届いた言葉




「…………………お兄…………………ちゃ…ぁ、」






大切な、
大切にしてた、
大切だった、


たった1人の妹の掠れた声が、
響いて、響いて、耳を伝って目を伝って
身体の全てを伝って脳内へと飛び込んで縛り付ける。

今からでも足を動かして、この場から去ってしまいたいのに。
耳を塞いで目を塞いで、目の前の全てから逃れたいのに、体が一切動かない。
自分の体温が寒いのか暑いのかさえも分からない。

ただ、ただ分かることはもう二度と夢の中でしか見ることがなかった筈の光景が目の前に広がっているということだけ。

大切な妹が、たった1人の妹が、

透明な涙と赤黒い血を流して、過去の自分の頬を必死に撫でる姿を、目の当たりにしているということ、だけ。




「ぁ………!………あ、…はっ、…ぅ…っ!」




何も出来ず、何も出来ず、出来ず。
助けることも、声を掛けることも、何も、何も出来ない中で出来たのは、唯一感じた食道から這い上がってくる何かを口を抑えて押し込めることだけ。



「っ…………!」



身体の一部に触れたからか、一気に全身の感覚がぞわぞわと流れてくるのを感じて、とうとう目の前がチカチカとしだしたジンは失いそうになる意識を保つか、それとももういっそ手放してしまおうかとの二択に迫られる。

もう、どうしてこの状況になっているのかなんてどうでもいい。
ぶっちゃけてしまえば、このまま意識を失って「いつもの夢」として処理してしまえばいいだけの話だ。

分かっている、そうすればまたいつものように起きて、サキに謝りながら何でもない時を過ごせばいい。
死ぬまで誰を愛すことも無く、1人で生きていけばいい。




そう、思っていた。
…今までは。






「ジンっ!!!」





意識を失うギリギリのラインで浮かんできた、うるさいほど赤い女の姿が目の奥でチラついて。

そのチラついていた「赤」が段々と目の奥でなく、本当に視界の中からハッキリと現れたことに気づいたジンは目を丸くする。

何故、ここにいる。




「ジン!ジンってば!!っ、何であんたがここに…!!!あぁもういい!!兎に角しっかりしろっ!!!!」


「っ、ぉ…ま……なん、で…」


「見て!見続けてっ!!サキさんから逃げないで!!」


「っ…は……?」


「いいからっ!ねぇお願いっ!!ちゃんとサキさんを見てっ!!声を聞いてっ!!!」





ここにいるはずのない人物が突然目の前に現れ、自分の両肩を掴んで必死に訴える姿を見たジンはいつの間にか消えていた吐き気と同じように思考さえも消え去ってしまいそうになる。
しかしそれを引き止めたのは泣き腫らした目で自分から一切目を逸らさないアスナだった。

この状況を見て良くそんな事が言える、どう考えても無理があり過ぎるだろう、と頭の中で思っていても、それが上手く言葉に出来ないジンが戸惑っていれば、微かに聞こえてきた妹の声がジンとアスナの会話になっていない会話を止める。





「に…………ちゃ、ぁ、……だ、け………ゆる、ゆ…る、…さ、…さ、ぁ…………な………、」



「っ…!!」





ほら、やっぱりだ。
何が聞けだ、何が見ろだ。
あの時と何も変わらない、そう、これが真実。

だから自分はこの生き方を選んだんだ。
妹がそう望むなら、それでいいと。
でも、それでも自分は報いを受けてでも、死んでから妹の意向で地獄に行ったとしても、それでも…




「お兄ちゃんだけは…許さない…」


「っ…?」




もう、どうすればいい?
この状況をまたしっかりと目に焼き付けて、この言葉をしっかりと聞き入れて、それから目の前のこいつを愛すべきなんだと言うことか。
そんなことは分かっている、だから今現在進行形でいたくもないこんな場所に進んで来たのだから。

そう思って、半ば諦めたかのように軽く笑ってしまったジンの耳に届いたのは、次に聞こえるはずの掠れた妹の声ではなく、ハッキリとしたアスナの声だった。





「し…ぁ、…ぁ、…しあ………わ、…………せ、…せぇ…………な………なぁ、…ぅう…ゆる、…ゆ……さな、」


「…幸せに、ならないと……っ…許さない…」


「…………。」


「お兄ちゃんだけは…っ、幸せにならないと許さない…!!」


「っ…………お…前…」


「お兄ちゃんだけは!幸せにならないと!!許さないって言ってるんだよ!!ねぇ、ねぇ!何で分かんないの?!よく見てよ?!本当に、本当にあんたが勘違いしてることが本当のことだとしたらさっ!!」





サキの言葉の後に続くように、まるで間違えを訂正するかのように言葉を繋げたアスナは目を大きく開いているジンの両頬に手を添える。

そのまま何も言えずに、されるがままのジンの顔を血まみれのサキの方へと向けさせると、まるで「絶対に目を閉じるな」と言うかのように頬に添えている手に力を込めた。





「あんたを、あんたを恨んでいる妹が!!こんな顔する?!」


「っ……!」


「こんな…!!こんな縋るような目でっ…!恨んでいるはずのあんたを見る?!恨んでいるはずのあんたにこんな優しい涙を流す?!恨んでいるはずのあんたの頬を、震えた手を必死に伸ばしてまで撫でる?!しっかりとその目で良く見ろよこの馬鹿野郎っ!!!!」





目の前で泣くのは、自分がもっとも大切だった女。
目の前で泣くのは、自分がもっとも惹かれた女。

涙を流して、事切れて。
涙を流して、必死にそれを拭いとって。

それを見届けた時を見計らったように、濡らさない雨は上がり、空が嫌味な程に青々と広がっていく。
何処までも清々しくて、なんて腹立たしいのだろうか。





「…誰が馬鹿だこの椛頭」


「っ………ジン…………?」





眩しいくらいにキラキラと輝く空に向かって立ち上がって。
目の前でへたり込んで涙をぽろぽろと流している、口が悪くてうるさい程赤く、イラついてしまう程…

好きだと思ってしまう人物に向かって、笑う。





「…心配、掛けちまったな」


「っ、!……っ、ぅ…ん…!ほんと、だよ…!馬鹿っ」





無理矢理過ぎたか、追い詰め過ぎてしまったか。
感情が爆発して、頭より先に行動してしまったせいでジンを傷つけることになってしまったらどうしよう。

全てが終わってからその事に気づいて、少し怯えてしまっていたアスナの目に見えたのは、あの時の彼の笑顔だった。

そう、それは自分が彼に惹かれる原因になった、あの時の笑顔。
「ジンでいい」と、似合わない程優しく笑ってくれた、あの時のもの。





「まぁなんだ…間抜けな面で泣いてるとこ悪いが、俺は帰んぞ。あそこの師長が面倒な女でな」


「…っ、うっさい…!……ん…分かった…っ」




しかし、その優しい笑顔はほんの一瞬で終わり、アスナに背中を向けたジンはさっきの優しい雰囲気が嘘かのようにいつもの減らず口を叩くと、いつの間にゲットしていたのか分からないヤミラミをボールに戻して歩き出す。

そんな後ろ姿を見て、彼のいつもの調子に思わず少しだけ笑ってしまったアスナがゴシゴシと涙を拭えば、ふと後ろから聞こえてきた控えめな足音に気づいて顔を上げた。





「!キンモク、さん…」


「っ……!っ、ジン様ぁっ!!」


「!…………。」





アスナが見上げた先にいたのは、涙で頬を濡らしたキンモクだった。
拳を握り、カタカタと震えながら、詰まっているのだろう声を無理矢理に振り絞って出されたその声は、か細くもとても強い、しっかりとした声。

そしてその声は一切こちらを振り向かずに歩いていたジンの足を止めるには充分だった。





「ジン様!!私は……!私はっ、!」


「……。」


「私は…!私は貴方とサキ様を守れませんでした…!いや、違います!守っていたつもりで、本当に守らなければならない事から逃げていたのです!」


「…なんでお前がそこにいるのかは知らねぇが…お前にとやかく言われる筋合いはねぇんだよ」


「っ!」





キンモクの呼び掛けで足こそ止めたものの、絶対にこちらに振り向くことのないジンは冷たくそう言い放つ。
そんなジンの様子に、やはり怒っているのだと確信したキンモクはたじろいでしまう。

すると、キンモクがたじろいだ事が分かったのだろうジンがまた足を動かして進んでいく姿を見たアスナはこのままじゃ駄目だとキンモクの背中を押すために抜けてしまっている腰を起き上がらせようとするが、それよりも早くキンモクは震えながらもスウ…ッ!と息を吸うと大きな声で再度ジンへと声を掛ける。




「っそれでも!!それでも私は貴方に謝らなければなりませんっ!!全ては私の失言が起こしたことっ!!私があの時に、あの場で関係のない私が口を挟まなければこうはならなかったやもしれませんっ!!ですから…!ですからどうか貴方が1人で抱え込むことだけは!!抱え込むのは…背負うべきなのは私だけなのですから!!だからどうか止めてくださ、」


「っ、気に入らねぇなぁ!!」


「っ…!」





あれは自分のせいだ。
全ては自分が、関係のない自分が口を挟んでしまった為に起きてしまった出来事だったのだ。
だからどうか1人で背負い込まないで欲しい、貴方は何も悪くない。
それを伝えたくて、ずっと伝えたくて、本当の真実を見つけて、それをどうしても証明したかった。
だから自分は何も言わずにホウエンを出て、シンオウへ飛んだのだ。




「っ、ちょっと……ジン!」


「……いえ、これで良いんですよ。アスナ様。」




そしてそれが出来た今、どんなにジンに拒否をされようが、キンモクは引く訳にはいかなかった。
無理矢理になってしまい、こうして「気に入らない」と苛立ちを隠さない大きな声で遮られてしまったが、もういい。

伝えてさせてくれただけで、それだけで自分は満足だ。

ジンを止めようとしたアスナに一声掛け、微笑んで見せたキンモクは屋敷の中へと戻ろうとする。
そんなキンモクを見て、本当にこれで良いのかとアスナがジンの方へと向いたその時だった。









「……お前も、家族だろうが」









その言葉の意味を考えさせる間も与えず、バサリと大きな音を立てて、離れたこちらにまで風を届けて飛んで行ったウォーグルが空の向こうで小さくなっていくのを唖然と見ていたアスナは、暫くして後ろから聞こえてきた音に可笑しそうに笑うと、やっと体を起こして後ろを振り向く。

そして、
片手で両目を覆い、歯を食いしばって体を震わせているキンモクの背をそっと擦るのだった。


そっと、優しく。
彼が流す嬉し涙が落ち着くまで、ずっと。




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