二度目の感覚は




まだ車さえも走っていない、静かなキンセツシティ。
ちらほらと見えるのは、ポケモンと共に散歩やランニングをする運動に気を使っているのだろう、数人のトレーナー達のみだ。
ガヤガヤと賑わっている商店街も、今は全ての店がまだそのシャッターを降ろしたまま、今はまだその沈黙を保っている。



「……。」



そんなキンセツシティに建っている一つのマンションのとある部屋。
そのリビングには、テーブルに置かれた沢山のビール缶や灰皿に溜まったままの煙草の吸い殻が無惨に散らばっている荒れた状況だった。

そこにただ響くのは誰かを呼び出している電話のコール音。
何度かそれを繰り返し、鳴り終わったと共に聞こえたのはホウエンリーグ四天王の1人、カゲツの眠そうな声だった。



「っ、ふわぁ…なんだよこんな朝早くから…?」


「おい、」


「んん…?」


「今日、代われ。」



まだ重い瞼を擦りながら、ムクリと体を起こしたカゲツの耳に届いた、その言葉。
有り得ない。有り得なすぎる。
まだ自分は寝ぼけているのか?寧ろこれは夢か?
ほら、偶にあるだろう?夢から覚める夢とか。

これはきっと人違いでもしているのかもしれない。
そうだ、きっとそうだ。
でなければ面倒くさがりの「あいつ」が自分に電話をしてまで仕事を代われ等と言う筈がない。
しかもこんな朝早くからだなんて、やはり自分はまだ夢を見ているに違いない。

まだ寝起きの回転が緩い脳内で、何とか自分なりにそう推理したカゲツはその確証を得る為に自身が持っている端末に表示されているだろう名前を確認する。

そこには…



「………マジで?」





























「おらどうした?!そんなもんか?!こっちはまだ準備運動にすらなってねぇんだよ!せめて体操ぐらいさせろや!」


「待って!!?!何で今日ジンさんいるんすか?!この間も出勤してましたよね?!テレビ出てましたよね!?」


「あぁ?!てめぇ文句言ってる余裕あんならもっと俺を楽しませろよ!ほーらまたこの間みてぇにメラメラ燃えてくか?!あん時はどうしたっけ?!俺のウォーグルに糞みてぇな水技引っ掛けて来たよなぁ?!」


「熱風で蒸発しましたよね覚えてますよとっってもクリアに!!!あぁぁ俺ってもしかしてめっちゃ運悪い?!」


「運が良いの間違えだろーが!おらどうした!カタカタ震えてねぇで何か抵抗してみろや!あぁ?!」



ホウエンリーグ、四天王戦。
その一番初めの部屋の扉をルンルンと鼻歌を歌いながら開けたのは何分前だったか。
これ程までに開けなければ良かったと後悔する扉が今までにあったか?いや無い。

目の前で凄まじい睨みを効かせるウォーグルのその翼から放たれた熱風によって燃えていくのは、自分の一番のエースであるジュカインのリーフストーム。


その風は、無数にある深緑の刃を巻き込んで。

その熱は、深緑と共に荒れた嵐をも燃やして。

酸素を取り込み、更に荒々しく恐ろしい程の音を掻き鳴らす大きな炎は、いつの間にか辺り一面を埋め尽くす。



「っ…!!!」



強い、強すぎる。
これが、これが四天王の実力。
…本当にそうか?ここまでの威力を誇るそのポケモンも、そしてそのポケモン達を束ねている目の前のジンも。

必死に、その炎を防いでいくのに精一杯な自分を、まるで赤子の手を捻るかのように軽々とその火力を増して迫ってくる。

こんな人が、本当に、四天王?
この実力で、この強さで、四天王レベルだと言うのか?
いくら伝説であるグラードンを使ったとしても、チャンピオンであるダイゴを一度負かせたこの自分が、ポケモンが、ジュカインが。



「っ…負け…ました…!!」



こんなの、もうバトルどころではない。
恐怖も、気持ちも、強さも、スピードも、火力も。

全てが、まだこの人に勝てない。
そして何よりも…



「っ…ジンさーん…」


「つまんねぇなお前…なんだよ?」


「やっぱ、めっちゃ怖いんすけどぉおぉぉ…!!?」



一度だけでなく、二度までも。
すっかりとその脳にトラウマとして植え付けられた恐ろしい炎の中心で魔王の様なゲスい笑顔を終始見せていたジンがやっといつもの気怠そうな表情に戻ったことに心から安堵したユウキはへなへなと地面にしゃがみ込んだ。
もう、当分は絶対に挑戦しに来ないと強く、固く自分に誓って。



「…てか、ジンさん、なんかこの前より酷くないっすか?」


「あ?何が。」


「いや…?上手く言えないんすけど、なんか…まるで…」



『業務連絡、業務連絡。…チャンピオンがお呼びです。ジンさんは至急チャンピオンの自室までお願い致します。繰り返します…』



まるで…そう言ってジンの真っ赤な瞳と目が合ったユウキが続きを言おうとした途端に、遮るように流れた業務連絡のアナウンス。
その内容を耳に入れた瞬間、苦虫を噛み潰したような表情を全面に出したジンはそれを誤魔化すかのように胸ポケットから出した煙草に火を着ける。


「あの、」


「……なんだ。」


「行かなくていいんすか?今のってダイゴさんからの呼び出しじゃ…?」


「待たせときゃいいんだよ。」



至急だと呼び出しを受けた筈なのだが、それを全くと言っていい程気にせず悠長に煙草を吸い始め、「待たせときゃいい」のだと言い放ったジンを見て、ユウキはこのホウエン代表とも言えるチャンピオンの日頃の苦労が少しだけ理解出来たような錯覚に陥る。

錯覚、と言ったのはその苦労がきっともっと日常のように繰り返されているのだろうと安易に想像出来たからだった。
そう、今もまた天井に吊り下がっているスピーカーから流れる、「繰り返します」というアナウンスと同じように。



『繰り返します!ジンさん!至急チャンピオンの自室に…』


「ジンさーん…俺、これ数えてましたけど、五回目っすよ?」


「面倒くせぇなぁ…はぁ、仕方ねぇ、そろそ」


『ジン!!さっきから来いって言ってるだろう?!来るまでずっとこのままだからな?!早く来いっ!!ジン!聞けっ!!早く来いって!!!いい加減にしないと僕にだって考えがあ』


「だーーっ!!うるせぇ行きゃぁいーんだろ行きゃぁ!!この石野郎!頭まで石で出来てんのかほんっっとうに硬ぇ頭してんなてめぇ!!」


『お前に言われたくないんだよこの不良っ!!何度挑戦者にトラウマ植え付ければ気が済むんだよ!親御さんからの苦情が殺到してるんだよ!!それを毎回処理するの僕なんだけど?!大体どうせ焼くならバトルフィールドじゃなくてその面倒くさがりな脳味噌を一旦焼き払った方がいいんじゃないの?!』


「んだとこのシアナ馬鹿がっ!!焼き払った方が良いのはてめぇのその女々しい脳味噌の方だろうがっ!!大体リーグ戦に首突っ込む親の気がしれねぇよ!」



四天王1人1人の部屋にあるらしい、本来はバトルを記録する為にある筈の監視カメラ越しに。
一応この場では上司である筈のチャンピオンに暴言を吐くジンと、
初めはきちんと呼び出し係を通していたのだが、我慢出来ずに直接文句を言ってしまっているダイゴの口喧嘩。

いい大人の、そんな仕事場を忘れているただの幼馴染の言い合いを見せつけられているユウキは、いつの間にか目を覚ましていたジュカインと共に遠い目をしながらその光景を眺めている。



『あの、チャンピオン!これは業務連絡用の機材ですので!!あ、ちょ!……っ、その言い方だと僕がシアナを好きな事が馬鹿みたいだって聞こえるから止めてくれない?!大体ユウキくんは何でまだそこにいるの?!悪いけど今はそれどころじゃないんだ!また後日おいで!!勝ち進めばきちんと相手をするから!!』


「てめぇうるせぇんだよ行くっつってんだろさっさとスピーカー切れや!!取り敢えずお前は早く帰れっ!」


「なんで俺が怒られんのっ?!理不尽っ!!」


「『いいから帰れっ!!』」



この地方は本当に大丈夫なのだろうか?
リーグというのはその地方の顔と言っても過言ではないと思うのだが、こんな私情剥き出しの会話をチャンピオンと四天王が業務連絡用の機材でしてしまうだなんて。

そんな事を思っていた、いや、誰もが思うだろう事を言わずに見守っていたというのに。
何故自分は言い合いしている筈の成人男性2人に揃って怒られなければならないのか。
大体喧嘩をしていた筈ではないのか?何故揃う。



『お前はまだ部屋にいるんだね?!そうか僕が迎えに行かなきゃ来れないんだね?!分かったよ行ってあげるから大人しく良い子で待ってるんだよ!!』


「うるせぇなさっきから行くっつってんだろ!言葉も分かんねぇのかてめぇは!あぁそうか脳味噌が石だから分かんねぇのか!惨めだな!!」


『チャンピオン!本当にあの!これ以上は協会から何か言われ、…ごめんそれどころじゃない!大体お前は昔からいっつもそうやって…!』



ギャーギャー鳴り止まない大人気ない口喧嘩。
それをバックに、呆れているジュカインの背中を押して「帰ろう」と一言呟いたユウキは疲れ切った表情を見せながらロックが解除された扉を開ける。
ポケモンセンターへと繋がっている道を進み、平和な空間へと戻ってきたと同時に聞こえなくなった言い合いの数々を耳から追い出すように何度か首を振ったユウキは早々とポケモン達を回復させて外へと飛び出すのだった。




「……そういや、本当に今日のジンさん…変だったな…?」



ふと振り返り、先程まで自分がいたリーグ会場をその瞳に映したユウキは不思議そうに首を傾げる。
まだ、ジンとは二度しかバトルをしていない。
だからもしかしたら、この違和感は自分の勘違いなのかもしれない。

でも、それにしても、今日のバトルは、ジンは、まるで…



「…上書き…」



まるで、何かを隠すように、誤魔化すように。
上書きをするかのような、いつもとはまた違う強引さだったのだから。



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