本当に怖いもの




訳が分からなかった。
分かるとすれば、目の前で両膝に両手を置いて支えながら立っているジンが微かに早い呼吸をしていること。
そしてその頭部からぼたぼたと血を流していること。

それだけ分かっているのに、頭の中は脳味噌が無くなってしまったのではと疑いたくなるくらいに機能してくれない。
どうしよう、どうすればいい…?





「っ、く…くそ…っ!俺のポケモンが!」


「ガルルルルルゥウ…ッ!!」


「ひ…っ!」


「…っ、あ?…!…いいもんあるじゃねぇか」


「ひいぃ…?!」





どうしよう、どうしよう…!
と、いつの間にかぎゅっと強く目を瞑って必死に体の震えと混乱状態の脳を落ち着かせつつ、何とか「まずはジンの止血をしないといけない」と判断出来た途端にアスナの耳に届いた誰かの悲鳴。

その声で今度はなんだと慌てて顔を上げたアスナの目に飛び込んだのは…





「てめぇ…よくもやりやがったな…っ?」


「ひぃ!ば…化け物…っ!!」


「あぁ?!」


「ひぃぃーっ!!?」





血を垂れ流しているジンに足で押さえ付けられ、ロープでギチギチに縛られているロケット団員が怯えている光景だった。

そりゃ怯えるのも当たり前だろう。
よくもやってくれたなと睨みをきかせた男が青筋を浮かべながら自分の真上にいるのだから。
しかも血をぼたぼたと垂れ流しながら。

…そう、血をぼたぼたと。

…ぼたぼたと。

…ぼたぼた……






………。







「いや駄目だって止血しなきゃ駄目だって!!!」






ぼたぼたと垂れる血を見てパニックになっていたアスナだったが、何とか自力で我に返るとロケット団員を縛り上げているジンの元に急いで駆け寄る。
すると何故かいつもベルト代わりにしているフエン温泉のタオルを外した。






「これで止血するからしゃがんで!」


「…あ?いや、お前のタオルが汚れんだろ」


「そんなの気にするわけないでしょ!ほら早く!」


「別にこれく、」


「あーっ!!!もう早くしてってば!」


「いっっってぇ?!!?」





どうやらアスナは、いつもベルト代わりにしているタオルを使って未だに出血しているジンの頭部を止血するつもりだったようだ。
しかしジンはそんなことをしなくても時期に止まるし、何よりタオルが汚れるだろうと怯えているロケット団員を縛り続けながらこれを拒否。

しかしその拒否をアスナも拒否をし、それをまた拒否で返してきたジンにとうとうアスナは半ば無理矢理ジンの頭部を上から押さえ付けるかのようにして強引にしゃがませるとテキパキとした手際でジンの頭部をタオルでキツく縛る。

ほら言わんこっちゃない!と頭部を押さえ付けられて思わず痛みを声に出してしまったジンに軽く説教をしながら。






















「あぁ、あぁそうだ。…あー…今は多分最奥じゃねぇの?…あ?怪我?………。」


「………。」


「……してねぇ。取り敢えず早く来いよ。」


「っ、ダイゴさん!ジンが怪我し、」


「はいお疲れ様、早く来いよー。」


ピ、


「あっ!!」






あれから。
アスナとヤミラミ達を襲ったロケット団員の近くにあった荷物を漁ったジンとアスナは大量の鉱石と何やら大きめの装置を発見した。

始めは何に使うものだと聞いても「誰が教えるか」と口を割ろうとしなかったのだが、ジンに睨まれると面白いくらいに早口で詳細をぺらぺらと話し出した。
どうやら余程ジンにトラウマを植え付けられたらしい。
……まぁ無理もないが。

そしてその装置というのが電波妨害装置だったらしい。
なんでもこれはロケット団達が使っている機器以外の電波を妨害するものだそう。
通りでこちらのポケフォンが使えなかったわけだとその装置の電源を切り、今はジンがダイゴに連絡を入れている所だった。…無理矢理切ったが。





「…嘘つき。」


「アスナに怪我はないかって聞かれたんだよ。」


「……っ、屁理屈じゃんそんなの…」


「…アスナ?」


「…っ、ぐす…」


「……は?」





面倒だったのかアスナの声を遮るように電話を切ったジンに「嘘つき」と言ったアスナを気にする様子など全くなさそうなジンはいつの間にか気絶しているロケット団員をバシャーモとグラエナが監視してくれていることを確認すると、怠そうにアスナの隣に腰を降ろす。

すると、アスナの声が震えているのに気づいたのだろうジンが横目で確認すれば、そこには俯いてぽたぽたと地面に染みを作っているアスナが目に入った。
その途端、ジンは怠そうにしていた表情を一気に変えて目をぎょっ、と見開いて少し慌てて声を掛ける。





「いやお前…何も泣く程のことじゃねぇだろ…」


「ごめ、!助けてくれたのに…っ!」


「俺が勝手にそうしたんだ、気にすんな。」


「でも…でもあたし…!あの時、もしジンがし、死んじゃったらどう…どうしよ、って…!」


「…あのなぁ、こんなんで死ぬわけねぇだろ?」


「だって、血…がっ!、ぼたぼた、垂れ…て、たじゃん…っ!」


「でもそれはお前がこうやって止血してくれただろ?」


「そ、だけど…っ、!う、…ジン…死なないでぇ…!」


「だからこんなんで死ぬわけ…」






始めは鼻をすするくらいで済んでいたアスナだったが、話すうちにその時の光景を思い出してしまったのだろう、いつの間にかその呼吸には嗚咽も混じるようになり、とうとう過呼吸になりそうだとなった時にアスナが放った「ある言葉」にジンは思考が停止したかのように言葉を失う。






「もっと自分を、大切に、してよ…っ!」






(お兄ちゃん、もっと自分を大切にして…っ!)






大きな瞳から零れる涙、

濡れてしまっている長い睫毛、

ぽたぽたと地面に染みを作り、

耐えるように両拳を強く握り、



こんな自分の心配をし、


自分を大切にして欲しいと、涙を流してくれる、







「ねぇ、ジン…、お願いだから…」



(ねぇお兄ちゃん、お願いだからさ、)








自分を犠牲にするの、止めてよ。











「……俺は大丈夫だ。」








気がついたら
柄でもなく震えながら泣いてしまっていた体は
強くて、暑くて、それでいて優しくて暖かい何かに包まれていた。

ふわりと何度も優しく後頭部も撫でられている感覚もあるから、それで安心したのかな?
その途端に面白いくらいに涙が引っ込んだものだから、
何だろうって顔を上げて状況を確認したんだ。

ゆっくりと、瞑っていた目を開けて。






「……………へ、」






……目を開けて。







「「………………。」」







…目を………開けたらジンがいた。
いや、話していたんだからいるのは当たり前だろう。
自分は何を言っている?
いや違う、いる、いるんだけどそうじゃなくて、これはいるというよりもあれだ。…いや何だ?
えっと、そうだ、あれだ。距離だ。距離の話だ。
うん、そう。距離が近い。いや、近いというよりも…



距離が無い。



…そう、距離が無い。
そうだよ距離が無いんだよ、ジンとあたしの距離が無いんだよ。
…………ごめん、つまりどういうこと?






「どういうこと………?」


「………、!………落ち着いたか?」


「…え?あ、うん?うん、落ち着い、た?…と、思う…?」


「まぁこんな色男に抱き締められてんだからそりゃ落ち着くわな?」


「色男…あ、…そうだよね、うん…確かに…」


「いや突っ込めよ。」






今の状況に余程驚いているのか、またはまだ理解出来ていないのか。
いや寧ろ両方なのだろう、ジンの冗談にもそうだよねと同意してしまったアスナに思わず自分でツッコミを入れてしまったジンはゆっくりとアスナを離してその様子を伺う。

すると…





「………。」


「……っ、」


「………。」


「っ、く、……ふ、!……っ、ぶはっ!!」






すると、そこには自らの髪と同じくらい真っ赤になり、それはまるで温泉にでも入っているかのように頭部から湯気が出てきそうな勢いなのに対し、何故か表情はきょとーーん…としていて目を丸くして呆けてしまっているアスナがいた。

そんなアスナを見たジンはツボに入ってしまったのだろう。
最初は堪えたのだが、どうにも耐えきれずに盛大に吹き出して、それがスイッチになったのか、とうとう声を出して笑い始めた。






「…へ?」


「っ、く、は、…ははは!おま、お前…っ!どんだけ、器用なんだよ…っ!!っ、ははははっ!!」


「………っ、?!」


「やべ、…っ、ツボった…っ!!ははははっ!!」






突然のことだったのもあって、情報が整理出来ずに色々とパニックになっていたアスナだったが、目の前にいるジンの笑い声でやっと我に返ることが出来たらしい。

そのお陰できょとんとしていた表情は一気に生気を取り戻したが、真っ赤だった顔はそのまま……いや、寧ろもっと赤くなったように見える。

そんなアスナの目の前では未だにツボから抜けられないのか、腹を抱えて笑っているジンの姿があり、アスナは一度俯くとわなわなとその肩と握った両拳を震わせ始めた。

…が、その事にジンはまだ気づいていないようだ。





「っ〜〜!!」


「ははははっ!!おま、本当に…!面白ぇのな…!っ、あははははっ!!」


「ジンの…っ!馬鹿ーーーッ!!!!」





次の瞬間。
石の洞窟にはスパーーーンッ!という清々しい程の良い音が響き渡ると同時に、普通に痛そうな鈍い声も響き渡った。

そんな音と様子をバシャーモ達に監視されながら目の当たりにしたロケット団員はこの時こう思ったという。





あっちの女の方が怖かったのか、と。



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