鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす
「ヤミィ!ヤミラァ!」
「ふーん、そっかそっかぁ?着いてきちゃってたのかぁ?可愛いやつめ!」
「ヤミヤミィ!」
「馬鹿やってねぇでヤミラミをボールに戻しとけ。もう着くぞ」
「はーい」
太陽が完全に顔を隠した静かな夜。
ジンのウォーグルに乗って空を飛んでいたアスナは目的地に着くまでの間、膝の上に乗せたヤミラミと戯れついていた。
ジンに惚れ、自分で勝手にボールに入ってしまったらしいそんなヤミラミの行動力を称してハイタッチをすれば、目の前で呆れたように少し振り返ったジンからもうすぐ目的地に着くからと声を掛けられ、返事をしたアスナは素直にヤミラミをボールに戻してジンに返すと、彼の肩口に顎を乗せてその目的地とやらを確認する。
「………………ねぇジン」
「なんだよ」
「……なんで森…?え、なんで森?」
「二回言う必要性」
「だって森だよ?!夜の!!えっ、待って帰ろう?なんで森に連れてきたのか謎だけど取り敢えず帰ろう?!やだなんか絶対出るじゃん!!」
「まぁそれ目的で連れてきたからな」
「はっ?!え、ちょ、信っっじらんない!帰る今すぐ帰る!!」
「そりゃ無理な話だな。ほら行くぞ」
「うわぁ?!」
ジンの言う目的地とやらが何故か森なのだと理解したアスナはその瞬間帰る帰ると慌てて祖父から借りているリザードンのボールに手を伸ばす。
怖いものが大の苦手なアスナなのだからまぁ無理もない。だって今は太陽が顔を出していない真っ暗な夜なのだから。
ただでさえ暗いこの状態で得体の知れない森に連れてくるだなんて、本当にこいつは何を考えているんだ、もしかしなくてもその、なんだ…あれだ、告白してくるんじゃないかなとか期待をしてしまっていたのに。
しかもあろうことか目の前の彼は「出る」目的で来たなどと言うのだからもう本当に信じられない、帰る。本当に帰る。
と、アスナが思っていたのに、その手はリザードンのボールについている開閉ボタンを押す前にジンに掴まれてぐいぐいと森の中へと引っ張られてしまった。
「ねぇ待って待って本当に怖いやだやだやだ!」
「女みてぇなこと言ってんじゃねぇよ」
「女だからあたしっ!!!!!???!」
どんどんと容赦なく怖がる自分の手を握ったまま森の奥へと進んでいくジンに必死に声を掛けるアスナは心無しか涙目になり始める。
だってそうだろう、やっと手が届きそうなところまで来て、「大事な話がある」と彼から言われ、てっきり告白してくれるのではないかと期待で胸を膨らませていたというのに、まさかこんな夜にこんなよく分からない森に連れて来られるなんて誰が予想する?
しかもおまけに腹の立つ冗談まで言われる始末ときたものだ。もう本当に帰りたい。
そんなことを思ってつい目を強く瞑ってしまっていたアスナだったが、それはいつの前にか手を離されて進んでいた足が止まったことでうっすらと開くことになった。
「……何?ここ」
「何って、森の中だろ」
「いやそれは分かるんだけど!……っ…ねぇジン…真面目に答えて。あたしのこと馬鹿にして遊んでる?」
「はぁ?」
目を開いた先に見えたのが、特に綺麗な花なども咲いていないただの森の中の開けた場所という何の特徴もない光景と、何よりさっきから何処か自分に対して冷たい態度を取っているような気がするジンのことも相まって一気に不安になってしまったアスナは目の前に立っているジンに疑問を投げてしまった。
そんな不安から来た質問を投げられたジンが眉間に皺を寄せるのを見て、大好きな筈なのに何処か怖いと思ってしまったアスナは言葉を失ってしまう。
どうしよう、もしかして自分はジンを怒らせるようなことでもしてしまったのだろうか…いや、全く持って思い当たらない。思い当たるとすればサキの死の光景を無理矢理見せて「馬鹿野郎」と罵声を浴びせたことくらいだ。
…充分な気がする。
「遊びって…お前何馬鹿みてぇなこと言ってんだよ」
「っ…だ、だって……!!そ、その…あたし……恥ずかしいけどさ、ジンから話しがあるからって電話が来た時…凄いう、嬉しかったのに…っ!夜にこんな森に連れてくるし!」
「……」
「…それに、なんかジン…いつもと違って冷たいっていうか、怖い…っていうか…」
「!…………まぁ、それは……あー……なんだ…」
「……ジン…?…っ、ねぇ、あたし何かした?もしかしてあたしがサキさんのあの時の光景を無理矢理見せたから怒ってる…とか?」
「いや、別に怒ってねぇよ。寧ろなんだ…感謝はしてる。お陰で肩の荷が下りたわけだし」
「っ、じゃ、じゃぁなんで…そんな態度なわけ?」
「…それは………………、お。ナイスタイミング」
「?」
自分のことを遊びにしているのではないか。
そんなことをアスナから言われ、一瞬それこそ本当に怒りそうになってしまったジンだったが、その後に冷たいだの怖いだのと言われてしまってからは罰が悪そうに言葉を詰まらせてしまった。
目の前で不安そうにしてしまっているアスナに、もうある物を待たずにこのタイミングで言うしかないかと口を開こうとしたジンだったが、ふと遠くの方から聞こえた何かに気づいてどこかホッとした表情を見せた。
そんなジンの突然の行動に不思議に思ったアスナも同じ方向に目を向ける。
「…………ねぇやっぱり帰ろう帰っていい」
「は?」
「だっ…だってあれ!!ひっ、ひひ、ひっ人魂でしょ…っ?!や、やだやだ帰る帰る帰るもうジンの馬鹿阿呆不良面倒臭がり意地悪バイクオタクすけこまし!!!もうやだ本当やだ…っ!やだ!!」
「いやおま、待てっつの!ったく良く見ろやこの早とちり女!」
ジンが発見したものを一緒に見たアスナの目に映ったのは森の奥からふわふわとこちらに近づいてくる淡く光っている浮遊物体だった。
その光りが確実にこちらに近づいてきて、尚且つどんどんと数が増えていく光景を目の当たりにしたアスナは場所も場所なだけにそれが人魂だと勘違いして再度リザードンのボールに手を伸ばした。
すっかり涙を流して自分に対してマシンガンのように悪口を連呼しながら震えた手でボールを探すアスナのそんな姿を見て慌てたようにその手を掴んで止めたジンは「良く見ろ」とアスナの両頬に手を添えて半ば無理矢理森の奥へと顔をぐい!と向けさせる。
「……………へ…………?」
「…はぁ、…これは人魂じゃなくて、イルミーゼとバルビートだ。この森にはこいつらの巣があんだよ。だからわざわざここに連れてきたんだっつの」
「…イルミーゼ、とバルビート……の、…巣?」
「そうだよ。女ってのは大体こういうもんが好きだろ」
「………う、ん……好き……めっちゃ好き…!うわぁ……綺麗…!!凄い…っ!」
すっかり勘違いしていたこの光達の正体が蛍ポケモンのイルミーゼとバルビートだと理解した途端。
アスナのうるうると涙を滲ませていた瞳がその沢山の光を映してキラキラと輝いたのを見たジンは1人優しく微かに微笑むと、組んでいた腕を解いて真っ直ぐにアスナの方へと向いて彼女を呼び掛けた。
「アスナ、」
「…ん?何?どう…………し……」
イルミーゼ達の描く光の絵画に夢中になっていた自分を呼ぶ声に反応して振り返れば、そこには自分の大好きな人が真っ直ぐにこちらへと視線を向けている光景。
ただそれだけ、それだけだがいつもの彼とは確実に違うものが一つあった。
それはまだアスナが彼と出会って二度程しか見れていないあの表情。
決して大好きな彼らしくないのに、何よりも一番アスナが大好きな彼のあの表情。
優しく微笑んで、その長いまつ毛に反射する光が余計に彼の雰囲気を優しいものに見せているこの姿は、きっと一生忘れることはないだろう。
「死ぬまで一生、一度だって誰かを好きになることも、想いを受け止めることもしないと決めてた。それでもお前はしつこく何度でも俺にぶつかってきて、あろうことか根本的な問題まで吹っ飛ばしちまった。…今俺がこうしてお前の前に立って、素直になれてんのはそんなお前のお陰だ。…ありがとう」
「…ジン…」
「だから、そんなお前を二度も突き放した俺が言うのもなんだが、改めて俺からお前に言わせて欲しい」
「…っ…」
聞こえた気がした。
静かな静かなこの光り輝く森の中で、驚くほど静かな自分の心臓の音とさわさわと微かに揺れる木々の音に混じって。
(ありがとう、アスナさん)
「お前が好きだ。…俺と、付き合って欲しい」
何処からか響いてきた、可愛らしい声の次に聞こえた、目の前の彼からのその言葉に。
勝手に動いた足が彼へと向かって押し倒すように思いっきり飛びつけば、彼は咄嗟のことでもしっかりと受け止めてくれる。
そのお陰で痛みもなく芝へと倒れ込むようにして自分の下にいるジンを見下ろせば、その赤い瞳と目が合った。
「おい、返事は」
「その前に。なんで冷たい態度だったの?」
「…別に」
「えー…それが気になって返事どころじゃないなー?」
「っ…んの野郎…」
返事の前に聞きたいことがあると茶化せば、見下ろしている先にいるジンの表情が何とも罰の悪そうなものに変わったのを見たアスナは悪戯に笑う。
今まで散々色々なことをされてきたんだ、これくらいは許されるだろう。これこそまさに自業自得。
そしてそれはジン本人も分かっているのだろう、やられた…と言ったような雰囲気を出しながら、上から真っ直ぐに向けてくるアスナの瞳からふい、と視線を外すと観念したかのようにその答えを口にした。
「……………………………………緊張してた」
「…………」
「…………」
「っ…………ぷっ、!ジンが、緊張…!!あはははっ!可笑しい…っ!あのジンが…!!あはははは!!」
答えを聞いた途端。
思わず少しの間を置いて笑ってしまったアスナの楽しそうな顔を見たジンは静かに一息つくと、目の前で笑い続けているアスナの隙だらけな両肩を掴むとぐるん、と反転させる。
すると突然の出来事に驚いたのだろうアスナが目を丸くして言葉を失っているのを今度はジンが上から見下ろす形となり、形勢逆転だなと言いたげにジンはその頬に手を添えた。
「…で?ここからどうする?」
「……っ」
「言わねぇと…」
添えてきた彼の手は冷たいのに、添えられた自分の頬が火傷するくらい熱いのを感じたアスナは先程の笑いなどすっかり飛ばされて身を強ばらせてしまった。
言わないと、どうなるか。
段々と近づいてくるジンの周りを飛んでいるイルミーゼ達の光で淡く照らされるその顔があまりにも綺麗でカッコよくて、もうこのまま何も言わずに受け入れたい、と素直に思ってしまったアスナはゆっくりと目を閉じる。
しかし、目を閉じても一向に何も感触が無いことに気づいて閉じたはずの目を開ければ、そこには触れるか触れないかギリギリのところで止まったジンが悪戯そうに笑っている姿が映る。
「お前の欲しがってるもんは、お預けだな…?」
「っ…、………?!」
近い。そう思った時にはもうジンのその唇から放たれる吐息が自分の固く結ばれた唇に掛かっていて。
わざと小声で「お預け」だなんて言う彼は、確実に確信犯だった。
さっきまで向こうが自分から視線を逸らして照れていたはずなのに、立場が逆転した途端にあの時の自分よりも遥かに楽しそうで、何より余裕そうな彼に少し腹が立ってくる。
こんな事をされたら、欲しくて欲しくてたまらなくなってしまう。
「っ……あた、しを…」
「ん?」
「っ!…あ、あたしを…!彼女、に…して下さい…っ!」
ばくばくと暴れる心臓のせいで息が出来ないところで、頑張ってそう言葉にしたのに。
ちゃんと言い終わったのだからせめて息くらい吸わせて欲しい。
「よく出来ました」なんて思ってもないようなことを言って目の前を暗くさせた自分の彼氏は、きっと世界一意地悪で、世界一カッコイイ。
だってほら。
長く長く、時間を掛けて重ねていた唇が離れていってしまったのが嫌で、思わず引き止めるように「好き」だと何度も言えば、真上にいる彼は満足そうに笑う。
こんなの、きっと一生勝てっこない。
「っ、ジン…」
「なんだ?」
「す、き…好き…っ、ん、好き…っ、」
「…欲しいだけ言えよ」
お前が何度でもその言葉を口にすれば、俺はその度に何度だってその唇を塞いで、応えてやろう。
逃げられないようにその手を重ねて、細い指を絡めて繋ぎ止めて、この光の数を軽く超えるくらいに何度でも。
お前に気持ちを伝える場所を考えている時にふと目に止まったとあることわざを見た瞬間にここに決めたことだけは、絶対に教えてやらないが。
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