窓の外に見えるもの




「……ねぇ今日暇?暇ならお茶でも行かない?……いや違うな…時間があるならこの後ご飯でも行きませんかっ!……何かこれも違くない?」



キンセツシティにある、とあるマンションのエントランス。
新しく建築されたばかりのこのマンションは、勿論最新の防犯システムが採用されており、インターホンはこのエントランスにある機械に部屋番号を入力する形で押す仕様になっている。

その前に立ち、何やら1人であっちに行ったりこっちに行ったりとウロウロしながら落ち着きのない行動を取っているアスナの頬はほんのりと赤く染まっている。



「あーもう…!まだ目の前にいる訳じゃないのに何やってんの馬鹿!!」



何度も足を動かしてウロウロとしていた足を止め、自分自身を馬鹿呼ばわりしたアスナは焦ったように片手で自身の髪を掻き毟る。
何故両手でやらなかったのかと言えば、それはもう片方の手に、とある荷物を持っているからだった。



「…柔軟剤…家の使っちゃったけど良かったかな…?!そこそこ花の香りがしちゃってるんだけど…!」



アスナが覗き込んでいる紙袋に入っているのは、この間ジンに借りた服が入っていた。
洗濯してから返すと約束…というよりも無理矢理持ち帰ってしまっただけだが、取り敢えずその服を今日は返しに来たアスナはそのついでに食事に誘おうと計画していたのだった。

しかし、洗ったは良いものの、使った柔軟剤は自分が気に入っている花の香り…しかもジャスミンの香りのするもので、男性が好むような香りではないかもしれないとこの紙袋に畳んで入れる時に気づいたのだ。つまり時既に遅しというもの。

覗き込んでいる紙袋から香るジャスミンの香りでその時の自分のアホさ加減に呆れてしまったアスナは項垂れるように紙袋に顔を突っ込んだまま溜め息をつく。



「別に匂いなんて何でも構わねぇけど、1人で何やってんだお前?」


「うわぁぁあぁあぁあ?!?!?」



紙袋の中で目を閉じ、はぁ、と溜め息をついた後。
突然聞こえた声に弾かれたように顔をあげたアスナの前に立っていたのは、ポケットに両手を入れたままこちらを見つめているジンだった。

それを頭の中で理解した途端、みるみるうちに顔をその髪と同じくらいの赤に染めたアスナは驚きと恥ずかしさが入り交じったなんとも言えない奇声をエントランスに響かせる。

見られた。寄りによってこんな間抜けな姿を。
食事に誘う予行練習までしていたというのに、まさかこんな紙袋に顔を突っ込んでいる姿を見られるなんて。
しかもこの中に入っているのはジンの服だ。
これではまるで自分が変態みたいではないか。



「っ、…!いや、悪い…!お前があんまりにも気づかないもんだからつい…!っ、ははは!」


「あ、あんま、り、にも?!え、ま、待って…!いつからそこに…!!」


「お前が紙袋に顔を突っ込んだ辺り…っ!く、」



恥ずかしさのあまり、口をパクパクとしながらも何とかいつから居たのかと聞けたアスナに、ジンは笑いを堪えながら答えてくれた。
その答えは自分が紙袋に顔を突っ込んだ辺りからと言うのだから、明らかに一番見て欲しくなかった場面から見られている。



「っ、お前…!本当に面白ぇな…っ!」


「!…っ、…!」



恥ずかしいにも程があるだろう。
顔から火が出るとはまさにこの事だ。
そう思ったアスナだったが、ふと目の前にいるジンが笑いを堪えながら話す姿を見て、自然とその恥ずかしさは消え去ってしまう。

恥ずかしさが消えた理由、それは目の前のジンが自分に対して笑ってくれているから。
なんて単純なんだと思われるかもしれないが、自分に対してこんなにも笑ってくれるのが何よりも嬉しかった。
そして何よりも、いつも大人っぽい印象の彼が少しだけ子供っぽく見えてしまって、結局アスナは更に顔から火を出す羽目になるのだが。



「っ、も、もう!忘れて!今の忘れてっ!!」


「っ、ははは!ま、その内な?」


「その内じゃ困るっ!!…っ、はい!これ!ありがとうっ!!」



忘れてくれ。
そう願いも込めて叫ぶように言い放ちながら、バッ!と乱暴に目の前で未だに笑っているジンへと紙袋を渡したアスナは逃げるように彼に背を向けてしまう。

本当はこの後、食事に誘おうと思っていたが、もう恥ずかしくて、悔しいくらいの彼の意外な表情を見てしまっているのだからまともに顔が見れそうにない。

そんな情けない自分へと嫌気を感じながらも、ぎゅっと目を瞑って別れの挨拶を背中を向けたまま言おうとアスナが口を開いた時だった。



「お前この後暇か?」


「……へ…?」



じゃあまた。
そう言おうとした言葉は、ふと後ろから聞こえてきた言葉に飲み込まれてしまう。
今、自分は何と言われた?そうだ。暇なのかと聞かれたのだ。
拍子抜けしてしまった表情をそのままに、思わず振り向いてしまったアスナが見たものは、ジンが愛車の鍵を指でくるくると回しながらこちらの返事を待っている光景。



「……ひ、暇…!」


「お。そしたらどっか飯でも行くか?腹減ってんだよ俺。」


「……あ。だから降りて来てた…の?」


「そういうこと。ほら、ボケっとしてねぇで行くぞ。バイク取ってくっから、食いたいもん考えとけ。」



食べたいものを考えとけ。
そう言ってすぐに駐車場へと姿を消してしまったジンが居た場所をポカン…と見つめて、言葉を失ってしまったアスナだったが、その後自分がジンから食事に誘われたという事実を理解すると思わず口元を片手で隠す。

どうしよう、嬉しくてニヤけが止まらない。
しかも、バイクを取りに行った、ということはつまりそれは後ろに乗せてくれると言うことなのだろうか。
いや、十中八九そうなのだろう。



「…あたしも、乗せてくれるんだ…?」



思わず呟いたその言葉の意味は、アスナにとって重要な事だったからだった。
重要な事と言ってしまうのは少し大袈裟かもしれないが、実はアスナ、以前ダイゴを含めた3人で買い物に行った際にシアナからカロスでの旅話を聞いていたのだ。
そしてその時にふと思ってしまった事があったのだが、それは…



自分も、彼の後ろに乗ってみたい。という事。



2人に恋愛感情がないのは、勿論分かっている。
シアナがダイゴの恋人だと知っていたから旅に同行してくれていた事だって理解しているし、それはダイゴも同じだったようで深く追求等はしていなかった。


…若干ピクリと眉が動いていたような気がするが。




「…っ、どうしよ…!凄い…嬉しいんだけど…!」



大袈裟かもしれない。
もしかしたら、他の女性も何度も乗せているのかもしれない。
でも、それでも彼は自分を誘ってくれた。
その事実が何より嬉しくて、未だに口元を隠したままのアスナは嬉しそうに目を伏せる。

こんな姿、親友のシアナには見せられないな、等と思いながら、アスナは先程無理矢理帰ろうとしていたエントランスの入り口を、それとは違う幸せそうな笑顔で潜るのだった。




























「……お前さ、」


「え?何?」


「…いや、俺が言うのもなんだけどよ、その…」


「うん?」


「…色々タフだな。」



数十分後。
ジンは煙草を吸いながら、目の前で満足そうな笑みを浮かべているアスナに何とも言えない表情で話し掛けていた。

その理由は二つ。
まず一つはスピード狂らしい自分の運転をそれはもうアトラクションかのようにアスナが楽しんでいた事。
正直な話、自分の愛車に乗せた事がある人物はそのスピードに全員が言葉を失うのだ。
特にそれが女性…シアナ等は特に。
それなのに今目の前でデザートのパフェを美味しそうに頬張っているアスナは…



「何これめっちゃ楽しいーっ!!ジン!もっともっと!!!」



とまさかのもっとスピードを求めて来たのだ。
最初は驚いたのだが、ついそれならとこちらもテンションが上がってしまって更にスピードを上げてしまったのだが。




「タフって何が?」


「俺に速さを求めたのはお前が初めてなんだよ。」


「え?そうなの?あんなに気持ち良いのに?」




また乗せてね!あ、帰りも乗れるのか!
そう言いながらそこそこ大きいグラスに入ったパフェをいつの間にか半分程平らげているアスナは満面の笑みを浮かべている。

そんなアスナを見て、あぁこれが女が良く言う「甘い物は別腹」という精神かと思い知ったジンはアスナの口へと消えていくその甘そうな物体を見て思わず手元のコーヒーに手を伸ばす。



「お前良くあんなの食べた後にそんなでけぇもん入るな?」


「辛いの食べた後は甘い物で決まりでしょ!えへへ!シアナと行く時はここに来れないんだよねー…あの子辛いの得意じゃないからさ!」


「まぁあんだけ辛けりゃ普通食えねぇわな。」




そう、これが二つ目に関係するものだった。
それは今いるこの場所がホウエンで有名な激辛料理専門店だから。
デザート以外のものは全てかなりの辛さを誇り、激辛好きの間ではお馴染みの店。
ジン自体も辛党なので良く1人で来ることはあったのだが、まさか女性に何を食べたいかと聞いてここに来たいと言われるとは微塵とも思っていなかったのだ。

てっきりカフェか洋食を希望するのかと思っていたし、何よりこの店で一番辛い料理を美味しそうに笑顔でペロリと完食するだなんて誰が想像する? するわけないだろう。
目の前で見ていた自分が何よりも驚きだ。
まぁそんな自分も同じ物をいつも通り食したのだが、まさかその後に店で一番大きなパフェまで食べているのだから、その時の自分はきっと目が点になっていた事だろう。



「でもまさかジンがここまで辛いものが平気だなんてね!ね!また一緒に来てよ!1人で来るのはちょっと恥ずかしくてさ!」


「まぁ現に今いる客の中で女はお前だけだしな。」


「そう!そういうこと!…っ…駄目?」


「…っ!」



正直、何気無く食事に誘っただけだった。
元々何処かで昼食を済ませるつもりでエントランスに降りて来たのだし、わざわざ貸した服を洗濯して持って来させてしまった詫びも兼ねて、折角ならと声をかけただけだった。

だから別にこのままアスナとの仲を進展させようとも思っていないし、都合良い関係に持っていくつもりも勿論無い。

それがジンの本音なのだが、テーブルを挟んで座っている、目の前で笑顔を見せていたアスナが不安そうにこちらを見つめている表情を見てしまった瞬間、




(お兄ちゃん…駄目…?)




あいつの顔が、思い出したいのか、思い出したくないのか、未だに分からないあの顔が、表情が、浮かんでしまった。

しかしそんな自分が何も言わない…いや、言えない状況が更にアスナを不安にさせてしまったのかもしれない。
今まで進めていたスプーンを置いて、気まずそうな雰囲気を出してしまっている。



「…しゃーねぇな。好きな時に連れてきてやるよ。」


「……!へ、ほ、本当?!」


「本当。…だからほら、早く食っちまえよ。クリーム溶けんぞ?」


「あ!やだ溶けたら美味しくないのにっ!うん!食べる!」




何故自分は好きな時に連れてきてやるだなんて言ってしまったのか?断る事だって簡単に出来ただろうに。
そう思ったが、自分の言葉で目の前のアスナが嬉しそうな笑顔を取り戻した事を確認して、らしくもなく少し笑ってしまったジンは特に理由もなく窓の外を眺める。




「…晴れてんな」


「?何か言った?」


「…いや。何でもねぇよ。」



窓の向こうに広がる、太陽が照らす青空。
その眩しい光景を真っ赤な瞳に映し、呟いたジンの言葉は一体誰に向けた言葉なのだろうか。

いや、誰に向けた訳でも無いのかもしれないが、目の前で幸せそうにクリームを頬張っているアスナの笑顔を見て、色々な意味でどうでも良くなったらしいジンは密かに目を伏せて笑った。






(ねぇケーキも食べていい?)


(嘘だろお前。)




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