ピアスと刺青




病院から走ってきて五分足らずでとある場所に到着したアスナは自分が雨に濡れてしまったことよりもその建物に明かりが灯っているかの方が何倍も気になっていたようだった。

いつの間にか薄暗くなってきた空間に立ち、肩で息をしながらただ一点を見つめていたアスナは祈るように目を細める。

そして次の瞬間、沢山ある窓の中から一つだけぼんやりとした明かりが灯った瞬間にアスナは弾かれたように再度足を走らせた。




ダダダダダダ…



「キン、」



ダダダダダダダダダダ…



「モク、」



ダダダダ…ダンッ!!!バァンッ!!



「さぁーーーーーーんっ!!!」


「ぎゃあぁぁあぁぁぁぁあ?!?!あ、あぁあ、アス、アスナさんっ?!ごごごご、ごき、ゴキゲンヨウ!!!い、如何…な、なさいなさいまし、ましたかな?!?」





心の中でお邪魔しますと念じ、灯りがついた部屋へ一直線に向かって行ったアスナは扉を勢いよく開ける。
その突然過ぎる事態に部屋の中にいたキンモクは身体を硬直させて大声をあげてしまった。

しかし彼は長年務めていた執事の経験とプライドがあるのだろう、バクバクと暴れ回り今にも口から飛び出しそうな心臓を無理矢理押さえ込んで何とかあいさつをこなしたものの、その手に持っているものをつい落としそうになってしまった。




「あぁっ?!」


「おっっと!!!…ふう、せ、セーフ…!」


「!!ありがとうございます…っ!ははは、二度目ですな。…それで?そんなに慌てていらして…一体どうしたのですか?」


「突然ごめんなさい、ちょっとキンモクさんに聞きたいことがあって。…というかこれは何ですか?…えっと…花?みたいだけど…」




落としそうになったものを、初めて出会ったあの時のようにキャッチしてくれたアスナにお礼を言ったキンモクは、目の前にいるアスナに一体どうしたのかと聞く。
それに答えようとしたアスナだったが、それよりも自分の手の中にあるこの鉢植えが気になってしまったようだった。

鉢植えに入っているのだからやはり花、なのだろうか?
先端にかけて赤みを帯びている花弁はまるで渦を巻いているような形で、どこか懐かしいような、神秘的なような、不思議な雰囲気を感じさせる。




「あぁ、それは…時間の花です。」


「…時間の花…?」


「はい。…それは生前にサキ様が大切にしていた花で…枯らさないようにと私が持っていたのですよ。しかし、その……いつ「見る」べきか、と…」


「見る?見るって…何をですか?」




どうやらアスナの手の中にあるこの花は「時間の花」というものらしい。そんな名前の花は初めて聞いたとまじまじそれを見ていたアスナだったが、キンモクからの良く分からない言葉につい首を傾げてしまう。

その様子に珍しいので無理もありませんと困ったように笑ったキンモクはアスナから時間の花を受け取ると窓辺にコトン、と優しく置いてゆっくりと話し始めた。





「この時間の花というのはかなり珍しいものでしてな。その名前の通り「時間を見せてくれる」花なのですよ。」


「時間を…?」


「はい。といってもそれには条件がありまして…波動という特別な力を注がねばならないのです。サキ様が大切にしていたこの花が、一体どんな時を見せてくれるのかずっと気になっていましてね。」


「波動…ですか…」


「ええ。そしてシンオウの地に、その波動を使える波動使いと呼ばれる方がおりましてな。…サキ様が亡くなって、この家に誰も居なくなってしまってからはそちらの方へ仕えていたのですよ。お給料を貰わない代わりに御教授願いたく。」


「…もしかして、キンモクさん…」


「はい。その方から波動を習っておりました。数年程経ってしまいましたが、この花に注げる程の力は得ましたので、こうしてホウエンに戻ってきたのですよ。そのすぐ後です、貴女に出会ったのは。」




お恥ずかしいと言ったように笑って話し出したキンモクの過去の話を聞いたアスナは目を見開いた。
ジンがホウエンから姿を消したのは五年前、つまりサキちゃんが亡くなったのも五年前、その後この家の家族はみんな散り散りになって、誰もいなくなって…それでも、

残されたキンモクは、1人でずっと頑張っていたんだ。

その花が何を見せるのかも分からない、出来るかも分からない、それでもきっと…





「……頑張って…いたかったんですね…」


「………はい。」





優しく、困ったように笑って頷くキンモクに応えるよう頷き返したアスナはキンモクの手が震えていることに気づくとそっとその手に自分の両手を添える。

その暖かい温もりに包まれたキンモクは少しばかりきょとんとした顔を見せると、貴方には敵いませんねと優しく微笑んでこう言った。




「…少しばかり昔話を聞いてはいただけませんか。」

















「やだ!お兄ちゃんと旅に出るっ!!」


「止めなさいサキ!変なこと吹き込まれたらどうするの!」


「お兄ちゃんはそんな人じゃないよお母さんっ!何でみんなお兄ちゃんにそんなに冷たいの!お兄ちゃんが何したっていうの?!」


「あんな出来損ないに冷たくして何が悪いっ!折角チャンピオンになれたかもしれないのに飽きて止める!見合いも断る!それにバイクになんて乗り始めて…本当にガラの悪い、この家の事を何一つ考えない奴なんだぞ?!」


「お兄ちゃんはお父さん達の道具じゃないっ!」





この家でこんなやり取りをするようになったのは、サキが十を越えた頃からだった。
小さい頃から五つ離れている兄にべったりだったが、それくらいの年齢になれば、その大好きな兄が家族から孤立している事に気づいても不思議ではない。

サキは兄のジンが本当に大好きだった。
良く執事のキンモクにジンの話をしては頬を染めて笑顔になっていた程に。

キンモクが仕えているこの家の当主はまだ二代目で、まだ色々な基盤を作らなければならない状況だった。
それ故にジンやサキには勉強は勿論、経済のことや上級階級で使うような作法、立ち振る舞い、そんなものを覚えさせることに両親の心は集中していたのだ。





「あいつが手を焼かせるからその分お前への教育が不十分になるんだ…全く…今度こそ帰ってきたら説教してやる…っ!」


「あれがただで帰ってくるはずないわ…きっとまたツワブキさんのご子息達を連れてきますよ。」


「クソ、馬鹿にしおって…!無駄に頭はキレるから尚のこと鬱陶しいっ…!」


「旦那様、奥様。お食事の用意が出来ましたので…サキ様はこの後お部屋にお持ち致しますね。ハーブティーも一緒に。」


「っ…ありがとう、キンモクさん…」





ジンが何故こんなにも両親を困らせていたか。
それを知っているのは妹のサキとキンモクの2人だった。知っているというよりも察していたの方が近いが、その理由というのが…





「っ、全然話を聞いてくれない!こんな家で下らないこと覚えるくらいなら旅に出てデザインの勉強をしたいのに!」


「そうですね…サキ様はお洋服やアクセサリーがお好きですからね…きっと素敵な品をお作り出来ると思われますよ。」


「本当?!キンモクさん、本当にそう思う?!」





この、サキの将来の夢が理由だった。
サキは昔から可愛い洋服やアクセサリーが好きで、暇があれば自分でもデザインを考えたり等していたのだ。
それがいつの間にか将来の夢になって、いつかは自分のデザインしたものが世界中に溢れてくれないかと望むようになった。

しかしそれもデザインの勉強や、見聞を広めたり等が出来なければ話は別。
両親に経済やら作法やら関係の無い勉強を強いられている状態ではそんなことも出来ない。

そんなサキのことを見越した兄のジンが極端に両親を困らせて自分に注意を引き付けているというわけだ。





「ええ、本当ですとも。ジン様もきっとそう思っていらっしゃる筈です。口ではダサいなどと仰っておりましたが。ほほほ。」


「!…っ…えへへ!そうだよねぇ?じゃなかったらあんなことしてくれないよねぇ?」


「ほほほ。そうですともそうですとも。」





デザインの勉強が何一つ出来ない状態のサキが初めてデザインしたのがとあるピアスと炎のロゴマークだった。
サキ自身もそのデザインは恥ずかしいくらい下手くそなのだと思っていて初めは見せることも恥ずかしかったのだが…

いや、それでもこれは大好きなお兄ちゃんをイメージして作ってみたのだからと照れくさそうにその作ったピアスとデザイン画を本人に見せた時。





「お前これ…いやぁ…ダッセェなぁ…?」


「お兄ちゃんの馬鹿っ!!」


「ジン様!何もそんなハッキリ………はっ?!!」


「っ…!!キンモクさんも馬鹿ーっ!!」





という会話をしたのだ。
しかしその数日後に帰ってきたジンの髪型は変わっており、左側をワックスで掻き上げ、良く見えるようになった耳には三つのピアス。そして同じく左の首元に見知ったデザインの刺青が入っていた時には思わず笑ってしまったことを覚えている。
あの時のジンは「俺は何も知らねぇ」とばかりに終始サキの視線から知らん顔をしていたが。





「あの後しばらくは私と会話をして下さらなかったので、正直ジン様のお陰で助かりました。」


「私の機嫌が良くなったからね!…でもあれはキンモクさんが悪い!」


「ほほほ。その説は申し訳ございませんでした。」





お兄ちゃん、次はいつ帰ってくるかな。
そんなことを呟いて、会えるのが楽しみだと笑っていたあの時のサキの笑顔は今でも鮮明に思い出せる。

家族の問題はあるにせよ、これはこれでこの兄妹の幸せなのだろうと思っていられたこの頃が一番幸せだった。







「……あの日が、来るまでは…」







懐かしそうに、幸せそうに。
そんな様子でこの家の、ジンとサキの話をしてくれていたキンモクの声質が、次の瞬間。

アスナは一瞬にしてその声が後悔の色で染まっていくのを感じた。



きっと今から知るのは、知りたくない話。
でも、





「……教えてください。」






知らなきゃ、いけない話。



BACK
- ナノ -