翠玉の風に乗って



「シアナのおばぁちゃんのグラタン美味しっ?!いくらでも食べれるよこれ!!」


「色々と突っ込みたい事はあるんだけど、そこまでバクバク食べられると清々しいわね……怒る気も失せたわ。はぁ…で?今日帰ってくる薄男に結局全部話すわけね」


「う、うん。そのつもり…」


「それで、「裏庭にある木の実畑で待ってます」と置き手紙まで置いてきたと」


「うん、置いてきた」




ダイゴと住んでいた家から残りの私物を全て持って、アスナと共に今はマヒナが買い取った実家に帰ったシアナは、帰ってきて早々マヒナとホークにこれから自分がしようとしている事を話し終わったところだった。
いつものマヒナなら、ここで「何馬鹿なこと言っているの」といった風に怒るのだろうが、幸いなことにそれはシアナの隣で美味しそうにマヒナのグラタンを食べているアスナのお陰で、どうやら免れたらしい。
マヒナも流石に自分の作った食事を「美味しい美味しい」と幸せそうに食べられてはそんな気も失せてしまったのだろう。

そんなマヒナを見て、心底アスナに感謝したシアナは、それはそれとして本当に美味しそうにグラタンを食べるアスナの雰囲気にかなり心が和らいだ様子で、ため息をついているマヒナと心配そうにおろおろしているホークの前でも何とか凛とした態度を見せられていた。




「…全くあんたって子は…本当にカイリそっくりね…」


「ははは、確かに。後ろにカイリが重なって見えたよ。…しかしマヒナ…見る限りシアナも決心してのことだろうから…見守ってやろう」


「………っ別に、もう手紙まで置いてきたっていうんだから今更止めはしないわよ。ただ、その結果によっては私だって考えがあるわよ」


「んぐ。…あっはは!マヒナさんは本当に孫想いですよね!その時はあたしも一緒にやりますから!」


「誰が孫想いよ誰が!別にそういう、あ、あれじゃないわよ!ただあのっ、ほいほい忘れたことが頭に来るだけよ!!だか…あーもういいからあんたはグラタン食べてなさい!」


「えっ、おかわりいいんですか?!やった!!」




もう置き手紙は置いてきたと、そう言ったシアナの瞳がとても強いものだったことに…娘であるカイリの面影を見たマヒナとホークは今更止めることはせず、静かに事の顛末を見守ることにしたらしい。
その様子に嬉しそうに笑いながらグラタンを食べ終わったアスナが声をかければ、マヒナは顔を若干染めて追加のグラタンを「黙れ」という意味を込めたようにアスナに差し出す。

そんなアスナを見て笑いながらも、心の中で「わざと無邪気でいてくれている」という事が分かっているシアナもまた、アスナの隣で自分の分のグラタンを美味しそうに頬張るのだった。


木の実畑に向かうまで、少しでも暖かい勇気を沢山もらっておこうと、ゆっくりじっくり…この場にある全てをちゃんと噛み締めて。














「ここでいいよ、親父」


「そうか。何か不便があれば連絡しなさい。退院したといってもまだ無理は禁物だからな」


「うん。分かってる」


「あぁそれと…」




一方、その頃ダイゴは無事に退院の手続きを済ませ、父親のムクゲと自分の家があるトクサネシティへと戻ってきていた。
本当ならエアームドに乗って帰るつもりだったのだが、何故か「たまにはいいじゃないか」とムクゲに言われ、こうして親子水入らずでゆっくりと帰ってきた。

その事に少し疑問を抱いていたダイゴだったのだが、久しぶりに親子で他愛ない話をしていればトクサネシティに着くのは割とあっという間で、道中で自分の家が見えたダイゴは「ここでいい」とムクゲから自分の鞄を受け取って玄関を開けようとするのだが、ムクゲはそんなダイゴを呼び止めてジャケットの内ポケットから何かの箱を取り出すと、それをダイゴに渡した。




「?何この箱…退院祝いか何か?」


「いや、そういう訳では無い。お前が開けたいと思った時に開けなさい」


「開けたいと思った時…?何それどういうこと?」


「まぁそういう事だ。いくら報道陣が見当たらないからってゆっくり玄関前にいてもあれだしな、早く入りなさい」


「?本当に訳分からないんだけど…?…でもまぁ、そうだね。…じゃぁまた」


「あぁ」




何の箱かという質問に対してよく分からない返答をされたダイゴは首を傾げてしまうが、ムクゲの言う通り報道陣がいないにしてもあまり外に居るのはよろしくないと判断して玄関の鍵を開けた。

報道陣が見当たらないのは、きっとジンやミクリがこの前解決したフレア団の残党とやらの事件の方に情報が集中しているからなのだろう。
しかしそれも詳しいことはまだ本人達から聞いておらず、ムクゲから軽く聞いた程度の情報しか持っていないダイゴは「全くあいつらは僕の知らないところで…」と無茶をしたのだろう2人に対してため息をつきながら扉を開ける。




「……え…?」




すると、先程までついていたため息が嘘のようにスッ…と消えてなくなってしまった。
それがどうしてかと言われれば、ダイゴ本人も上手く説明出来ないのだが…何か、そう…何か違和感のようなものを感じたからだった。

自分の家のはずなのに、自分の家ではないような。
いや、もっと言えば、「自分だけ」の家ではないような、そんな気がして。




「?…何だろう…この感覚…それに部屋も凄く綺麗だ……一度も帰って来てなかった筈なのに……親父が掃除してくれてた…とは考えにくいし……」




どういうことだ…と、自分のことなのに自分でも分からないこの暖かで穏やかな心地よい感覚が分からず、リビングで立ち尽くしてしまったダイゴは、ソファに座るでもなく…電気をつけることを忘れた部屋の中を照らす月をその視界に入れると、咄嗟に外の空気を吸おうと窓を開けた。




「…っ、うわ…?!」




すると、帰ってくる間は風なんか吹いていなかったはずなのに、何故か…まるでダイゴが窓を開けるタイミングを狙ったかのような風が突然入ってくる。

それがどうしてか、もう夜なのに昼間のような暖かい感覚で、窓から見える程度の距離にしては…まるで海の目の前にいるかのような、不思議な香り。




「…あ、れ…?何でだろう……海みたいな…翠玉色が…一瞬見えた…ような…」




風はなんの色もない。目にも見えない。当然だ。
それなのに何故かダイゴの脳裏にはその風に吹かれた瞬間に…このホウエンの海とはまるで違う、南国のような翠玉色が浮かんでいた。
しかも強く吹かれたのにそれも全然嫌ではなく、何処か懐かしささえ感じたダイゴが呆気に取られて目をパチクリと何度か開け閉じしてしまったのだが、その途端に後ろからバタン、と何かが倒れる音でダイゴは我に返ると、それを確認する為に後ろを振り返った。




「?アル…バム……?…って、うわっ、また?!あぁもう!窓閉めるの忘れ………………」




振り返った先にあったのは、本棚から落ちたらしい、見覚えのないアルバム。
自分の家にある物なのに、こんなのは見たことがない…と確認する為にそのアルバムに手を伸ばすことを一瞬拒んだダイゴだったのだが、それは再度吹いてきた翠玉色の風によって、まるで背中を押されるかのようにふらついたダイゴは一旦窓を閉めようとした。

しかし、その体は思いとは裏腹に…パラパラとその風に乗って捲れていくアルバムの音に導かれるように前を向き、その瞳はそのページを見る度に大きく丸く見開かれていったのだった。









「いってらっしゃい、シアナ」


「うん。いってくる」


「…きっと大丈夫だよ。あたしが保証する!だから胸張って、ちゃんと説明してきな!あたしもマヒナさんもホークさんも、…ここで待ってるから」


「…うんっ!」




ダイゴが翠玉色の風に導かれるように、見たそれは何だったのか。それを知っているのは…




(あたし、実はシアナに黙ってあの家にわざと忘れ土産してきたんですよねぇ)


(はぁ?何の話?)


(思い出の魔法ですよ!)




風に吹かれながら、ハクリューに乗ってトクサネシティへと飛んでいったシアナの背中を笑顔で見送りながらそう言った親友のアスナしか、まだ知らないものだ。



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