伝える為に




「……ミィ?」



生まれた時からずっと暗い場所にいたせいかカーテンから漏れた僅かな光でパチリと目を覚ましてしまったヤミラミは、自分の下で静かに寝息を立てているご主人の顔を見上げ、自分が彼の胸板の上で寝ていたことを実感してヒヒ、とこっそり笑って見せる。

ポケモンといえど、ヤミラミも立派な女の子。
好きな人が相手ならばこの状況に嬉しくなるのも無理はない。
そんなヤミラミがジンを起こさないようにと静かに彼の体の上から降りれば、何処からかふわりと「何か」を感じて後ろを振り返る。




「……ヤァ?」




はて。
何故誰もいない病室から何かの気配を感じるのだろうか?
振り返った先に感じる何かの気配に対して首を傾げ、凝視する様に目を凝らしたヤミラミは眩しい光の中から僅かに見えた華奢な手が「こっちだよ」と手招きをしていることに気づく。

これはつまり、この良く分からない何かに着いていけということなのだろうか。

この気配から全く「悪意」を感じないこともあって、着いていくこと自体は別に構わなかったヤミラミだが、それよりも何かに引っかかるかのようにベッドの方へと視線を向ける。





「………」





視線を向けた先で、未だに寝ている主人を見て。
何故か自分だけでは駄目だと思ったヤミラミはその小さな両足に力を込め、床を蹴って高く高くジャンプをした。

















「………準備は良いですか、キンモクさん。」


「………っ、はい。……では…いきますよ。」






所変わって。
早朝から起きて各々支度を整え、事件があったジンやサキの両親の部屋へと足を踏み入れていたアスナとキンモクは覚悟を決めてお互いに頷きあうと、アスナが窓辺に飾られていた時間の花へと手を伸ばして両手に抱える。

それに向かって両手をかざし、スゥ…と息を吸って呼吸を整えたキンモクは指先に意識を集中させ始める。

暫くして現れた淡い光は段々と色濃くなり、それに呼応するかのように時間の花がキラキラと光始めれば、その光は四方八方に広がって部屋中の壁や床を不思議な光で包んでみせた。





「……う…わ…っ!」


「……成功したようですね…」





光に包まれた部屋全体がゆらゆらと波打ち、古ぼけていた筈の壁や床、家具…色褪せた絨毯達が新品かのように変わって行く光景を目の当たりにし、確かに「時間が戻っている」感覚を覚えたアスナは思わず声をあげる。

その隣で、成功したことに複雑な心境といったキンモクの、普段は穏やかなその表情が険しくなった瞬間。

光の中から数名の人影が現れると、それは色と形を成してアスナ達の目の前に現れた。





そう、そこに現れたのは





「……まさに…あの時の光景……ですね。……やはりそうでしたか…」


「………サキ、さん…………」





アスナがその目に映したその色は、決して初めて見る色ではなかった。
だってそれは、数時間前に見た色だったから。




それはハッキリとした、鮮やかなツツジ色。






(お願い、助けて、本当の言葉を届けて)






自分に、泣きながら一生懸命に言葉を繋いで、伝えてきた、

あの、サキさんの色だったから。







『血が繋がってなかっただなんて、そんな…っ、そんな事知っちゃったら、私…私…っ、』






そんな娘が、自分の目の前で。
ジンに想いをぶつけて、泣き崩れる様子が流れるのを、アスナはいつの間にか流れていた大粒の涙を拭うことさえ忘れてしまう程に必死に見つめていた。

逸らしてはいけないと思ったから。
ちゃんと見届けないといけないと思ったから。

確かに、確かにサキが存在していたことを、伝えていた事を、何一つ取りこぼして仕舞わないように。

例えそれが…どんなに悲しく、残酷だとしても。














「っ…ゲッホ…お前…っ…朝っぱらから何なんだよ急に…」


「ヤミ!ヤミヤミラァ!」


「何言ってっか分かんねぇっつの。…ったく、あの堅物師長を説得すんの、かなり精神削ったんだからな…はぁ、二度とやりたくねぇ。」





アスナとキンモクが何をしているか、その前にまずキンモクがホウエンにいることすら未だに知らないジンはあの後、腹部に思いっきりヤミラミからの懇親のダイブを食らって叩き起され、訳も分からないままウォーグルの背に乗ってヤミラミの示す方向へと空を飛んでいるところだった。

人間とポケモンじゃ、言っていることも伝えたいことも上手く分からないまま、取り敢えず外を指さして騒いでる事だけは分かって、騒ぎを聞きつけた師長がご立腹な様子で




「今度は何なんですかっ!!!」




…と病室に乗り込んで来たのは少し前のこと。
正直、どちらかと言えば自分は被害者側なのだと思うのだが、前日に手持ちに加わったにしろ、流石に自分の手持ちであるポケモンの要望を無視するわけにもいかなかったジンはなんと。


したくもない優しい微笑みを師長に向け、甘い言葉を吐いたのだった。


その途端に皺を寄せていた彼女の眉間はみるみる内に力を無くし、それは言葉さえも無くして放心状態。
暫くして「す、少しだけなら許可します」と真っ赤な顔をしながら言われたので即座にそりゃどうもとこうして外出する事に成功したわけである。

ちなみにどんな甘い言葉だったのかは、彼の親友2人が言いそうな事、とだけ言っておこう。





「…おい、そこに降りんならお前だけ行けよ。」


「ミィ?」


「俺はここで待ってっから、とっとと行ってこい。」


「?!ヤァーーーーッ!!!!」


「だから嫌じゃねぇんだよ!お前の言ってることはぶっちゃけそれしか分かんねぇわ!行かねぇっつの!」


「ヤァーーーーッ!アァーーーーッ!!!」





自分で自分が先程言ったことを思い出し、気持ち悪くなっていたジンだったが、ふと見えた見覚えのある…いや、正確に言えば忘れたいと思っていた場所にヤミラミが行きたがっている事に気づいて、一気に顔色を悪くさせて自分は行かないと断りを入れた。

しかし、ヤミラミはどうしてもジンに着いてきて欲しいのだろう。
行かないと言った途端に抱き着いているジンの胸板をポカポカと叩き、やだやだと駄々を捏ね始める。

駄々を捏ねても行かないものは行かないのだと少し怒鳴れば、ヤミラミはそれでも折れず、挙句の果てにはジンをウォーグルから無理矢理降ろそうと必死に彼の腕を引っ張り始めた。




「うるせぇっつの!っ、おまっ、どっからその力出て…っ!!…あぁーっ!ったく!大体!こんな場所に何の用が………」




そんなジンとヤミラミのやり取りに落としたら危ないと判断したウォーグルが慌てて地面へと降りた事に更に機嫌を悪くしたジンが一体何なんだとチラリと視界の隅にその建物を入れた途端。
怒りを露わにしていたその表情は一気に変わり、目を見開いて今度は怒りが驚きへと変化していた。

何故か。
それは、今まで晴れていた筈の空から雷雨に変わっていることもそうだったが、不思議なのはそれよりも。
その雨が一切自分を濡らさないという事。
そして何より…





「…何だ…この光…」





あの場所が、建物が。
…自分が、成人するまで過ごしていた場所が。

妹との思い出が、世話になった人との思い出が。

嫌なことも楽しいことも沢山詰まった、この、屋敷が。



淡く光を帯びて、荒れ果てた様子も一切感じさせずに当時のままそこに佇んでいるのだから。






「!ミィ!ヤミヤミ!」


「っ………!おい、ヤミラミ…」


「グルルゥ…」


「……はぁ?ウォーグル…お前まで…………はぁ、……分かった。行きゃぁいいんだろ。」






当時のまま佇んでいる、実家と言えば実家である屋敷を目の前にして、言葉を失ってしまっていたジンのブーツを掴んで早く早くと引っ張り始めるヤミラミの行為で我に返ったジンは止めさせようとヤミラミを抱え上げる為に両手を動かすが、それよりも先に後ろにいたウォーグルが頭で軽くジンの背中を押す。

つまりそれは、ウォーグルも行って来て欲しいと言っているのだろう。

ヤミラミだけでなく、とうとうウォーグルにもお願いされてしまったジンは、やっと覚悟を決めて降参だとヤミラミに伸ばそうとしていた筈の両手を上げてみせる。





「!ミィー!」


「…はいはい。分かったから引っ張るなっつの。」





一体、何がどうなっているというのか。
何故ヤミラミは自分をここに連れて来たがったのか。
訳の分からない事だらけで理解が追いつかないが、それでももうジンは自分の足にしがみついて急かしてくるヤミラミに対して負の感情は抱かなくなっていた。

きっとこれが、今までと何も変わっていないままの自分なら例えウォーグルだけでなく、グラエナやバシャーモにまで背中を押されたとしても、絶対に行かなかっただろう。


それを、渋ったにせよ、この屋敷へと足を進ませた…
本当に背中を押した理由は、きっと。






(マジだよ!振られたからなんだっての!それで終わりじゃないし、また何度でもやればいい!諦めなきゃいつまでも終わりじゃない!好きなんだから仕方がない!うん!我ながら名言!)





壁を張っても、突き放しても。
決して寄り道する事も小細工をすることも無く。
ただ真っ直ぐに、丸腰でぶつかってきたあいつに。

どこか懐かしくて、眩しくて、妹と同じだと思っていた感情がいつの間にか自分が一番感じてはいけない感情にさせてしまったあいつに。





「……アスナに、向き合わねぇと…な…」





なぁサキ。
お前とした約束は、2つあったよな。


いつまでもお兄ちゃんらしくいてね

お兄ちゃんだけは幸せになったら許さない


今まではな、どっちも守ってきたつもりだったんだ。
俺らしく生きてきたつもりだし、お前が傷つかないように誰かを真面目に愛することも絶対にしなかった。


いつか死んで、お前のところに行くまでずっと、それでいいと思ってたんだ。



でも、



「……許してくれるか……サキ…」





突発的じゃなくて、曖昧な意味じゃなくて。
ちゃんと、真っ直ぐに気持ちを伝えたい奴が、出来たんだよ。





お前が好きだって、言わなくちゃいけない奴が。



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