重なって見えるもの






車が走る音。
スバメが鳴きながら羽を羽ばたかせて飛び去る音。
何処か少し熱い気温。
何気なく電源を入れた液晶テレビから聞こえるのは地方ニュース。

そのニュースの内容を背後で聞き流しながら、ベランダの手摺りに寄り掛かっているジンは怠そうに吸い込んだ煙を吐き出すと、ふとこう呟いた。





「…あー…面倒くせぇ…」





面倒なのは、自分が補欠ながらもホウエンの四天王となった事か。
それか、このホウエンに帰って来てしまった事か。
いや、まだ終わっていない荷解きの事か。


それとも、多分。


それはきっと、数年帰らなかったこの場所が、随分と変わった事だろうか。
嫌味たらしく、残さなくても良いだろう懐かしさを微かに残しながらも。

多分と思ったのは、きっと何に対しての面倒なのか、自分でも分からないから。



「……走りにでも行くか。」



我ながら、滑稽だ。
そう頭の中で自分を嘲笑い、煙草の火を消したジンはいつものライダースジャケットを羽織ると真新しい鍵を手にし、キンセツシティの街の中へと足を踏み出した。








《鳴く蝉よりも鳴かぬ蛍が身を焦がす》










「「あ。」」



ガヤガヤと煩いくらいに賑わう、ドームに覆われたキンセツシティの出入り口。
そこまで愛車のバイクを押しながら、さて空の下に出ようと前を向いたジンの目の前に現れたのは、カロス地方で初めて顔を合わせたアスナだった。

お互い目の前の存在に気づき、正直そこまで親しくも無いが、それと同じく気まずい関係でもない2人はどちらとも無く軽く会釈をする。



「烈火…じゃない、ジンさん、でしたよね?どうも。」


「あぁ、どうも。」


「これから何処か用事ですか?」


「ん?いや、暇だからちっと走りにでも行こうかと思ってただけだ。」


「あ。それなら時間あります?」


「?そりゃまぁ…暇だったしな?」




会釈をした流れでした軽い世間話。
その話の中で何となしに暇なのだと言った自分に、それなら丁度良かったとご機嫌そうに両手を合わせたアスナを見たジンは少し嫌な予感を感じてピクリ、と眉をヒクつかせる。
しかし、そんな予想とは裏腹に、その後アスナから発せられた言葉は意外なものだった。



「なら、ちょっとそこのベンチで話でもしません?そこそこ募る話もあるし。」


「…あー…なんだ…そんな事かよ。」



すぐ近くにある誰も座っていないベンチを指差し、話をしないかと提案したアスナにホッと胸を撫で下ろすような表情を見せたジンに、アスナは不思議そうに首を傾げてしまう。

先程ジンが予想した嫌な予感、というのはつまり。
カロス地方でシアナに散々付き合わされた買い物の記憶が蘇ってしまったからだった。
それにこのアスナという人物、実際にこのホウエンに帰る時にも大量の洋服を買い込んでいたのだから、ジンがそう思ってしまうのも仕方が無いのかもしれない。



「え?そんな事?他に何かありそうでした?」


「いや、こっちの話。別に構わねぇよ。」



首を傾げながら、話の他に何かありそうだったのかと聞いてくるアスナに、こちらの話だと誤魔化したジンは早々と愛車をベンチの近くに停めるとストン、と腰を降ろす。

ふとその隣にある外置きの灰皿を視界に入れ、さり気ないアスナの気遣いに意外そうな顔をしながら。
意外、と言ってしまうのは失礼かもしれないが。



「煙草、気にしないでどうぞ?」


「しっかりしてんのな。正直助かるわ。」


「あ。今絶対に意外だとか思いましたね?」


「何の事だか。」



ベンチに座り、ジャケットの胸ポケットから煙草を取り出して火をつけ始めたジンを確認し、少しだけ距離を取ってその隣に座ったアスナは、ジンのその態度に心外だとジー…っとジト目で下から顔を覗いている。

それに対し、誤魔化す気も無さそうな棒読みで否定したジンは吸い込んだ煙を上へと吐き出した。



「意外とジンさんもしっかりしてるんですね?」


「は?」


「煙。風向き読んで上に吐き出してくれましたから。」




(えへへ。ありがとう、お兄ちゃん!)




「!」




何気なくした事を、アスナに咄嗟に言い当てられたジンは思わず目を見開くと言葉を失ってしまう。
しかしそれは気恥しかった訳じゃない。

アスナのその表情が、少し悪戯そうに笑うその言い方が、
ある人物と重なって見えてしまったから。



「…あれ?ジンさん?」


「……悪い。何でもねぇ。…で?募る話ってのは?」


「?…あぁ、はい。取り敢えずお礼を言いたくて!」


「は?俺、何かしたか?」


「シアナの事ですよ。あの子って昔から危なっかしいんで、正直ジンさんが同行してくれてなかったらどうなってたか分かりませんからね。」



言葉を失って唖然としてしまった自分に、きょとんとした顔で更に覗き込んでくるアスナの行動で何とか自力で我に返ったジンは誤魔化すように再度煙草の煙を吸い込んで事の発端である募る話とやらを問う。

それを問えば、アスナから返ってきた言葉はジンがカロス地方で出会って共に行動をしたシアナのことだった。
溜息を吐きながら心底安心したように話すアスナを横目で確認し、そう言えば親友なんだっけか、と思い出したように納得をしたジンは煙草の灰を灰皿に捨てる。



「別にお礼を言われる事じゃねぇよ。正直最初はただの暇潰しだったしな。」


「それでもです。改めて、ありがとうございます。」


「はいはい。」


「…あ!それからですね!」


「今度は何だ。」



初めはジンに対し、距離を置くような会釈から始まったアスナだが、自分に煙が行かないようにしてくれたり、怠そうにしながらもきちんと話を聞いてくれるジンに幾らかは安心感を抱いたのだろう。
一番言いたかったシアナに対するお礼を伝えたアスナはそれからついでにとベルトから一つのモンスターボールを取り出した。



「よし!出ておいで!」


「ヤッコー!」


「おー…ヤヤコマか。」



アスナの掛け声と共に、ボールから飛び出した途端に主人の周りを一回りしてからその肩にちょこんと乗ったポケモンを見たジンは直ぐにその名前を言い当てた。

それはカロス地方に生息する烈火ポケモンのヤヤコマで、炎タイプを得意とするジンにとっては自身の手持ちにいないもののそこそこ理解をしているポケモンだった。



「実はあの事件で逃げ遅れてたこの子を偶然見つけてゲットしたんですけど、ほら、ジンさんって炎タイプの四天王でしょ?何かアドバイスとかくれないかなって。」


「いやちょっと待て。何でそれを知ってる?」


「ダイゴさんが言いふらしてましたよ。ジムリーダー全員に。」


「あの石野郎…」



新しく仲間になったばかりのヤヤコマについて。
補欠と言えどもホウエンの四天王となった自分からアドバイスが欲しいというアスナの気持ちは分かる。

勿論それは分かるのだが、まず第一に何故ついこの間なったばかりのその話をアスナが知っているのだと疑問に思ったジンが眉間に皺を寄せて問えば、肩に乗ったヤヤコマと人差し指でじゃれながら返事をしたアスナはこう言ったのだ。



ダイゴが言いふらしていたと。



その瞬間、まるで苦虫を噛み潰したような表情を全面に出したジンは目を伏せると額に青筋を浮かべ、口元をピクピクと痙攣させ始める。

大方、どうせ自分が後になって面倒だからとバックれるのを防ぐ為なのだろうが、御曹司のしてやったりな表情が手に取るように想像出来てしまうのだから正直あの無駄に整った顔を崩してやりたい。

そんな事を頭の中で考えつつ、何とか怒りを抑え込んだジンは、ふと隣から聞こえてくる声にやっと気づいて顔を向ける。



「っ、ふ、っ…!く…っ、」


「…何笑ってんだよ。」


「い、いやぁ…ジンさんの顔…!顔が…っ!あははははっ!!」


「めっちゃツボってんじゃねぇよ。」


「あはは!すみ…ま、せっ!…っ、あはははは!ジンさんって、クールなイメージがあったんですけど、さっきみたいな顔もするんだなって思っ…ぷ!あはははは!!!」



謝りたいのか言い訳をしたいのか。
寧ろどちらもなアスナは笑ってしまった理由を自分で説明しながら、自分でその理由に再度ツボを入れてしまったようで、とうとう涙を流しながら大爆笑を始めてしまう。

本当に先程のジンが地味に面白かったのだろう、失礼だと分かっていながらも笑いが止まらないアスナはとても苦しそうだ。



「ご、ごめんなさ、も、もうちょい待って下さ…!く、ふふふ…っ!」


「…さーーーーん」


「っ、あはは!ま、待って…待って下さいって!く、」


「にーーーーーー」


「っ、ふ、ふふ…っ、はぁっ!」


「いーーーーーーーーち」


「はいっ!はぁ、お待たせしまし…ふっ、た!」


「最後笑っただろ。」


「気のせいです!はい!てことでアドバイス!何かありません?」


「ある意味本当にしっかりしてんな。」



笑いが止まらないアスナを初めは放置しながらすっかり短くなってしまった煙草を灰皿へと捨てたジンは無理矢理カウントダウンを始めて何とかその笑いを引っ込める事に成功する。

完璧に引っ込んだようには見えなかった事を突っ込めば、気のせいだと話をちゃっかり戻したアスナはヤヤコマを手の甲に乗せてジンの目の前へと近づけてきた。



「まぁいいけどよ。…で?そのヤヤコマ、特性は?」


「鳩胸です!」


「…って事は将来は炎の体だな…今の内に体力付けさせとけ。」


「因みにその理由は?」


「炎の体はそこそこの割合で相手を火傷状態にすんだろ。耐久力を付けとけばその確率だってその分上がる。火傷した相手は火力も落ちるから更にこっちが耐え易いしな。」



自分の手の甲に乗り、大人しくしているヤヤコマを指で軽く押したりしながら淡々と説明をするジンの意外な一面に驚きながらも思わず成程…と納得したアスナは素直にこの人は凄いと感心をしてしまった。

怠そうにしながらも何処か優しいその扱いに、ヤヤコマもいつの間にか心を許してその指に擦り寄っている。



「…ジンさんって…」


「ん?」


「何だかんだ優しいんですね?」


「っ…………。」


「あれ?ジンさん?また何か…」


「………でいい。」


「?すみません、良く聞き取れなかったんですけど…?」




何だかんだ優しい。
そう、また悪戯そうに笑ったアスナに言われたジンは、何も言わずにベンチから立ち上がるとその背中を不思議そうに見つめて声を掛けたアスナの言葉を遮りながら停めていた愛車のエンジンを回し始める。

そのエンジンの音で良く聞き取れなかったアスナが再度聞き直せば、ジンはそんなアスナの元へと近づき、烈火のような真っ赤な髪に手を伸ばすとポン、と少し乱暴に手を置いた。



「ジンでいい。」


「…へ…」


「じゃーな。」


「…あ、はい。さよなら…?」




咄嗟に言われた言葉と、咄嗟にされた行動。
そんな予想外な出来事に、思わずぽかんと口を開けて釣られたようにさよならと言ってしまったアスナは、こちらを振り返らずに背中を向けたまま片手をヒラヒラと振って去って行ってしまったジンの姿を見えなくなるまで見送ってしまう。



「………う…うわぁぁ…!!」




ふと、先程頭部に感じた重さと温もりを思い出して。
何気無く同じように自分の頭に自分の手を置いたアスナはみるみると頬を染めて思わず間の抜けた声をあげてしまった。

最初は少し取っ付きにくいような、クールというか、失礼だが不良っぽいイメージを持っていたのだが、それでも親友の恩人なのだからとただお礼が言いたかっただけだった。

それなのに、最後、本当に最後、あんな…




「…あんな顔…するんだ…」



ジンでいい。
そう言われて、思わず顔を上へとあげた時に見た、あの表情。
悪戯をしたような、微笑んだようなあの表情を思い出したアスナはどうしたのだと首を傾げているヤヤコマが痺れを切らせて頭をつつくまで放心状態となってしまったのだった。



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