信じあう心
まただ。また、この夢
どこまでもどこまでも続く…青い青い澄んだ空の中。
眩しい太陽に照らされて、逆光でほぼ見えないその女性はこちらへと振り向くことは無い。
「ねぇ、君は誰なんだい?」
問いかけても答えてくれなくて、手を伸ばしても届かなくて。
自分に背を向けているその背中は華奢でありながらも、まるで背中に一本の棒が通っているかのようにピンと背筋が伸びている。
それなのに何故かその背中が寂しそうで、何かを自分に訴えているように感じて、毎度毎度、僕は届かないその背中に手を伸ばすんだ。
でも、でもやっぱり、今回も何も届かない。
ただただ、青い青い空の中心で凛としながらも寂しそうに立っている君に対して、僕は何も出来ずに立ち尽くして、時間が経って目が覚める。
そんな事はもう何度も繰り返してきた。
なんの進展もなく、こうして同じ君の夢を見て、同じことを問いかけて、同じように手を伸ばす。
「!もしかして…君…泣いているのかい?」
あぁ、今回もまた、君のことが何も分からずに僕は目を覚ますのか。
そう思って、いつものように今回もまた逆光の中で必死に開けていた目を伏せようとした、その時。
一瞬、一瞬だけ…その肩が揺れた気がして、鈴のような綺麗な音が鳴った気がした。
その音がやけにリアルで、脳に直接響くような感覚の後に僅かに見えたのは、ぽたりと一粒だけ地面に落ちた何かの雫。
それが彼女の「涙」だと気づいた時、言葉と共に再度前へと伸ばしたその手は…
「っ、ねぇ!君は…!!」
「ひゃ?!え、ダイゴさん?どうかしました…?」
「!………え…?」
今まで届くことがなかった筈なのに、触ることすら出来なかった筈なのに。
すんなりとその肩に手を置けたと思って目を見開いたダイゴの目の前にいたのは、驚いた様子で振り向いたシアナの姿だった。
その手には綺麗に咲いた青い花が入った花瓶があるが、それは自分が今までいた青い青い空の世界ではない。
立っていた筈の自分は上半身を起こした状態でベッドにいるし、天井は無機質な白であって、あの世界の空に浮かぶ真っ白な雲ではなかった。
それを掠れる視界の中で何とか確認して…つまり自分はあの空と女の子の夢から覚めてしまい、今の自分の現実である病室にいるということ。
「…え、あ、…そっか、夢から覚めたのか…」
「あの、ダイゴさん…?大丈夫ですか?夢見が悪かったとか…」
「ううん、寧ろもっと見ていたい夢だよ。…でもまた、駄目だった…のかな…」
「?ダイゴさん…?」
少しでも進展したかと思ったのだが、肝心な所でこうして目覚めてしまうだなんて…とダイゴが静かに心の中でため息をつき、思わず少し手に力を込めてしまえば、それに気づいたシアナは心配した様子でダイゴの名前を控えめに呼ぶ。
その声を聞いて関係のない彼女に心配させてはいけないと慌てて顔を上げたダイゴは、その空色の瞳と目が合った瞬間にハッ、と息を飲んで言葉を失ってしまう。
そんなダイゴの様子に本当に心配になったシアナが再度言葉を投げかけようと口を開きかけたのだが、それよりも先に何とか思考回路を瞬時に回復させたらしいダイゴがいきなり両手をバッ!!と真っ直ぐ天井に向けて大声を出した。
「ご、ごめっ、ごめん!!!ずっと君の肩に手を置いたままだった!!か、勝手に触れられて驚いたよね?!ごめんね?!嫌だったよね?!」
「え、そこですか?!確かにビックリはしましたけど、嫌なんかじゃないですよ…?!」
「ほ、本当に?!嫌な思いしたとか、ない?!」
「ふふ、だからしてないですってば。というか、ダイゴさんこそ起きて直ぐに私が病室にいて驚いちゃいましたよね?ごめんなさい…エルフーンを迎えに来たらまだ寝ていらしたので、花瓶の水を交換して新しいお花を生けてたんです…えっと、それこそ勝手にごめんなさい…!」
いくら寝起きだからといっても自分がずっとそのままの状態…つまり、好きな女性の肩に手を置いたままで、しかも彼女からしたら訳の分からない事を呟いていたということに気づいた瞬間に顔を真っ赤にして必死に謝り倒したダイゴだったのだが、そんな彼の考えていることが分からなくても、シアナからしたらこうしてダイゴと話していられること自体がとてつもなく嬉しかったのだろう。
素直に笑顔を零して慌てているダイゴを宥めながらも、よく考えれば自分がしていた事も今のダイゴからしたら戸惑うものかもしれないと不安になって、逆に今度は彼女が謝ってしまった。
しかしそんな不安は、自分を知らない筈の…今の彼からの言葉でほろほろと緩やかに暖かく崩れていく。
「え、あ!いや?!全然構わないよそれは!というか折角シアナちゃんが来てくれたのに寝てたなんて情けない…っ、あ!花もありがとう!僕は花にはそんなに詳しくないんだけど、その花は凄く綺麗だと思う。何だか見ていると不思議と落ち着く花だね…その花、僕は凄く好きだな…」
「!…ふふ。良かった…これはブルースターという私が大好きな花なんです。……えっと、エルフーンもまだ寝ているみたいなので、眠気覚ましにコーヒーでも入れて来ますから、えっと、少し待っていて下さいね!」
「シアナちゃん…?って、もう行っちゃった…」
心の底から感じた素直な感想を彼女から教わったブルースターという花に対して伝えた途端、何故か一瞬彼女が頬を優しく緩めて泣きだしそうな表情をしたような気がしたダイゴが不思議に思って声を掛けようとするが、それよりも先に花瓶を素早くサイドテーブルに置いて「コーヒーを入れて来ます」と早口で告げたシアナは流れるような動作で病院から一旦出ていってしまう。
そんなシアナの足音が遠くなっていく音を聞きながら…行き場のなくなった自分の手を数秒眺めたダイゴは自分でも分からないままに目を細めて微笑んでしまった。
「…夢なのか現実なのか…分からないのに、分かる気がするような……なんだろうな…この感覚は…」
あの時…夢の中の誰だか分からない彼女が泣いているのを初めて見て、思わず手を伸ばした、あの時。
目が覚めた先にいたシアナに触れたのは、偶然だったのか、それとも…
分からない。
自分の夢の中の話なのに…いや、ただの夢の話だとしてもきっとあの夢の中でまた進展があれば、自分は何かを掴めるような気がするのは確かだ。
そして何より…今は現実の筈なのに、シアナに手が届いたことで…まだあの青い空と女性の世界である、あの夢の中にいるような感覚がすることに対して疑問がある筈なのに、それが心のどこかで嬉しくも感じて、日差しのようにぽかぽかと暖かいのも、確かだ。
「…ブルースター、か…」
そして、これは自分にとって願いのようなものなのだが…そんな彼女が持ってきてくれたらしい…花瓶に生けてあるブルースター達の色が。
咲き始めの色が空色で
咲頃の色が濃い青で
咲き終わりに連れて紫色を帯びているその様子が、まるで。
時が流れるように、確実に空が自分へと近づいてくれるような…或いは自分が空へと近づいていけるような。
空色の瞳を持つ…今自分の為にコーヒーを用意してくれているだろう、彼女と、青い青いあの世界に。
自分の手が届くような…そんな気がして。
「……エルゥ…?」
「…あ、エルフーン、起きた?おはよう。今シアナちゃんが来てるから、彼女が戻ってきたら君のことを話してみようね」
「!エルゥ!ルゥルゥ!」
「あはは!分かった分かった、ふふっ擽ったいよ」
花には興味がなかった筈だけれど、それでも愛おしさのようなものさえ感じる…心の奥底で何処か懐かしい感覚の中でそんな勇気をブルースターからもらったダイゴは、起きたエルフーンとじゃれあいながらシアナが戻ってくるのを待つのだった。
「…記憶がなくても…やっぱりダイゴは…ダイゴなんだね…っ、ありがとう…ダイゴ…ダイゴ…っ、大好き…っ!」
朝早くなこともあって、幸いまだ誰もいない談話室に設置してあるコーヒーマシンの機械的な音の中に混じる…嬉しそうに涙を流しながら静かにそう呟いたシアナの言葉を、まだ知らずに。
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