夜が明けた先




今日、シアナちゃんという女性に会った。
本当ならここで「知り合った」と言う方がしっくり来るのかもしれないけど、僕の中で何故だかその言葉を口にするのは嫌悪感を抱くような不思議な気がして、「会った」という表現にしたいと思う。




「…っ、はじめまして。ダイゴさん」


「…はじめ…まして……」




一目見た時に、不思議な感覚に陥った。
一部の記憶が無いにしろ、幼い時から何度も経験してきた社交辞令の言葉や作法なんて幾らでもあるのに、素直に唇が震えて、心臓まで震えた気がしてしどろもどろになってしまったのを今でも覚えている。

病室のベッドに座っている筈なのに、宙に浮いた様な…いや、浮くと言うよりも「落ちた」様な、不思議な感覚。
もしかしたらそれは記憶が抜け落ちた事で弱気になりそうだった自分の背中を押してくれる様に感じている青空と全く同じの色が彼女の瞳の中にもあったからなのかもしれない。

何処までも澄んでいて、何かもかも洗い流してくれそうな、吸い込まれる様な空の色。
この広い広い世界の何処にでも繋がっていて、海よりも広いその青がまるで自分を好きな場所に連れて行ってくれるんじゃないかって、そう思ったんだ。



はじめましてと挨拶した筈なのに、可笑しい話ではあるけれど。



「へぇ、シアナちゃんはコンテストマスターをしているんだね。ならもしかしてあの時のプロモーションカップの会場にも居たのかい?」


「…あ、はい。居ました。でも私は…かすり傷だけで済んだので。あの…ダイゴさん、ダイゴさんこそ傷はどうですか?まだ痛みますか?」


「…そっか、それなら良かった。あはは、見ての通り僕はこんな有り様だけど…でも大丈夫だよ。記憶が一部飛んではあるけど、体調に問題はないし。最近はあまり頭痛も起きないんだ」


「そう…ですか。それなら良かったです…っ、良かったぁ…」


「?シアナちゃん…?」


「え、あ!ごめんなさい!気にしないで下さい…っ!」




あの時、どうやら立場上同じ会場に居たらしいシアナちゃんの怪我は軽いものだったらしく、確かに目に見える酷い傷等は見当たらなかった。
その事に社交辞令でも何でもなく、素直に心から安堵のため息が漏れ出そうになった自分に対してまた不思議な感覚になったけれど、それよりも不思議に思ったのは目の前で自分を見つめてくるシアナちゃんの表情だった。

今にも泣きそうで、その瞳の中にある青空から雨がこぼれ落ちてしまうんじゃないかと思わず手を伸ばしかけてしまうくらいに、その表情から「心配」の色が見て取れたから。
そしてそんな事に違和感のような、何処か懐かしい嬉しさのような安心感も抱いてしまったこともまた不思議で、素直に答えた途端に見えた次の色が自分がその時感じていた「安心」だった時は愛しさすら感じてしまったんだ。




「…えっと、まぁその話は良いよね。そういえばさっきミクリ達と一緒に居たみたいだけど、仲は良いの?」


「…あっ、ええ。ミクリさんは仕事の関係もあって良い友人でありライバルでもあります。アスナとは幼い頃からの親友で、ジンくんとは旅先で偶然知り合って、その縁で」


「そう…だったんだ?そんなに僕と共通の友人がいるなら、知り合ってても可笑しくはないよね…っ、変だな…」


「!あ、えっと、共通の友人は確かに多いですけど、私はコンテストばかりで生きてきたので……!ミクリさんもそれを知っているし、それもあって私はダイゴさんのようなポケモンバトルを専門にしている方とはあまり縁がないんですよ。だからじゃないですかね?」


「あはは、そっか。好きな物に一直線ってタイプなんだね。気持ち分かるなぁ」


「ふふ。はい。もしかしてダイゴさんもそうなんですか?」




初めて会った筈の彼女に愛しさが込み上げて来たことが凄くむず痒くて。
少し誤魔化すように話題を変えれば、意図した訳では無いのにそれが少し矛盾に感じた僕はあの時、落ち着いてきた筈の頭痛が少しだけぶり返した様な気がした。
その時きっと、一瞬そのズキンとした痛みで目を細めてしまったのを見たのだろう彼女は、慌てたように両手をブンブンと振って気持ち早口で説明をしてくれる。

その説明を聞いて、何だかチャンピオンとしての誇りや尊厳よりも、デボンコーポレーションの御曹子としての自分よりも…洞窟に眠っているだろうまだ見ぬ石を探している方が「生」を感じる自分と彼女の、好きに対する勢いのようなものが重なった気がした僕が思わず笑みを零してしまえば、同じように彼女もふわりと笑って…僕に問い掛けてくれたんだ。




「……僕は、その……」


「?ダイゴさん……?」




あの時は、本当に自分でもよく分からなかった。
あの時もそうだけれど、それは今こうして彼女が帰ってから部屋に1人でいる今でさえもよく分かっていない。

だってそうだろう?
僕が今まで知っている…いや、経験してきた「女性」というものは、プライドが高くて見栄っ張り。
自分の隣にいる男が如何に社会的に有利な立場の人間かどうかを気にして、その男がどんな中身なのか、どんな事が趣味なのか……そんな事は後回し。
寧ろ親父の願いで仕方なく受けたお見合い相手の女性からはこの趣味を完全に「有り得ない」と言った表情で否定して、苦笑いで僕の前から消えていったんだから。

そう…この趣味。
石集めが趣味で、その為なら寝袋持参で時間を忘れて洞窟に篭ってしまうし、好きな石の話をすれば我を忘れて話を永遠と続けてしまうような…そんな僕のこの趣味を。




「……僕は、その…石集めが、趣味でね…」


「……はい」


「仕事とか、立場とか。そういうのをつい忘れて熱中してしまうんだ。それこそ泊まりがけで洞窟に篭ってしまうくらい…」





どうして僕は、初めて会った筈の彼女に、シアナちゃんに話してしまったんだろうって。

でも、もっと驚いたのはそれよりもその時の彼女の反応だった。
僕が言葉を詰まらせながらも何故か話してしまったその言葉を聞いた彼女は、きょとんとした表情をしたかと思えば、優しく優しく…まるで包み込むように暖かく笑ってくれたんだ。




「……っ、ふふ、」


「!あ、ご、ごめんね!流石に引くよねこんな話…!あはは、僕の趣味は無理に聞かなくてもいいから…!」


「あぁいえ、ごめんなさい!馬鹿にした訳じゃないんです。……ふふ。私は夢中になれるくらいに好きなものがあるのは良い事だと思いますよ。…ダイゴさんさえ良ければ、今までの洞窟での思い出話とか、是非聞かせて下さい」


「っ、え……?」


「あ、それに私はですね!この子……えっと、今はエルフーンなんですけど、この子の進化に必要だった太陽の石を自力で掘り出した事があるんですよ!見つけた場所は流星の滝でした!」


「え、あ、君が?!自分で掘り出したの?!」


「はい!そのお陰でこの子も進化出来たし、流星の滝って景色も綺麗だし、良い事尽くしでした!……っと、エルフーン、出ておいで?大丈夫だから」




驚いたことに、僕の趣味を笑うどころか話を聞きたいとまで言ってくれた彼女のあの表情は、嘘偽りないと断言出来るくらいに素直な優しい…嬉しそうな笑顔だった。
それに加え、彼女自身もわざわざ自分で目的の石を探して掘り出したというのだから、これが驚き以外の何だと言うんだろう。
でもそれがどうしてだか、そんな話をしてくれる様な……彼女が自分を否定することはないんだと初めから分かっていたかの様な気分になって、頭の隅で「そうだよね」という言葉が浮かんでいた僕はその事に変な感覚になりながらも身を乗り出しかけてしまったのを覚えている。




「っ…え、エルゥ……!……」


「大丈夫、大丈夫だよ。さぁ、お話してごらん?」


「……」


「……えっと、こんにちは?」


「ッ!エル……エルル……!ルゥ……!!」




そしてその流れで紹介された彼女のエルフーンは、臆病な性格なのかボールから控えめに出てきて僕と目を合わせた途端に夕日のようなオレンジ色の瞳からぼろぼろと涙を零して見せた。
初めはそんなに僕が怖いのかとショックを受けかけたが、どうにもそれだって心の何処かで「違う」と断言出来た気がしていた僕は自分でも分からないままに両手を広げてエルフーンを受け入れたんだ。


そして、そんなエルフーンは今、僕の隣で規則正しい呼吸を繰り返して目を閉じている。




「……分からない事だらけ。不思議な事だらけだな…」


「……ルゥーー……ルゥーー……」


「……ふふ。でも…どうしてかな……心は、どうにも暖かいんだ」



すっかり暗くなった空を、カーテンの隙間から眺めながら。
どうにも不思議で、どうにも暖かくて。
自然と微笑んでしまうような夢心地のような感覚に包まれた気分になった僕は、きっとこの先この暖かさを忘れることはないのだろう。

それはきっと、数時間前に両手を広げてた僕の中に泣きじゃくりながら飛び込んできたエルフーンの主人である彼女の存在が教えてくれるの事なのかもしれない。
いや…きっと、そうなんだろう。




「……早く夜が明けないかな…」




明けない夜はない、と。
そう言ったのは一体誰が始まりだったのだろう?
分からないが、確かにその通りだと思う。
縋るように抱き着いて離れないこのエルフーンを一日預かることになった事で、また明日も会えることになった彼女のあの綺麗な青い瞳が…こうして目を閉じた先でも思い浮かべるくらい。


夜の明けた先に現れるあの青空に、僕は恋をしているのだから。


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