一番良いと思うこと





「何を馬鹿なことを言っているんだサキっ!!あいつに何を吹き込まれたんだ!言ってみろっ!!」


「どうしてそうやっていつもいつもいつも!!何でもお兄ちゃんのせいにするのっ?!」


「お前が狂った事を言っているからだっ!なんだ?あいつは自分の妹を誑かしたのか?!なんて悪趣味な奴なんだ!!それとも何か?!これも俺を困らせたいだけの嫌がらせか?!あいつはどれだけこの俺の邪魔をすれば気が済むんだ!!」


「っそうよ!きっとあの子がサキに何か吹き込んだんだわ!そうでなくては頭の良いこの子がこんな訳の分からないことを言うはずないものっ!!あの時やっぱり養子になんてしなければこんなことには…っ!!あぁ…っ!あぁサキ!!目を覚ましなさいっ!!」


「目を覚ますって?!目を覚ますべきはどっち?!お兄ちゃんは…っ!!お兄ちゃんは!!!血の繋がりもない私を本当の妹として接してくれたっ!!お兄ちゃんなりに愛情をくれてた!!!お父さん達を困らせてたのは!私のためだよ!!私にやりたいことをさせるためにっ!!悪趣味?!嫌がらせ?!養子にしなければ良かった?!出てくる言葉は全部全部全部全部全部全部なんでもお兄ちゃんのせいっ!!!お兄ちゃんはお父さん達の都合の良い道具じゃないっ!!」


「っ、あいつを養子にしたのはな!跡取りが欲しかったからだ!!中々子宝に恵まれなかったから、たまたまエンジュの孤児院で見掛けたあいつを養子にしたまでのことっ!!確かに出来は良い奴だ!勿論きっちりとしていればな!!それがどうだ?!やっとのことでお前が産まれて暫くして!急に盾突くようになって俺の邪魔をするばかり!!お陰で俺達の計画が全部無駄になったんだ!!それを責めて何が悪いっ?!」


「なんなのなんなのなんなのなんなの?!?!あぁあぁあぁあっ!!!!もういい加減にしてよっ!!!!」





言葉が、出てこない。
目の前で繰り広げられている光景があまりにも壮絶過ぎて、言葉どころか涙まで引っ込んで、血の気も引いて。



寒い、と思った。



それは、思わず両腕で自分を強く抱き締めてしまうほどに、寒くて、寒くて、氷のように冷たい感情を抱いてしまって。




「これも!これもっ!!これだって!!全部全部全部!!お父さんとお母さんの自分勝手で身勝手なやり方で集めたお金で買ったただのガラクタ!!!」


「?!何をするんだサキっ!!!」


「うあぁあぁあぁあああぁぁあぁ…っ!!!!」




これも、これも、これも。
可愛らしい大きな瞳から嵐かのように荒々しく涙を流して、
年頃の女の子らしい高い声が痛々しく枯れてしまう程に大きな声をあげて。

突然、部屋に飾ってあるありとあらゆる骨董品達を床に叩きつけていくサキは、まるで壊れてしまった人形のようだった。

激怒した父に押さえ付けられ、豪華な絨毯に顔を埋めさせられても尚、その小さな口からは想像も出来ない程に悲惨な叫び声をあげているのだから。




「…く、……っ、ふ………ぅ…!!サ……キ……っ、様…!」


「…っ、………」





ふと。
こんなに騒いでいる空間の中でも聞こえた、今一緒にこの光景を目の当たりにしているキンモクの必死に耐えるようにすすり泣く声が聞こえて、たったそれだけのことでもお陰でやっと自我を取り戻したかのような感覚を覚えたアスナは、その震えている彼の腕にそっと自分の手を乗せる。

大丈夫、大丈夫。

口では言わないけど、言えないけど。
それでも自分が隣にいるから、一緒に受け止めるから。
せめて、せめてその気持ちが伝わるようにと。

そしてその気持ちは無事に伝わったのだろう。
カタカタと震えながらもその手に自分の手を重ねてきたキンモクは決意をしたかのようにゆっくりと深呼吸をする。
それに釣られるようにアスナも深呼吸すれば、その次に聞こえたのはサキを押さえ付けている父を止める母の声だった。





「貴方!やめてください!!これも全部あの子のせいなんですっ!サキに傷でもついたらどうするの!!この子は私達の本当の娘なのよ?!」


「っ、本…当…の………って……」


「っ…しかしな!またいつ暴れ出すかも分からないっ!こうなったらキンモクを呼び戻して無理矢理にでも部屋に閉じ込めて…!!」


「そんなことしなくても!原因のあの子はもう例の家に婿養子にすると決めたのですから!流石にこの子だって諦めがつくに決まってるじゃない!!」


「……………ぇ………?」





母親のとある一言で、今まで荒ぶっていたのが嘘かのようにピクリとも動かなくなったサキは流していた涙さえもとめて、まるで何を言っているのか分からないと言ったような表情を母親に向ける。

その様子を見たアスナとキンモクはその理由が直ぐに分かっってしまった。

つまりサキは、ジンが見合いをする事を知らなかったのだ。
しかもそれは、もう決まっているも同然のもの。
あの時彼女に聞こえていたのは、ジンと自分が血の繋がっていなかったという事実だけだったのだと。

それが、それがどれだけ彼女にとって…





「大丈夫よサキ。落ち着きなさい。あの子に変な感情を抱いてしまったとしても、彼はもう良いお家柄のお嬢様と結婚するの。その事実があれば、貴女もすんなりと諦められる筈よ。後は時間が解決してくれるわ。貴女の傷も、この家の資産も。これで何もかも、安泰するのよ。」


「し………さ、ん……?あん、た…い?」


「あいつはな、俺が出した条件を飲んだんだよ。だからお互い同意の上だ。無理矢理ではない。」


「そうよ、結婚する代わりに貴女の趣味も今度からは好きにやらせてあげるって約束したわ。お金のことなら大丈夫、あの子が婿養子に入る所は資産家なの。だからこの家に多額の支援もして下さるそうだから。」






彼女にとって、あまりにも…酷な話。





「……え?…え?…な、に…それ………」


「そういうことだ。これで全部が上手くいく。だから目を覚ませサキ。」


「………うま、く……いく?…え?何が?……あはは、…何?つまりお兄ちゃんは……私のために、会ったこともない、何も知らない、……好きでもない人と結婚するの?」


「あいつのことだ、上手くやれるだろう、お前が心配する必要はない。」


「………ねぇ、ねぇそれ…さ、……お兄ちゃんの、幸せ…は?」


「?何言ってるのサキ…?あの子はこの条件を二つ返事で飲んだのよ?それに、サキのことは本当に大切にしているようだったから、あの子にとっても良い話じゃないの」


「……良い…はな、し………そう……お父さんお母さんには、これが一番良いと思ったんだね……それから、お兄ちゃんも………」




淡々と進んでいく話の中で、いつの間にか父親からの拘束が解かれていたサキはゆっくりと立ち上がると、静かながらもはっきりとした口調で自分の両親に問い掛ける。

その様子に、疑いもなく首を縦に振った両親をその目で確認したサキは、先程の荒々しさを忘れてしまうほどにしっかりした足取りで窓へと歩いていく。




「お父さんとお母さんが、お兄ちゃんが。……それが一番良いと思ってやったのなら、私も自分が一番良いと思うことをしてもいいよね。」


「……サ、キ……?」


「……私は………………私にとって、一番良いと思うのは………………」





お兄ちゃんが幸せでいてくれることだから。

邪魔する荷物は、要らない。














「……………っ……は……?」




自分を一切濡らさない、不思議で何処か懐かしい雨が降っている中で。
ゆっくりとだが確実に屋敷へと進んでいたジンの目の前に現れたのは、まるで鏡。
鏡と言ってもそれは本当に鏡ではなく、正しく言えば鏡を「見ている」ようだった。

急ぎ足でこちらへと近づくそれは、俯いている為にどんな表情をしているのかまるで分からない。
しかしその表情は見えなくてもジンには手に取るように分かってしまった。

だって、だってこいつは、






「……………俺………」






忘れもしない、あの時の…自分の姿だったから。





「っ………んだよ、これ…どう、な………っ、て……」





やめろ、やめろ。
来るな、くるな。近づいてくるな。

近づいてきたら、それ以上こちらへと進んだら、その先は。


嫌な予感とは本来、こういう時に使うべきものなんだろう。
しかしそんな予感は自分には出来そうにもない。
そんな悠長な事さえ考えられないほど、今のこの場所は、景色は。

この次に起こることは、






ドシャ……………ッ、






激しい雨が降っていた中で。
大きな雷が鳴っていた中で。
グシャグシャに煩く音が鳴っていた中で確かに聞こえた、この音。





忘れもしない、忘れられない。
いくら消し去ろうとしても消えなくて。
いくら辛くても決して消してはいけなくて。

雨が降る度に夢に現れて。
その度に鮮明に記憶に刷り込まれて。

一度だって一度だって忘れたことがない、






「…………………お兄…………………ちゃ…ぁ、」






大切な、
大切にしてた、
大切だった、


たった1人の妹の掠れた声。




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