確かな兄妹
それはジンが成人してすぐの事。
いつもよりも遥かに真剣な様子の両親に呼び戻されたジンは、サキが部屋で勉強をしているのを見計らったタイミングでサキを除く全員で父親の書斎にあるソファへと座っていた。
「…で?わざわざ呼び出してまでする話って何だよ。下らねぇことなら俺は帰るからな。」
「お前も気にしているだろう、サキの今後の話だ。」
「…。」
毎度毎度、自分達の言うことを聞かないこともあってなるべくなら関わりたくもないと思っている筈の両親がわざわざジンを呼び出した理由。それはこの場にいる誰もが各々願っている事があるだろうサキのことだった。
それまでは今すぐにでも帰りたそうにしていたジンも、「サキの今後のこと」と言われた途端に不機嫌ながらも目の前に座っている父親と目を合わせる。
「どうせお前が何か余計な事を言ったんだろう、デザイナーになりたいなど訳の分からんことを言い始めて…昔は私達の言うことを聞く素直な子だったのに。」
「…チッ、結局その話か。てめぇらの駄々は聞き飽きたんだよ、気分悪ぃ…俺は帰る。」
「話は最後まで聞け。…お互いサキを大切に思っているのは同じだろう。なら取り引きをしようじゃないか。」
「…はぁ?」
一度は帰ろうとしたジンを止めた父親の口から出たのは「取り引き」という言葉。
普通に考えたら、家族である筈の間柄にこんな言葉が出ること自体が可笑しいのだが、皮肉なことにこの家族にはそのやり方が一番やり易かったのだろう。
話が本題に入るこのタイミングでそれぞれに飲み物を用意したキンモクはそんな事を考えて心の中で悲しそうにため息をついていた。
「サキに、デザイナーの道を歩ませてやっても良い。」
「…何を企んでる。」
「まぁ聞け。…お前にこんな事を言うのは癪だが、ここ最近から我が社の経営が傾いてきている。本来なら今すぐにでもサキを何処かの資産家に紹介して付き合いを増やしたい所なんだが…生憎そんなサキには夢がある。…頭のキレるお前なら、後は分かるだろう?」
「っ………らしいやり方だな。納得したわ。相変わらず反吐が出る。」
「…ご、ご主人様…?!それは、つまり…っ?」
父親の話を聞いて、すぐに目の前の両親が自分に何を求めているのか察したのだろうジンは行動に移さないものの、その表情は軽蔑を色濃く表したものだった。
そんな様子を見て、こちらもこの両親の言いたいことを察したのだろうキンモクも、あまりのことに思わず口を開いてしまう。
そんな、そんな考えが浮かぶものなのか?
仮にも彼らはジンが養子と言えども親ではないのか?
まるでこれではサキを人質にとっているようなものではないか。
「…相手は。」
「ジン様?!」
「黙ってろキンモク。これは俺とこいつらの話だ。」
「……そういうことだキンモク。…有難い事に、相手の娘さんはお前の容姿を大層気に入っているようだ。趣味のバイクのことも好きにやっていいとまで仰って下さっている。この日を空けておきなさい。こちらに招く準備は整えてある。」
「…随分と準備が良いんだな。……その日の午前にはまた顔を出す。それで文句ねぇな。」
「あぁ。取り引きは無事に成立だな。…もう用はない、何処へでも行きなさい。」
何だこの話は。これが本当に家族の間でする話なのか。
可笑しい、可笑しいだろうこんな事。
自分はこの家に仕えているだけの人間。口を出すなと言われるのが当たり前だ。
分かっている、分かっているが、それでもこんな事、自分は望まない、望めない。
(お兄ちゃん見て見て!花冠作ったの!凄いでしょ!)
(おー。すげぇ不格好な花冠。)
(上手に出来たもんっ!!!あ!こっちはキンモクさんにあげるね!3人でお揃いなんだよ!)
(私にもですか…?っ…サキ様…!ありがとうございます…っ!)
(あんま泣くと枯れるぞジジイ)
(もうお兄ちゃんっ!!)
サキがまだ小さな頃に覚えたての花冠を作ってくれたあの時。
不格好と言いながらも3人でお揃いの花冠を頭に乗せられたままでいてくれたジンを嬉しそうに見つめ、こっちこっちと自分を呼び出してコソコソと耳に小さな声で言ってくれたあの言葉が、くすぐったそうに頬を染めて笑ったあの笑顔が、
(私ね、大きくなったらお兄ちゃんのお嫁さんになるんだ!)
くっきりと浮かんでしまって。
「っもう止めてくださいっ!!貴方達は、「家族」でしょう?!!」
そう叫んでしまった。
間に入って良い筈がない、口を出す身分でもない。
そんなことは痛い程分かっていた。
分かっていたから何年も何年も目の前で見てきて、何度も何度も飲み込んできたんだ。
でも今まで飲み込んでいられたのは、どんな状況であれこの兄妹が幸せそうにしてくれていたから。笑いあってくれていたから。
それが崩れてしまうのなら、もう飲み込む理由なんて何処にも無かった。
「っキンモク、言葉が過ぎるぞ…お前らしくもない。」
「私は!今までずっと御二人の笑顔を見守って参りました!その中に入れてくれもしました!その空間が壊れてしまうというのなら、私は…っ!私はいくらでも口を出させていただきます!」
「っ…俺はこいつらの養子だ。家族でも何でもねぇよ。サキのことはどうあれ、端から似たような形になるのはガキの頃から覚悟してたんだ。お前が気に病む必要は何処にも…」
「養子だから何です?!貴方達がそう言うのなら、百歩譲って親子の関係はそこまでなんでしょう!でもジン様、それでも貴方は、サキ様だけは本当の妹だと…家族だと思っていますよね?!だからこんな話を飲み込むんですよね?!それなら…それなら貴方様がそれをなさったことで、サキ様がどう思うか!それをお考えですか?!」
「…それは…っ」
感情が爆発しているのが自分でも分かっていた。
最初は口を挟むなとイラついていた3人の表情が複雑な気持ちのものに変わっていく様子もしっかりその目で見て頭の中で理解していた。
それでも言葉は止まらなくスラスラと口から飛び出して、もう自分でもこれからどうやってこの感情を鎮めて黙るかなんて一切の方法が浮かばなかった。
しかしそれをあっさりと止めたのは、止めてしまったのは…
「ねぇそれ…どういう事…なの…?養子って……誰、が…っ?」
カタカタと震えながら、絞り出すように言ったのだろうそのか細い声が面白いくらいに耳に入って、その場にいた者全ての顔を青くさせたことは今でも鮮明に覚えている。
言い争いが始まって、誰もが取り乱して、テーブルがひっくり返る音、コーヒーカップが無残に割れる音…様々な音が汚く混ざりあって不響和音になってしまったその中に響いた確かなやり取り。それは、
「今までずっとずっとずっと抑えて来たのにっ!養子?!血が繋がってない?!兄妹じゃない?!なんで…なんでそんな事を今知らなきゃならないの?!」
「サキ!何を訳の分からないことをっ、」
「血が繋がってなかっただなんて、そんな…っ、そんな事知っちゃったら、私…私…っ、」
お兄ちゃんがずっとずっと好きだったって気持ち、抑えられる訳ないじゃないっ!
不響和音が響いていた部屋が嘘のように静まり返る中で口を開いたジンのその音が、皮肉な程にハッキリと響く。
「血が繋がっていようがなかろうが…お前は俺の「妹」だ」
「っ…!!」
「ジン……様…」
「…っ、分かってるよ!諦めなきゃいけないことなんて!どうせ叶わないんだって!好きになっちゃ駄目なんでしょ?!分かってるよそんな事!自分が一番良く分かってる!」
「……っ、」
「………何で………何でお兄ちゃんなの…?何で妹として生まれて来ちゃったの…?こんな思いをするなら……生まれて来なければ良かった…っ、」
「……ごめんな。」
「っ…!」
両親も、キンモクも、そこに確かに存在する兄妹以外の物全てが体を動かすどころか指一本動かすことすら叶わなかった中で、ぽろぽろと大粒の涙を流す妹の頭をぽん、と優しく、それでいて寂しげに撫でた兄は一言の謝罪以外に何も言わずに出て行ってしまう。
残された妹の泣き叫ぶ声と、その両親の狂ったような罵声が響く光景を、まるでテレビでそれを見ているような感覚に陥ったキンモクは…
「っ……ジン様!!」
当然の如く、その見たくもないテレビの電源を消すように…
「…私は…っ、卑怯者の私は…あの場所から一刻も早く逃げてしまいたかったのです…取り乱して、その切っ掛けを作った張本人であるくせに…」
「………っ、」
「…あの後、私は階段を駆け下りて、出て行ってしまったジン様を追って外に出ました。そこにはダイゴ様とミクリ様が激しい雨が降る中、傘をさして門の前で待っていて、私は咄嗟に御二人にジン様の足を止めてくださるように声を掛けたのです。」
「………それで……どうなったんですか…?」
「…御二人は訳が分からない様子ながらもその時のジン様に声を掛けようとして下さいました。しかしそれは、ジン様の耳に届くことは叶いませんでした。……何故なら、何故ならその瞬間に、」
ドシャ……………ッ、
激しい雨が降る中で。
大きな雷が鳴る中で。
グシャグシャに煩く音が鳴る中で確かに聞こえた、何かの音。
動揺を少しでも緩和する為にと取り出していた煙草とライターを手に取ったまま、背後でそんな音が聞こえたジンは、まるで人形のように表情を無くして体が固まってしまう。
血の気が引き、心臓が動く感覚すら無くして、頭の中では絶対に振り返ってはいけないと分かっていた筈なのに、大粒の雨が自分の後ろから川のように流れているその色が、透明からある色が混ざり始めたその瞬間。
体は面白いくらいに、ゆっくりと後ろを振り返って…
「…………………お兄…………………ちゃ…ぁ、」
「……………サ…………、…キ………?」
振り返った先にあったその「ある者」はまるで地面に落ちた洗濯物のようだった。
これはなんだろう、どうして言葉を発するんだろう。
どうして妹と同じ色をしているんだろう。
咄嗟に手が伸びて「それ」を抱えてしまったけれど、
どうして、
どうして「それ」から赤い何かが流れているんだろう。
どうして自分の手にもそれがついているんだろう。
「…あ、…………あ、」
「に…………ちゃ、ぁ、……だ、け………ゆる、ゆ…る、…さ、…さ、ぁ…………な………、」
「はぁ、…あ………あ…っ!」
「し…ぁ、…ぁ、…しあ………わ、…………せ、…せぇ…………な………なぁ、…ぅう…ゆる、…ゆ……さな、」
なんで。
なんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんでなんで。
(お兄ちゃんだぁいすきっ!!)
なんで。
あの笑顔をした妹と同じ顔が、同じ体が、
赤い何かでべたべたになって、その小さな細い手が、こちらの頬を掠めて、地面に、落ちて。
いつも自分を映していた緑色の瞳が、
いつもキラキラしていたあの瞳が、
どす黒く、曇る。
「……あ、ああ…あ、あぁああぁああぁああぁあぁぁあァァァァアッ!!!?!?!」
絶望の悲鳴の中で聞こえたのは、バシャバシャという何人かの足音と、叫ぶように救急車を手配する親友達の声。
いつまで叫んでいたのか分からない。
いつまで抱き締め続けていたのかも分からない。
ただ、確かに分かったことは
いつの間にか駆けつけていた救急隊員の口から出た、
「死」
という確かな言葉だけだった。
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