリザードンに申し訳ないし!てか危ないし。)
真っ直ぐ、見てきた。
笑ってるんだが泣いてるんだが分からない笑顔を、自分を傷つけただろう人間に向けて。
冷静に相手をしてはいたが、正直…内心はかなり驚いた。
てっきり「最低」等と思われて恋愛という括りの中にいるだろう自分をその括りから外すと思っていたから。
「…ったく…」
眩しい笑顔は、苦手だ。
いや。苦手…とは少し違う。
それが自分に対して恋愛感情を持っていなければ問題は無い。
(何だかんだ、やっぱりお兄ちゃんは優しいんだから!)
(何だかんだ優しいんですね?)
純粋に、その光をこちらに容赦なく放って、目を眩ませる。
あの時のあの言葉が、悪戯に、からかうように笑ってみせたあの表情が。
どれくらいの時が経っても忘れない、忘れたくない。
脳裏に焼き付いているあの笑顔と重なって見えてしまった。
(おや。察してはいないのかい?)
燃え尽きてしまった煙草を灰皿へと押し付け、以前ミクリから言われた言葉を思い出したジンは眉間に皺を寄せる。
あの時は何のことだとシラを切ったが、正直、言い方は悪いが察してはいた。
自分で言うことでは無いが、ぶっちゃけてしまえば自分の容姿はかなり良い…らしい。
しかもそれは、今までの自分の経験からも頷いてしまう程に。
男なんて女と一緒で、探せば…いや、探さなくともそこら辺に山程いるだろうに、何故周りの女はこんな自分を追いかけるのか。
(いや、お前にとって、このまま良い方向に事が進めばなと思ってな。)
進む訳ないだろう。あのナルシストは馬鹿なのか。
どう頑張ってくれようが、どう想い続けてくれようが、
自分が誰かの「好き」を受け止めて、そしてそれを返す事等ある訳がないのだから。
「……タチ悪いっての…」
タチが悪い。
ジンが呟いた言葉は、まさにそれだった。
これが普通の女性なら問題等一切無いに等しい。
今までも、そして現在もお互い同意の上で体を重ねるという行為で相手の感情を黙らせてきたし、諦めもさせてきた。
貴方と関係が持てるのならと言うような女だって居た。
しかし今回はそうもいかない。
それはそうだ。相手はシアナの親友なのだから。
だからわざわざ聞こえるようにあんな言葉をぶつけて、付けてしまう傷が比較的浅い内に諦めさせようとした。
それなのに、あいつは真っ直ぐにぶつかってきた。
この先、いくら頑張ってくれたとしても、想ってくれたとしても。
「……俺はそんな事…する気はねぇのによ…」
誰かを愛して、愛される事。
そんな事は、絶対に自分にあってはならない事だ。
そう、特にそれが…
誰かを愛する資格もない。
誰かに愛される資格もない。
「人殺し」の、最低な自分には。
「あはは!!もう、あたしったら馬鹿だよね!良く考えたらジンってカッコイイじゃん?モテない筈がないんだよね!」
「…アスナ…。」
「下手したら彼女とかいたかもしれないのにさ!あはは!…あー…でもまぁそれはシアナが応援してくれるって言ってたのもあって、考えてなかったんだけどね!実際いないっぽいし!」
「っ…」
電話越しに聞こえる大好きな親友の声。
大好きな筈だ。そう、これは間違えなく、大好きなアスナの声。
でも、大好きな筈なのに、間違って欲しいと思ってしまう。
こんな、こんなアスナは…アスナの声は、嫌だった。
無理して強がってるのが痛い程伝わってきて、「平気」だと嘘を言っているようで。
正直、電話がかかってきたときは、時間でも空いたのかなだなんて呑気な事を考えてしまった。
ジンがそんな事をしている人だなんて知らなかったし、想像もしていなかったから。
そしてそれを、アスナが知ってしまったという事も、予想外の出来事で。
「いやー実際ビックリだよね!まぁそれくらいしなきゃ諦めない人とかもいるんだろうけどさ!」
「っ…うん…」
「っ、あはは!やっぱり可笑しいよね?自分でも思うもん!何であの時、幻滅しなかったのかなって!」
「っ…!」
「…っ、でも、さ…」
強がってた筈だった。
平気なんだって、まだこれからなんだって、自分に言い聞かせる為にも、ただ必死に言葉を投げ続けていた。
しかしそんなアスナの自己防衛は、後ろからガチャリとした音が聞こえた途端にガラガラと崩れてしまう。
「っアスナ!」
「っ…ほんと、は…本当はさ…!!」
背中に感じる温もりが。
暖かくて、優しくて。
鋭く、冷たく凍えきっていた心を溶かして。
それと同時にポロポロと零れる涙をそのままに、アスナは蓋をしていた心の声を叫ぶ。
「辛いよ!辛いに決まってんじゃん!好きな人が…!知らない人と体を重ねてるなんて!そんな事!!」
「っ…うん…」
「そこで「そういう人なんだ」って思えばいいじゃん!頑張るだけ無駄なんだなって、見切りをつければ良かったじゃん!」
「うん…」
「なのに、出来なかったんだよ!思わなかったんだよ!!あの時の、頭に手を置いてくれた時のジンの表情がチラついて、「本当はそんな人じゃない」だなんて馬鹿な事考えちゃって…!!」
思えなかった。思いたくなかった。
平気で女性を抱くだなんて、そんな事が出来る人なんかじゃないと思ってしまった。
(ジンでいい。)
たった一言。
そのたった一言を呟くように言った、あの時のジンが。
あの時の声が、表情が。
その時の瞳は火傷するくらいに熱くて。
それでも、心ではぽかぽかと感じる温度だった。
「ただ、笑いかけてもらっただけなんだよ!頭に手を置かれただけなんだよ!でも!それなのに、それなのに…!どうしようもなく優しく感じて、暖かくてさ!!」
「…うん、…っ、うん。」
「ダイゴさんやミクリさんみたいな幼馴染でもないし!シアナみたいに一緒に旅をした訳でもない!ほんと…本当に、最近話すようになったばかりなのに!」
「…うんっ」
「彼女でも、体を重ねるだけの関係ですらないのに!」
「…うん…」
…放っておけないと、傍に居たいと。
ワインレッドが良く似合って、
口が悪くて、クールそうな雰囲気を醸し出している癖に、
バトルになると楽しそうに相手を炎に包んでしまう、ガラの悪い男性に豹変してしまう癖に。
それなのに、それすらも、めちゃくちゃカッコ良く見えてしまう、少し腹の立つジンの…
「隣に居たいって…!思っちゃったんだよぉ…っ!!」
蓋をしていた心は、喉は。
親友がその蓋を取ってしまったことで、勢い良く溢れてしまった。
溜めていた言葉を、まるでぶつけるかのように全部吐き出して、振り向いた時に見えた親友の、シアナの、必死に涙を堪えている表情を見たアスナはそんな親友の肩に顔を埋めて絞り出すように言葉を口にする。
お願い、お願いだから
「…あたしに、頑張っていいよって…言って…!!!」
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