最初で最後




カツカツとヒールの音を響かせて歩いていれば、端にある待機椅子に座っていた患者や歩いていた医師達が通り過ぎていく自分を振り返ってでも眺めていくのが面白い程に伝わってくる。
それはそうだ、自分は誰がどう見ても綺麗なのだから。

父が資産家なのもあって、小さな頃からお金には困ったことがない。
それでもあの頃の自分は今こうして自分が歩く度に音を鳴らしている高いハイヒールや、揺れているブランド物のバッグ、首や手首、耳に付けているアクセサリーにだってミジンコ程度の興味しかなかった。
そんな自分が今こうして金にものを言わせてでも着飾って、美容にも最大限に気を使うようになったのは…





「…来たか」


「何?貴方の方から呼び出しだなんて…もしかしたら初めてじゃない?電話来た時に一瞬誰かと間違えてるのかと思っちゃったじゃない」





この、扉を開けた先にある病室のベッドに座って、こちらと視線を合わせてきた…いつの間にか入院していて、今日退院するらしいこの男のせいだ。





「初っ端から嫌味とはな」


「別に嫌味なんかじゃないわ。素直に珍しいなと思っただけよ」


「そうかよ」


「…で?わざわざ呼び出したってことは何か話があるんでしょ?」


「…まぁな」




彼…ジンの隣に腰を下ろして、呼び出した理由を聞いてみれば、彼にしては珍しく…いや、もしかしたら初めて見たかもしれない程真剣な顔を見せたジンに嫌なくらいに素直に「カッコイイ」と思ってしまう。

あぁ、馬鹿だな。
そんなこと思ったところで、次に言われる言葉がどんな言葉だなんてこと、もう分かっているのに。





「俺と縁を切ってくれ」





ほらね、だと思った。
知っていた。言われたことはないけれど、数いる女の中でも自分にだけ連絡先を交換してくれていたことも、数いる女の中でも自分が彼の一番近くにいたことも。

だから自信はあった。
いや、自信というよりも、確信があった。
このまま黙っていれば、余計なことを言わなければ、強がっていれば彼が私を選ぶ日が来ると。

それが…例えそれが、同情の元から生まれた、決して愛のない小さな小さな可能性なのだとしても。





「ふーん…なんで?とうとう女でも出来たの?」


「別に出来てねぇよ」


「…まだ、の間違いじゃないの?」





聞かなくても分かりきっていることをわざわざ聞いてしまったのは、少しの好奇心とそれを飲み込んでしまう程に大きな嫉妬。
「まだ」の間違いだろうと嫌味の刃を刺せば、彼はそれを白刃取りするかのように強い視線を向けてきた。

怒っている、かとも思ったが、思い返してみても彼は自分に同情と怒り以外の感情を見せたことがない。
故にそれが怒りではないことを悟って、悔しくも思わず身を強ばらせてしまった。





「…お前には、悪いことをしたと思ってる」


「…何よそれ」


「本当なら今頃俺とお前は夫婦だったんだろうし、もしかしたらガキもいたかもしれない。サキが死んで、逃げるようにお前との婚約を破棄してホウエンから飛び出して行った俺をお前は何度か追い掛けてきた。断っても断っても縋ってくるお前に…俺はどっかで甘えてたんだよ」


「…何よそれ…っ、」


「俺は何度も言ったよな、お前を抱く度に「他の男に目を向けろ」って。…だが、それでもお前は俺を選び続けた。俺はそんなお前を利用して、誰にも向けられねぇ感情をぶつけてた。…それは悪かった。本当ならもっと早くお前を本気で突き放すべきだった」


「…っ……何なのよ…!!さっきから何なのよっ!!」





自分でも驚くくらいに大きな声を出して、その瞬間体は勝手に動いて彼をベッドへと押し倒す。
いつものように、縋っても届かない彼を押さえつけるかのように。
いつものように、いつものように。

それなのに、やっていることはいつもと何も変わらないのに。
どうしてさっきからこの男は自分にこんな顔を見せるのか。

理解が出来ない。
だって貴方はそんな顔をしないでしょう?
私にそんな優しい表情をしないでしょう?
したことがないでしょう?貴方が私に向けるのは同情と怒りの二つ。
その中に優しさなんて一欠片もなかったのに、どうして今そんな優しさを見せるの。





「今まで…っ!!今まで一度だってそんな顔を私に見せたことないじゃないっ!」


「…っ…」


「何なのよ…!!なんで…っ!なんで今になってそんなものを私に向けるの?!貴方が私に向けてたのは同情と怒り!それを痛い程受けてきた私に!今更…っ!!っ…今更そんな感情を向けられて!私にどうしろって言うの?!」


「…悪い」


「っ…!!私は!貴方が私との婚約を断っても!体を重ねてくれるだけで良かったのよ!向けられる感情がどんなものであれ!私を求めてくれるなら何だって良かった!他の女を抱こうが何処に行こうが!結局貴方は私を選ばなきゃならない日が来るって確信してたものっ!だって私は貴方に結婚を断られてから何度だってあった好条件な縁談だって断ってきたんだものっ!それが行き着く先が「老い」で、そんな私を拾う貴方なんて手に取るように分かってた!だから耐えてたっ!」


「……」


「貴方の見せる最初で最後の「優しさ」は!その時で良かったのよっ!!」





ぽろぽろと零れる涙を貴方の頬に落としていくなんて光景、一生こないと思ってた。
だからまさか、貴方のその赤い瞳に、本当の意味で自分が映ったその姿が真上で涙を流す顔だなんて。
なんて馬鹿らしくて、なんてかっこ悪いのだろう。

私の言葉を聞いても何も言わないジンの表情は本気で私を心配する顔。
今まで受けてきた同情から生まれた心配なんかじゃない、優しさから生まれる心配だった。

嫌だ、そんな顔見たくない。
そんな感情も受け止めたくない。
今は、今は欲しくない。
欲しい時の為にずっと、ずっとずっとずっと我慢してきたその感情は、今いらない。


それなのに、それなのに。





「…なぁ、」


「っ…」


「お互い、笑わねぇか。…本当の意味で」





笑う?ふざけるな。
一体どの口がそんな事を言うんだ。
初めて見た時からカッコイイと思って、一瞬で心を奪われてしまってから歯車が狂ってしまった自分に対して言うのは、どんな口だ。

抱かれる度に香る貴方の煙草の匂いが好きで、そんな自分に煙草を吸わせるようになった、その口か?

電話を掛ける度に「もう掛けてくるな」と言いながらも絶対に電話には出ていたその口か?

出会ってから一度だって自分の名前を呼んだことがないその口か?




あぁ…もう、疲れた





「…そんなに…その女が良いの」


「……………あぁ」


「…知ってるわ。あのフエンの新人ジムリーダーでしょ。一度一緒に歩いている所を見かけた時にすぐピンと来たわ。あまりにも貴方の顔が優しかったから良く覚えてる。思わず声を掛けられなかったくらい。」


「…」


「可愛いわよね、彼女。どす黒いものを何ひとつ感じないくらい明るくて真っ直ぐで。…見てるだけで眩しくなって吐き気がする子。…私とは正反対。」





こんなこと思いたくない。
負けたと認めたくない。
ずっと、ずっとずっと一番傍にいたのは、私なのに。

馬乗りになっていた私が退いてから少しの間を開けて起き上がった貴方がいつものライダースを羽織って、簡単な荷物を持って出ていこうとしているこの瞬間に、私は…声を掛けることすら出来ないなんて。

こんな無様な姿、貴方に見せたくなかったのに。





「……前向けよ、リリナ」







俺が出来たんだから。






「……っ………ふふ…っ、……馬鹿ね……」





そんなことを言われたら、認めるしかないじゃない。
ずっと、ずっとずっと一番近くにいた私が、出来なかったことを、させられなかったことを、あの女はやってのけたってことでしょう?

あぁ、もう何も分からなくなってしまった。
今までずっとずっとその時を待っていたのに、来るべき時に、来て欲しい時に一度だけ来れば良かった貴方の「優しさ」が。




「あのカッコイイ患者さん、もうとっくに退院していったでしょう?なんでまだ掃除してないの?」


「え〜?なんか、「暫く時間を空けてやってくれ」って言われたんですよ。あんまりにもカッコよかったんで思わず頷いちゃって…えへへ…」






1人残された、誰も居なくなった部屋のベッドで数十分泣き崩れていた私が帰り道の廊下で聞いた看護婦達の会話の中に混ざっていたなんて、そんなこと。

最初で最後かと思っていたのに、もう一つ「優しさ」があったなんて、誰が想像するだろう。
似合わないことをして、馬鹿みたい。





「本当……馬鹿みたい」





悔しいのに、悔しいのに。
絶対笑ってなんかやらないと思っていたのに。
自分の決意とは正反対にこの唇が弧を描いてしまうなんて、なんて…滑稽なんだろう。

悔しくてどうしようもないから、そうだな…
あんな奴よりももっとカッコよくて、お金持ちの男を探そうか。
人生に二回しか与えてくれない男じゃなくて、死ぬまで何度も数えきれないくらいに「優しさ」をくれる男を。













「…っ、もしもし!」


「おう」


「ジン!あ、あの…!退院したんだよね?…えっと、あのさ!その、元気?!」


「お前よりは元気じゃねぇけどな。まぁ普通じゃねぇの」


「そ、そっか!なら良かった!…で、で?!え、えっと…!何か用事?あ、あた…あたしに何か用事?!」


「…お前本当分かりやすいよな」


「う、うっさいな!」


「まぁその通りで、お前に大事な話がある。夜迎えに行くから待ってろ」




時は夕暮れ。
久しぶりに帰ってきた自分の家の窓から見える景色を眺めながら、電話越しに聞こえた裏返った声で「はい!」と言ったアスナの声に少しだけ笑って半強制的に電話を切ったジンはベランダに出て手摺りに寄りかかりながらゆっくりと煙草に火をつける。


あいつは今頃どんな顔をしているのか、なんて。
そんな簡単な答えはこの、笑ってしまう程に真っ赤な夕日を見ていれば分かることだろう。




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