記憶のある部屋




「キンモクさん、この本はどうします?随分古そうですけど?」


「おやおや、懐かしい…それは旦那様の愛読書だった物です。…大切に保管しておきましょう。このダンボールに分けておいて下さい。」


「はーい。」



キンモク。
アスナがそう呼んだ人物は、前回アスナに声を掛けてきた老人の名前だ。
広いエントランスの角にある、古びた本棚の中身を一つ一つ、丁寧に仕分けてくれているアスナが見せてきた本をキンモクは懐かしそうに見て、後で別の本棚に移せるようにと「保管」と書かれたダンボールに入れるように指示を出す。

その指示に素直に返事をし、ダンボールに丁寧に入れたアスナはふと周りをぐるりと見渡すと、これは大変だと思わず苦笑いをしてしまった。



「それにしても…本当に随分な荒れようですよね…まるでホラー映画に出てくる屋敷そのものだっての…全く、キンモクさんったらこれを1人で掃除しようとしてたんでしょ?無理ですって!」


「ははは。お恥ずかしい限りです…申し訳ありません、お言葉に甘えてしまって…」


「良いんですよ!想像以上の荒れようだから、ついあたしもヤル気が出ちゃったし、特に予定も無かったので!」



周りをぐるりと見渡し、まるでホラー映画に出てくるようだと例えたアスナの言葉に対して否定が出来ないキンモクは恥ずかしそうに自身の後頭部に手を添えてしまう。
それは確かにその通りだったからだ。

日に焼けて色褪せたカーテンは繊維がボロボロになってしまっているし、エントランスに飾ってあるグランドピアノだって、きちんと調律し直さない限り、再度キレイな音を奏でる事は無いのだろう。
豪華な絨毯も、ソファも、テーブルも。
薄く埃を被り、本来の美しさを灰色に塗り潰している。




「…素敵な家具達だったのですがね…」




…まるで、あの時の思い出さえもその灰色で被せてしまっているようだと、テーブルをなぞった自身の指が灰色に汚れた様を見て、悲しそうに笑ったキンモクは、後ろから何か言ったのかと問い掛けてきたアスナに振り向くと途端に表情を元に戻す。



「でも、エントランスだけでこの有り様じゃ、他の部屋も凄そうだなぁ…というか、切りがないですよね…」


「そうでしょうなぁ。…ふむ…そうしましたら少し休憩に致しましょう。私は庭で軽く食事をお作りしていますので、アスナさんはお好きに屋敷を散策して頂いて構いませんよ。」


「え?!良いんですか?食事までご馳走になるなんて…というかあたしはただ好きで手伝ってるだけなんですよ?」


「いえいえ。そうだとしても、私1人ではきっと上手く片付けられなかったでしょうから。お気になさらずに。」



自分の分まで食事を作ってくれるというキンモクに対し、ただ好きで手伝っているだけなのだと申し訳なさそうに言ったアスナ。
しかし、その言葉に対して柔らかい笑みを浮かべながら答えたキンモクの表情に何処か寂しさがチラついて見えたアスナは、それなら二階を散策してきますと古びた階段を駆け足で登り、キンモクの前から姿を消す。




「…ふむ…気を使わせてしまったのでしょうか…」




駆け足で登っていったアスナの後ろ姿を見送り、やってしまったと苦笑いをしたキンモクは、感情を悟られてしまうだなんて、自分もまだまだなのだと溜め息を一つつくと、気を取り直して食事を作るために庭へと出ていくのだった。














「……色々思い出しちゃったりするんだろうな…キンモクさん。」



一方、こちらは二階へと上がったアスナがギシギシと音を鳴らしながら廊下を歩いているところだった。
先程の寂しそうなキンモクの表情を思い出し、心配になりながらも今は1人にさせておいた方が良いと判断したアスナは取り敢えず奥の部屋から順にお邪魔してみようと最奥まで足を運んでいく。

その間に見えるのは、値が張りそうな絵画や照明、花瓶などといった、如何にもな品々達。
初めに入って見えるエントランスからもう既に広くて豪華だったが、これは二階も相当なものだったのだろう。
今はもう古びたり、手入れがされていない為に壊れているが、どれも相当高そうだ。



「こんなに凄い屋敷なのに…ご主人の会社が倒産でもしちゃったのかな?」



模索をするのは失礼だとは分かっていても、流石にこのレベルの屋敷がこんな廃墟のようになってしまうだなんて、一体何があったのだろうと考えてしまったアスナ。
しかし、やはり我に返っていやいや失礼だろうと進めていた足を一旦止めてぶんぶんと自分に言い聞かせるように首を左右に振り回す。




「……あ…れ…?」




自分に言い聞かせ、さて一番奥まで行こう。
そう思って足を再度動かそうとしたその時だった。

本当、本当にただ何気なしに左側を見ただけだった。
ただそれだけなのに、そこにあった一つの扉を視界に入れた途端、何故か自分の足は前に進もうとしない。

まるで、吸い込まれてしまったのかと思う程に、その扉から目が離せなくなってしまったのだ。
別に、今まで通り過ぎてきた扉と何も変わらない、アンティークな雰囲気の扉。




「…?…入って、みようかな…?」




何故こんなにこの部屋に惹かれてしまうのか?
その理由が分からないものの、何か直感でも働いたのだろうと自己完結したアスナはドアノブに手をかけ、ギィ…と音を立てながらゆっくりとその扉を開ける。




「お邪魔しまーす……?」




別に、中に誰かが居る筈はない。
居たら逆に驚くが、ついお邪魔しますと声を掛けてしまったアスナの目に飛び込んできたのは、生活に必要な物が揃った内装の部屋だった。

大きめのベッドに、カーペット、ローテーブルやソファといった家具達が寂しそうに置かれているその部屋に入り、素直に今までの雰囲気とは何処か違うなと感じたアスナは、ふととある何かに気づくと静かに目を見開いていく。




「…似て…る…」




似ている、そう思わず呟いてしまったその理由。
そして何より、アスナは一体何とこの部屋が似ていると思ったのか?
それは、この部屋に置いてある家具達を見たアスナにしか感じることがない筈のことだった。


この部屋に置いてあるソファは黒の布製で、きちんと手入れをしないとゴワゴワとしてしまいそうなもの。
その下に敷かれているカーペットは…ワインレッド。
壁側にはシンプルな戸棚が置いてあって、何冊か本も並べてあった。
そして、テレビ台もシンプル且つ大人っぽいデザインの物だった。




「…この…雰囲気って…何か…」




赤と黒、そしてダークブラウン。
落ち着いた印象を受ける色合いと、余計な装飾がないシンプルなデザイン。

当時とても豪華だったのだろうこの屋敷の中で、まるで別世界なのだと思わせるようなこの部屋。

主人と趣向が違う人だったのかもしれない、ただ、こういったデザインが好みの人なだけだったのかもしれない。

でも、自分は、この雰囲気を知っている。
この、何処か寂しさを感じてしまう、こんな部屋に…





一度だけ、入った事がある。






「…………いや、そんな訳無いよね?うん、無い無い。有り得ない有り得ない。」




まさか。
そう一瞬だけ思ってみたが、いやいや有り得ないだろうと片手を左右に振って見せたアスナは脳裏にチラつく想い人の顔を思い出すと途端に頬を染めてしまう。

…一体自分は何をやっているのか。
部屋の主が誰かも分からないというのに、雰囲気が似ているというだけで彼を思い出すだなんて。
そして何より知らない誰かの部屋を見て彼の部屋と似ているだなんて良く分からない考えが浮かぶなど。




「…あーもう、どんだけ好きなんだよあたしの馬鹿…っ!」




本当に、馬鹿らしい。
そう思いながらも、思い出してしまったせいでどんどんと熱を帯びる顔を隠す為に、そして冷やす為に顔を覆った筈の自身の両手さえも暖かくなっていることに落胆したアスナはとうとうパタパタと両手で自身の熱い顔を団扇のように扇ぎ出す。




「…ん?」




取り敢えずこの部屋から出よう、そう思って方向転換をした際に見えた、戸棚の中にしまってある一つの本。
それを目にした途端、まるで引き寄せられるようにその手を伸ばしてしまったアスナはゆっくりとそのタイトルを確認すると、弾かれるようにその部屋を飛び出した。




「っ…確認しなきゃ…っ!!」





庭で食事を作ってくれているだろうキンモクの元へと、その本をしっかりと胸元に抱き締めながら。




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