紺碧の未来




走った。
ただただ…愛おしい存在を抱き締める為に

走った。
ただただ…溢れて止まらない想いを届けに行く為に

走った。
ただただ…伝えたい事を、君に伝える為に




「はぁっ、はぁ…!!」



走った、走った、走った。
僕は完璧な人間でもないから、優しい人間でもないから。
木の実畑に行くまでの舗装路なんかよりも、もっと早く、もっと早くと道を無視して乱暴に乱雑に草木を掻き分ける。
それで野花を踏み潰してしまおうが、寝ているポケモン達を起こしてしまおうが、どうでもよかった。

そんな事よりも早くシアナに会いたくて、まずはごめんって謝って、それから…それから…

あぁ、もういい、もういい。
考えるよりも足を動かせ、腕を動かせ。
少しでも早く、一秒でも早く、早く。




「えっ、あ、ダ…ダイゴ、さん…?」




ほら、手を伸ばして、包み込んで。

知ってるだろう?
この温もりも、細身の自分でもすっぽりと抱き締められる華奢な体も。

知ってるだろう?
この香りも、ふわふわと頬をくすぐる柔らかな金の髪も。

知ってるだろう?
その感覚が何より大好きで、何より大切で、




一生、手放してはいけない…世界でたった一人の愛しい人の証だって




「っ……シアナ…」


「……!…ふ……、う……」


「…シアナ、シアナ…シアナ…っ!ごめん、ごめん…ごめん…っ!!」


「う、あ…!ぁ…!」




その空色の瞳と目が合った瞬間から、まるで蛇口を捻ったかのように勝手に零れて止まらない涙なんてどうでもいい。
いくら流れていたって、いくら止まらなくたって。

それよりも目の前のシアナが流す月明かりに照らされた大粒の涙の方が何倍も綺麗で、八の字になった眉も、赤く染まった頬も、涙に濡れた長い睫毛も。
その全部が愛おしくて…その全部が痛いくらいに胸を締め付ける。
決して埋めは出来なくても、それでも今までの分をなるべく埋められるなら、いくらでもそこにキスを落とそう。

そして最後は、最後は。




「だい、ご…っ、ダイゴ…ダイゴ…!!ふ、ダイゴ…っ、!」




僕の名前を呼んでくれる…その唇に。
何度も何度も呼んでくれて、何度も何度もびくりと跳ねて嗚咽を起こしてしまうその愛おしい音を奏でてくれる場所に。

何度も何度も、何度も何度も。
どちらの物かも分からなくなった、混じりあった涙の…空を映した青い青い海のような味がしても。




「…はっ、…ただいま、シアナ…!ただいま…っ!」


「ん、うん…っ!おかえ、り…なさい…っ!」





ただいま、おかえりなさい。
その言葉が、その言葉の返しが。
いつからだったろう?
一緒に過ごす内にいつの間にか幸せな当たり前になって、毎日の繰り返しで。

当たり前の言葉が、いつもの言葉だったそれが。

こんなにも大切なものなんだって、こんなにも心が擽ったくなる言葉なんだって。



忘れていた、記憶だけでなく、こんな些細な事さえも忘れていた。


信じていてくれてありがとう、待っていてくれてありがとう。
戻ってきてくれてありがとう、帰ってきてくれてありがとう。


他にも沢山あるんだ、沢山…本当に沢山。
枯れていた大地に涙の雫がポタリと落ちて、芽が出て蕾になったその沢山の言葉達が頭の中でぶわりと開花して色とりどりの花吹雪を起こすけれど。


それよりも、その上にある青い青い…何処までも澄んだ空が、月が。一番伝えたい事を…その清々しい色と共にダイゴを輝かせる。





「……君は大丈夫だよ、もう1人じゃない」


「……え…?」


「今までの君には、辛いことが沢山あった、寂しい思いだって沢山した」


「……」


「でも…大丈夫だっただろう?…お父さんは、君をきちんと愛してくれていた。親友のアスナだっていた。……そして何より…君は強い子になった。強くて優しくて、とっても眩しい。…たまに純粋過ぎて心配になることもあるけど」


「!…だ、い…」




チリィーン…と、音が鳴る。
小さな頃の、悲しく広い…大きな窓から月明かりが光り輝く静かな世界で。

遠い遠い…ただの夢だと思っていた、その世界は。
遠い遠い…自分を勇気づける為に抱いたものだと思っていた、その王子様は。




「…君を、迎えに来たよ」




青みを帯びた白く白く…何もかもを包み込んでしまうような大きな月をバックにして、目の前でゆっくりと片膝をついて…取り出した青い青い、紺碧色の小さな箱を…優しく開ける。

そしてその途端、キラリと光るその銀色のリングの中心に光る、深い深い…空を映した海のような青が。
遠かった、半信半疑だった、生きる希望だった、その王子様からの言葉を…未来での本物にしてくれた。





「…結婚しよう」





(私の夢だったかもしれないし、実在するかも分からない人で…!で、でもどうしても私、その人の存在を否定したくなかったの…!私の心の支えになってたのは事実だから…っ!でも、やっぱりそんな夢物語みたいなこと、ダイゴに話すのは勇気が足りなかった…のもあった、んだけど…)


(…うん、)


(私、私…自分でも分からないんだけど…っ!)


(うん、)


(大好きなダイゴと…その…初恋の人…を、なんだか…別の括りにして、分けることをしたくなくて…っ!)





あぁ、何だ。一緒だったんだ。
初めて恋した人も、初めて愛した人も。
馬鹿だなぁ…心の支えになっていたのは、大人になってからじゃなかった。
もっともっと昔から…ずっとずっと…ずっと前から彼は支えになってくれていた。

そう思ったら、自然と左手が彼の方へと向かっていって、自然と頬が緩んで、自然とあの時の言葉が…夢物語だったあの言葉が、恋物語の言葉として再生される。




「…綺麗な、月だね…」


「!……ふふ。昔も今も、これからも。…いつまでも…君に寄り添って、淡く照らすから。…だから…これからも僕が僕であれるように…偽りのない僕であれるように……空と月のように、僕と生涯を共にしてください」


「……はい、…喜んで……!」






(生きて、シアナ。私の分まで…生きて…生きて幸せになりなさい…っ!ダイゴさんと一緒に、沢山の幸せを充分に浴びて…っ、抱えきれなくなるくらい、沢山の思い出を作って…っ、)




ねぇお母さん、今もそこにいてくれてるの?
私、私ね…沢山の思い出をもらったよ。
消えかけてしまったけど、それでもそれは強くて眩しくて、幸せと一緒に戻ってきてくれたよ。




(私はっ!私はずっと、そんな貴女を…っ、見ているから…っ、どんな時も…っ!!傍にいるから!いつだって、貴女をこの瞳に映し続けるからっ!!)




うん…そうだね、ごめんね。
「いてくれてるの?」なんて、聞く必要なかったね。



だって、だって。
過去に繋がった切っ掛けをくれた、この木の実畑から見える大好きな海は。

今まで光っていた…「思い出」を沢山詰めた左手の銀の指輪の上から…
まるで「これからの思い出」を重ねていくかのように、足していくかのように。
今度は銀色の中心に青く青く…海のように深く輝く、紺碧色の宝石をあしらったその指輪が、今こうして光っているんだから。




「…シアナ…」


「……何…?ダイゴ…」





頬を撫でる。
暖かいのに凛としていて、ふわふわと心地良いのに芯が強い、大好きな母のような潮風が。

頬を撫でる。
空も海も、月さえも。
下からいつでも見守って、支えてくれている…時々少し頼りないけど、大好きな父のような大地から芽吹いた、潮風に舞う新緑の葉が。

頬を撫でる。
すぐ近くまで戻ってきて、微笑んでくれているのだろう…真っ赤な真っ赤な…何よりも頼りになる大好きな家族から放たれている強く優しい存在感が。

頬を撫でる。
ずっとずっと…寄り添ってくれてた…世界でたった1人だった、恋を教えてくれて、愛を教えてくれた人の大好きな手が。




「…これからもずっと、愛してる」


「…私も、ずっとずっと…愛してる」




夜空に静かに輝く、その大きな白い月は。
ゆっくりと確かに再度繋がった…繋がり直した2つの影と。
そんな2人の「これから」を約束する紺碧色の宝石をいつまでも淡く強く、寄り添うように照らしてくれていた。



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