その名前は




もう夜なのにも関わらず、沢山の人やネオンの光でガヤガヤと賑わっているのはキンセツシティだ。

そんな眩しい表通りを横に曲がり、狭い路地裏を抜けた先にポツンと佇んでいるとある店。
カラリと音を鳴らして扉を開けて中へと入れば、センスの良いジャズのリズムに混じり、ダンッ、と何かを射抜くような音が聞こえてくる。

その音がする方向を見れば、そこには良く知っている人物…敢えて職場で例えるなら同僚であるジンとかなりスタイルの良い、見たことも無い女性が店の隅にあるダーツ専用席に居た。




「ねぇジンったらぁ〜…話聞いてるのぉ?」


「……。」




ダーツ台の前に立っているジンの後ろにあるソファに座る女性は、そのスタイルの良さをわざと見せつけるように足を大胆に組みながら話しかけているよう。

しかし、ジンはそんな事など気にもせず…というよりもまず全く興味が無いらしい。
後ろを振り向かず、無言で狙いを定めているだけだった。


これは助けてやった方が良いのかもしれない。
そう思い、今まで黙ってジンを見ていたカゲツはゆっくりとジン達の元へと足を進めていく。





「折角こうやって居合わせたんだから、相手してくれても良いでしょ〜?」


「………っ、」




しかし、ゆっくりと進んでいたその足は先程とは違う、まるで苛立っているのだと感じられるようなダーツの音でピタリと止まってしまう。

そのままその方向を見れば、そこにはダンッ!と乱暴にも感じられる音を立てた後、心底呆れたような表情で後ろを振り返ったジンが口を開く所だった。




「…待ち伏せしてたくせに良くそんな言葉が出んな?」


「…あら…バレてたの?」


「普通分かんだろ。…ったく…今日は相手しねぇぞ。」




あれは中々に苛立っているのだろう。
バレてたのかとお茶目に舌を出し、悪びれる様子など微塵も感じられない女性へと不機嫌そうに目を細めて言うジンの表情を見たカゲツは早々とそんな2人に近づくと、えー!と今にも駄々を捏ね始めてしまいそうな女性の前に立った。




「悪いなお嬢さん。こいつ、今日は俺が先約なんだよ。だからまた今度にしてくんねぇかな?」


「やだ、四天王のカゲツさん…?…しょうがないわね…それじゃぁジン、また後で連絡してね。」


「…とっとと帰れよ。」


「もう、本当に釣れないんだから…はいはい帰るわよ。」




カゲツの登場により、女性は本当にタイミングが悪いのだと判断したらしい。
立ち上がってブランド物のバッグを肩に下げると、不機嫌そうにウイスキーの入ったグラスに手を伸ばしたジンに向かって優雅な動作でセクシーな投げキッスを贈ると、カゲツに会釈をしてカツカツとヒールを打ち鳴らしながら店を出て行ってしまった。

そんな彼女を目だけで見送り、振り返ってジンを見れば、そこには大層嫌そうにウイスキーを一気飲みしたジンがグラスを乱暴にテーブルに置く光景が目に入ったカゲツはご愁傷様、と言わんばかりに苦笑いを向けてしまう。




「モテる男は苦労すんな?」


「苦労どころじゃねぇよ。」


「でもさっきの女すげぇ美人だったじゃねぇか。何で付き合わねぇの?」


「まずタイプじゃねぇ。」




俺だったら誘いに乗っちまうかもな。
そんなことを呟きながら、ダーツマシンを対戦モードに変更し始めたカゲツの後ろで、空になったグラスの氷をカランと鳴らして眺めたジンは静かに溜息を吐いた。




「…俺にそんな資格はねぇんだっつの。」


「?ジン?何か言ったかー?」


「何も言ってねぇよ。つかまた勝負すんのかよ?懲りねぇな…」


「うっせ!今日こそ勝ってバイクのメンテナンス代をタダにしてもらうからな!」




ほら早く始めるぞ、と勝気な笑顔を向けてくるカゲツの態度に、すっかり先程までの毒素を抜かれてしまったジンは通り掛かった店員に追加のドリンクを注文すると、サイドテーブルに置いてあるダーツの矢に手を伸ばした。

今日もこいつの奢りになりそうだな、と肩に力が入り過ぎているカゲツの背中を可笑しそうに眺めて。


















あれから、日が沈みかけた空の下でアスナにと作っていた食事を庭に置いたテーブルに並べていたキンモクは物凄い勢いである事を聞いてきたアスナに対して何度も首を横に振り続けていた。

アスナが何度も聞いてくる、ある事。
それは彼女が持っている、もう古びてしまっている本の持ち主についてだった。




「キンモクさん!答えて下さいっ!この、この本の持ち主のこと!」


「っ…それは…守秘義務がございますので…」


「お願いしますって!!」


「…なりません。」




静かに首を横に振り、申し訳なさそうにしながらもその声は凛と、ハッキリとしているキンモク。
しかしそんなキンモクにこちらも申し訳ないと思いながらもどうしても知りたいのだと諦めないアスナの攻防戦はもう彼此数十分は経過しているのかもしれない。

諦めないアスナの強い眼差しを受け、このままでは拉致があかないと判断したキンモクは無理矢理にでも話を終わらせる必要があるようだとベルトにつけているボールに手を添えた…



その時だった。




「っ、ならあたしから言います。この本の持ち主…いや、この本があった部屋が誰の部屋なのか!」


「…!」


「あの部屋の雰囲気と、この本のタイトルを見て思いついた人が、あたしには1人だけいるんです!…っ、その人の名前は…っ!」










「そう、ジンだよ。」







ジン。
その名前を頭の中で浮かべて、姿を描いて。
言おうとしたその名前は自分の口から発せられることは無く、しかしそれでも確かにその名前は辺りに響き渡ったのだ。

どうしてだと、その名前が響いてきた方向へと振り返れば、そこにはアスナが良く知った人物が庭先で静かに立っていた。




「…え、ダイゴさん…?!」


「だ、ダイゴ様…?!」




振り返って確認したとほぼ同時に。
その人物の名前が、自分の発した声と混じって聞こえた事に驚いたアスナは今度は隣に立っていたキンモクを見る。

すると、そこには驚きを隠せてはいないものの、持ち前の優雅な動作で頭を下げているキンモクの姿があった。
何故彼がダイゴのことを知っているのか。

まぁまずこのホウエンのチャンピオンなのだから知っていても何も可笑しくはないのだが、それならば何故、わざわざ「様」を付ける必要がある?
そう思い、疑問の表情を浮かべながら再度ダイゴの方を見れば、彼は何とも困ったような笑みを浮かべていた。




「…そんな畏まらなくても良いですよ、キンモクさん。」


「…そういうわけには、いきません。当時、ツワブキ様ご家族には本当にお世話になりましたから…!」


「なら、お願いです。今日は僕の婚約者も居るので、もっと緩く接してくれると有難いんですけど…?」


「…こ、こんばんは…お邪魔します…?」


「!な、なんと…!」


「は?シアナ…?!」




どうやらキンモクはツワブキ家とも何やら関係があるらしい。
頑なに丁寧な態度を貫き続けているキンモクに、ダイゴはとうとう苦笑いをすると軽く自身の後ろに視線を向け、声を掛ける。

するとその後ろから控えめにひょこ、と顔を出した親友の姿に目を見開いたアスナは驚きながらもシアナに駆け寄ってその肩を抱くと何故ここにいるのかと聞いた。




「今日はカナズミシティにダイゴと2人で来てて、エアームドに乗って帰ろうとしたら…急にダイゴが…」


「この屋敷に灯りがついてるのが見えてね。どうしても気になって、シアナにも説明せずに来たんだ。ごめんね突然。」


「いや、別に良いですけど…あの、それなら話の続き…ダイゴさん、さっきジンの名前を出しました…よね、」




未だに状況が分からないといった様子のシアナの隣に立ち、真剣な表情を向けてきたアスナと目を合わせたダイゴは、静かに目を伏せると、誰に向けることもなく僅かに微笑んでみせる。

そのままゆっくりと瞳を開けると、不安そうに見つめてくるシアナ、何も言えずに複雑そうな表情を浮かべているキンモク、そして…不安そうにしながらも揺るがない強い瞳でこちらの言葉を待っているアスナを確認すると、一度息を吐いてハッキリと凛とした声を響かせる。









「…そうだね。僕が知っていることを全部この場で話すよ。それが、アスナが知りたい答えにもなるだろうからね。」



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