企業秘密





「お邪魔するよ。…さてダイゴ。調子はどうかな?」


「………」


「?ダイゴ?」


「……っ、え、あ!ミクリ?!いつの間に?!驚いた…ノックくらいしてくれよ…!」


「したのだが…」




太陽が傾き初めた昼過ぎ頃。
チャンピオンとしての執務を終えたミクリが丁寧にノックをして入った部屋の中には、何やらソファに座って空を眺めているダイゴの姿があった。
そんなダイゴに普通に声をかけたミクリだったのだが、本人はうわの空だったのか一度の呼びかけに反応せず、あろう事かミクリがノックをして入って来なかったのだろうと勘違いまでする始末だった。

その事に苦笑いをしながらも、ダイゴが何故そんなに呆けてしまっていたのかという方がミクリは気になったのだろう、ダイゴの膝の上にいるシアナのエルフーンに軽く挨拶をすると、ダイゴの隣に腰を下ろして声をかけた。




「何か考え事か?」


「考え事…というか、なんと言うか…その…いや、何でもないよ」


「うん?……というか、何故エルフーンがまだここに居るのかな?シアナちゃんは迎えに来なかったのか?」


「シアナちゃん?!あ、きき、来た!来たよ!来たけどっ、このエルフーンがまだ帰りたくなかったみたいでっ!僕もまだエルフーンと居たいから大丈夫って言ったんだ!だかっ、ま、また!そう!だからまた来るって言ってたんだ!」


「…ほう…?ということはまたシアナちゃんに会える口実が出来たわけだな?良かったじゃないか」


「そうなんだ!また明日が楽し………っはっ、?!」




初めはミクリの質問に、悩んだ末に結局「何でもない」とはぐらかしてしまったダイゴだったのだが、それなら…ともう一つ気になっていたことをミクリが問えば、どうやらそれが引き金になったのだろう。
ペラペラと早口で、尚且つ言葉を噛みながら勢いよく話したダイゴの頬が熱を持っていたのを見たミクリは、面白そうに更にダイゴのツボをついてみせた。
すると、本当にそれが彼のツボだったらしく、ダイゴは自分で言ったことを理解した途端に言葉を失って顔を真っ赤に染め上げてしまう。




「くくくっ、ははは!分かりやすいなお前は…!」


「かっ、からかうなよ!っ…全く!ジンみたいなことをしないでくれる?!」


「ははっ、すまない。…つまり彼女に一目惚れをして、その後完全に恋をしたってところかな?」


「ぐっ………そう、です…けどっ、?!」




不屈そうな…悔しそうな顔をしながらも素直にミクリの考察とやらに頷いてしまったダイゴは真っ赤に染まった頬が相当熱を持ってしまっているのだろう。
まるで耐えられない!とでも言うかのように素早い動作でテーブルの上に置いてあった水を飲み干す。
すると、ダイゴが水を飲んでいる間の一瞬の隙に彼の膝の上にちょこんと座っていたエルフーンへとミクリはウインクをすると、エルフーンは涙を滲ませ、こくりと頷いてみせた。

そんなエルフーンの気持ちが伝わってきて、こちらまで泣きそうになってしまう…と心臓が締め付けられるような熱い感覚を覚えたミクリだが、それはダイゴからの次の言葉で、まるで凍える風でも食らってしまったかのように寂しく冷えてしまった。




「んぐ…はぁ……それにしても…何で分かったんだい…?」


「……そこは…まぁ企業秘密というやつだよ」


「?何だよそれ…」




どうして分かったんだ?
そんなの、そんなの分かるに決まっている。



(き、君が、女性に一目惚れ?!)


(僕だって驚いてるんだ。今までも整った顔立ちの女性には数える程だけど会ったことはあるし。でも正直それ以上なんだよ、彼女は)



もうどれだけ経ったか…そんな事はどうでもいいと思うくらいに遠く感じて、近く感じる当時の記憶。
仕事も生き方も今が楽しければそれで良いといった過ごし方をしてきた自分の親友が、あの時初めて見せたあの表情はあの感情は、どれだけ時間が経っても…どれだけ思い出が色濃く積み重なっても色褪せる事無くこうして蘇るのだから。

だから、分かっていたさ。
その記憶が本人から消えてしまっても、残っている自分には、そんな簡単なこと、分かっていた。
今自分の目の前にいるこの親友がどれだけ彼女に惹かれて、どれだけ曲がりくねった道を真っ直ぐな道に直すために努力して、愛してきたかだなんて。

そんな彼が同じ女性に…シアナちゃんに想いを寄せることなんて、そんなの当然のこと。
だって自分は、あの2人を見て素直に運命とは彼らのことを言うのだなと思っていたのだから。




「…ところで、今の話は内密にした方がいいのだろう?彼女のエルフーンが君の膝の上に座っているのはいいのかな?」


「え、あっ、そうだよエルフーン!いっ今のはシアナちゃんには内緒にしてくれるかな?!」


「!…エル!」


「よかった…っ、ありがとう!…って、エルフーン?どうしたの?そんな泣きそうな顔をして…?」


「……ルールゥ、」


「「ん?」」




自分がシアナに想いを寄せているということを言い当てたミクリに疑問を持つダイゴだったが、それを困ったように笑いながら上手く話題を逸らしたミクリのその言葉に、ダイゴは慌てて「そうだ!」と自分の膝の上に座っているエルフーンにお願いをする。

すると、エルフーンが少し迷ったような動作をした後にきちんと頷いたことでダイゴはホッと胸を撫で下ろすのだが、どうしたことがエルフーンは今にも泣きそうな顔でダイゴをじ…っと見つめている。
それがどうしてか、というのはミクリには何となく分かるものの、今のダイゴには全く検討がつかないのだろう。
心配した様子で自分の顔の近くまでエルフーンを抱き上げてみたが、エルフーンが泣きそうなか細い声を出しながらある方向を小さな手で示してみせる。




「…あれは…エルフーンのボールだね?僕がシアナちゃんから預かってるやつ…」


「取って欲しいのかな?どれ…少し待っていてくれ。………はい、さぁどうぞ」


「エル!……エルル、ルールゥ」


「…え?」




エルフーンが示した方向にあったのは、エルフーン自らが宿にしているモンスターボールだった。
それを示してちょいちょいとその小さな手を動かしている動作を見たミクリがそれをエルフーンに渡せば、どうやらそれは正解だったのだろう。
ありがとうと言うように涙目のままニコリと笑ってミクリに頭を下げたエルフーンは、そのボールを目の前のダイゴに渡す。

そんなエルフーンの行動の意味が分からずにきょとん…としてしまったダイゴは思わず素直にエルフーンを一旦下ろしてそれを受け取ってしまうのだが、その行動を見ていたミクリがエルフーンの意図を察してダイゴへと声をかけた。




「…もしかして…昨日今日だけでなく、暫くダイゴと居たいのではないか?」


「え、そうなの?エルフーン…?」


「エル!」


「グレイト!正解みたいだね。それなら明日シアナちゃんが迎えに来た時に話してみるといい。エルフーンも君に随分懐いているし、何よりエルフーン本人からの要望なんだ。当然彼女も断ることはしないだろう」


「そう…だね。エルフーンがそうしたいなら僕だって勿論構わないよ。どうしてこんなに懐いてくれるのか分からないけど、僕も君といると凄く心が落ち着くんだ。あはは、なんでだろうね?」


「ルールゥ。ルゥ〜」


「あはは!擽ったいよエルフーン!よしよし、いい子いい子」




言いたいことが見事に伝わったことが嬉しかったのか、それとも単にダイゴの事が相変わらず大好きなのか。
目の前で、未だに涙を溜めながらも幸せそうにその夕日のようなオレンジの大きな瞳を細めてダイゴに頬擦りするエルフーンを見たミクリは、再度心臓が締め付けられるような感覚に襲われながら優しく微笑む。

記憶がなくても、きっと心では覚えている感覚なのだろう。
エルフーンと同じくらい幸せそうに笑っているダイゴの笑顔を見た今なら…シアナちゃんが強い気持ちで居られるのも分かる気がする。




「?何だよミクリ?ははっ、まさか羨ましいの?」


「あぁ、羨ましいな。素直に」


「それは残念。エルフーンは僕が大好きなんだ。この温もりは譲らないよ」


「ははは!それは残念だな?…まぁ、お陰で私も色々と決心がついたから、これでいい」


「?決心?何が?チャンピオンとしての話?」


「「企業秘密」だ」


「またそれ…」





だって、だってきっと。
言いたいことはストレートに分からないけど、言葉は通じないけど。
それでもきっと今自分の目の前で主人のように優しく淡くも眩しい笑顔を見せているエルフーンは…


自分達のことを忘れてしまった大好きなダイゴを、自分の大好きな人を忘れてしまった、大好きなダイゴを。
お互いが愛し合って、いつも笑顔でいた、大好きな2人を。


小さな小さなその体で、一生懸命に繋ぎ直そうとしているのだと、分かるから。




(…私も、ジンのようにやる事をやらなければな)


(?ごめん、何か言った?)


(ん?いいや、何もないよ)



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