落ちるのは雨か涙か




「…この屋敷はね、ジンの家族が暮らしていたんだよ。…まぁ、見た通り今はこの有り様で、経営してた会社は倒産。借金が嵩んで返済も難しくなったあいつのご両親は未だに行方をくらましているんだけど…」


「「…え…?」」



息を一つ飲み。
何か、悲しそうで、それでいて諦めてしまったと言うような少しの微笑みを。
もうすっかり暗くなってしまった藍色の空の下に虚しく佇む、廃墟になってしまった屋敷に向けて静かにそう口にしたダイゴは、自分のその言葉に驚いて声をあげた恋人とその親友の方をゆっくりと振り向く。




「…あいつはこんな立派な屋敷を所有していた、そこそこの家柄の長男なんだよ。…本人があんなだから信じられないかもしれないけどね。」


「…ジンくん…が?」


「そうだよ。…と言っても、別に血が繋がってるわけじゃないんだ。あいつは元々ジョウトにある孤児院にいてね…生まれ自体はジョウト地方なんだよ。」


「……そう、だったんだ…」




ゆっくりと、確実に。
そして昔を思い出すように話すダイゴは、話を聞いているシアナの複雑そうな表情を視界に映すと優しくその頭を撫でてみせる。

そのまま隣にいるアスナに視線を移せば、そこには驚きはしているものの、その燃えるような赤い瞳は曇りを見せることなく強くこちらに向いている。





真っ直ぐ、こちらへと、確かに前を向いて。





「アスナ、これから僕が話すことは…きっと君にはかなり酷な事実だと思う。」


「……。」


「君が心身共に強いってことは良く知っているつもりだよ。そして、あんな馬鹿を真っ直ぐに、純粋に好いてくれていることも。」


「…。」


「そんな君に、心から感謝をしているからこそ、僕は改めて君に言わなければいけないことがある。」




いつの間にか空を暗くしていただけの雲は星空を隠し、どす黒い色を帯びて不穏な音と共に光り始める。

そんな不穏な空からの音を掻き消すように、そして、それと同時にゆっくりと口を開いたダイゴの言葉を遮るように…





「…!いけませんダイゴ様!!その…っ!その話だけは…っ!」




柔らかい物腰で、初めから紳士な態度を貫いていたキンモクが大声を張り上げたことに驚いたシアナは思わずそちらに視線が移ってしまう。

しかしダイゴとアスナはお互いを真っ直ぐ捉えたまま、キンモクの方へと意識を向けることはなかった。







「………血の繋がりのない、それでも何よりも大切だった妹が、自分に容赦なく振られて…その後目の前で窓から身を投げて死んだとしたら……アスナならどうする?」







ガラガラと、
堕ちていくのは稲妻か、それとも真っ直ぐな心か。

ぽろぽろと、
落ちていくのは降り始めた雨か、それとも涙か。





「…ねぇ、…ダイゴ…それって、どういう…こと…?」


「…っ、…そのままの、意味だよ…」


「っ…あぁ……あぁ…っ!!」






ガラガラと音を立てて、何かを崩すように光る稲妻は容赦なく地を叩きつける。
ぽろぽろと落ちていた筈の雨はいつの間にかその数と大きさを増して、その場に立っている者達の肩を濡らす。






自分の目の前にいる、この地方のチャンピオンは何を言っているんだろう。

自分の親友に出会ってから、まるで人が変わったように親しみ易くなって。頼りやすくもなって。

親友に、シアナに向ける微笑みがいつも優しくて、
それが擽ったくて素直に応援出来ない時だってあったけど。




こんな、こんな悲しそうな顔で

こんな辛そうな顔で

真っ直ぐ自分の答えを待っている彼を、









あたしは知らない。













押し殺し切れなかった声を上げながら地面に膝をつけるキンモクの背が、雨に濡れている。

口元を手で覆い、信じられないとその空色の瞳から大粒の雨を降らせる親友は何も言わない。

誰も何も言えない空間の中。
まるでその場に取り残されてしまったような感覚を覚えていたアスナの耳に届いた次の言葉は…






「…あいつは…ジンは……妹の……っ、サキちゃんの死を、全部一人で背負って生きようとしてる。その理由も全部、彼女からの気持ちを断った自分だけのせいにして。」





その言葉に音もなく目を見開いて。
何となく、もうすっかり古びてしまっている彼の本を両腕で抱き締めていたことを思い出したアスナはゆっくりと視線を手元へと持っていく。





「…あの子が死んだ日も、こんな酷い雨の中だったんだ。」





空を見上げ、悲しげに笑うダイゴの頬から流れるのは、冷たい雨か、それとも熱い涙か。

赤い表紙の本が雨に濡れて色濃くなったその様は、まるで人の中に流れているあの「赤」のようで。

思わず目を瞑って赤い本から目を背けてしまったアスナは暗い暗い視界の中に無意識に広がったある光景に弾けたように目を開ける。






暗い視界の中に映ったのは、後ろ姿。

誰もいない、薄暗い空間の中。

雨に打たれて一人佇む、彼の後ろ姿。

……独りぼっちの、ジンの姿。







ねぇジン、どうしてこっちを向かないの?

どうして後ろ姿しか、見せてくれないの?

一生、そのままで生きていくつもりなの?







「……あたし、決めた。」


「…っ、…アスナ…?」







騒がしく振り続ける雨の音を掻き消すように。
不穏な音を辺りに響かせる雷を黙らせるように。

天高く昇るジョウトの鈴の塔を思わせるようなその声は、力強く、凛としてとても澄んでいて。

火傷しそうなくらい熱いその瞳は、一切輝きを失わずに赤く、強く光り輝く。






「あたしが…絶対にジンを助ける。」

























































「…あー…マジか…雨降ってたのかよ…こりゃ濡れて帰るしかねぇかなぁ…」


「あのな、チラチラ俺を見ても泊めねぇからな。」


「…良いよなぁお前は!こんな屋根付きの街に住んでて!しかも家すぐそこだもんな!泊めてくれたって良くねぇ?!」


「悪いなー却下。」


「棒読みで謝られても心に響かねぇんだけど!」



キンセツシティの外を眺め、容赦なく降り続ける雨に、勘弁してくれよと言いたげな表情をこれでもかと出しているカゲツはすぐ近くのベンチに座り、呑気に煙草を吸っているジンに半場八つ当たりのように文句を言っている最中だった。





「雨ってテンション下がんだよ。」


「テンションの問題でこの雨の中同僚を放置するとかどんだけだよ!呑気に煙草吸いやがってよ!しかも無駄にカッコイイしよ!」


「…はぁ、お前酔い過ぎだろ…テンションがうるせぇ…」


「お前はテンションが低いんだよ!そうか雨だな!雨が悪いんだな!?あーそうか雨のせいで俺はお前に放置されてびしょ濡れになって帰るんだな!!」


「っ…!あーーっ!!うるせぇんだよハゲ!貸しだからな!?」


「誰がハゲだ!!!」



初めは黙って煙草を吸っていたジンも、流石にしつこいカゲツの独り言に聞こえない独り言に耐えきれなかったのだろう。
珍しく大きめの声をあげ、一言文句を言うと胸ポケットに入れていたらしいポケフォンを取り出し、慣れた手つきで誰かへと連絡を取り始めた。

その様子に、一体誰に掛けているのだろうかと眉間に皺を寄せて首を傾げたカゲツは興味本位でジンが座っているベンチの方へと歩き出す。





「あー…ちっと頼みがあんだけどよ、ヘリ出してくんねぇ?カゲツが雨ん中足が無くてうるせぇんだよ。」


「……そういう事か…分かった、何処に向かわせれば良い?キンセツシティか?」


「正解。……悪いな。」


「これぐらい構わないよ。お前のマトマパスタは私も好きだからね。………あまり飲み過ぎるなよ。」


「はいはい、そんぐらい作ってやるよ。…分かってるっつの。」





カゲツが電話相手を確認する前に通話を切ってしまったジンに、素直に相手を聞く為に同じくベンチへと腰を降ろしたカゲツはチラリ、とジンの横顔を見る。

その瞳が怠そうに閉じられているせいで感情を上手く読み取れることは出来ないが、何処かいつもと違うことは何となく理解して、そして口を出さない方が良いのだろうことも何となく察した。





「…さっきの誰?」


「ミクリだよ、ったく…貸しだからな。」


「それは助かったけどよ………なぁ、」


「あ?」





良く考えればジンは、いきなりこのホウエン地方の四天王補欠としてチャンピオンのダイゴから抜擢されたトレーナーだ。
正直最初はふざけるなと思っていたが、話してみれば結構面白い奴で、趣味も似ていることから気づいたらこうして暇な時に飲みに行くようにもなったし、バイクのメンテナンスだって頼むようにもなっていた。

幼馴染みらしいチャンピオンのダイゴや今ヘリを用意してくれているらしいジムリーダーのミクリとは違って、正直隣にいるこいつが何を考えてるのか、何を抱えているのかだなんて全く知らない。





「……お前さ、何で毎回雨が降ると…」


「………。」


「!……いや、やっぱ良いわ。つかお前もう別に先帰ってても良いぞ?後は迎えを待つだけだしよ。」


「……なら先に帰るわ。…あ、明日は用事があっからリーグに行かねぇってダイゴに言っといてくれ。」


「はぁー?また俺が言うのかよ…まぁ良いけどよ。…取り敢えずお疲れさん。」


「おう、お疲れさん。」



怠そうにベンチから立ち上がって、設置されている灰皿に煙草を捨てたジンは未だに座っているカゲツに背を向けて自宅へと歩き出す。

振り返ることなく、片手だけ振って帰っていくジンの後ろ姿を見つめ、複雑そうに溜め息をついたカゲツの事など知りもせずに。








「……ごめんな、サキ…」








ぽつりと、悲しげに呟いたその言葉にカゲツが気づくことも、無い。




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