見上げて、空




「…それで?まずシアナはどうするつもり?」


「…んー…取り敢えず今は…お父さん達も言ってたけど仕事はお休みして大人しくしてるのが一番かなって…これで下手なことしてダイゴに迷惑が掛かるのは嫌だから…」


「まぁそうだよね…うん、あたしもマスコミに口を滑らさないように気をつけるわ」


「ありがとう、アスナ!」


「あはは!そんな事で一々お礼なんて要らないっての!」




アスナとセイジロウに気持ちを伝えた後に寝てしまったシアナは、結局あの後一度も起きずに熟睡してしまい、目を開けたその先に太陽が昇っている様子を窓から眺めているアスナの姿が目に入ったシアナは照れ笑いをしてお風呂を借りてきた後だった。

そのまま部屋に戻ってきた後にアスナから「遅い朝食がてら」とクロワッサンを渡され、それと共にコーヒーを飲んでいるシアナはアスナに聞かれた今後の事を話す。
そして…一々お礼なんて要らないと笑って答えてくれるアスナの笑顔の方が、窓の外にある太陽よりも余程眩しく暖かい気持ちになったシアナは一旦呼吸を整えると目の前のアスナに再度声を掛ける。




「…ねぇアスナ、ちょっと今後のことで私に勇気をくれない?」


「ん?あはは、どうした?何の?」


「…私、ダイゴに会おうと思ってる」


「………」




自分に勇気をくれないか、とお願いしてきたシアナに対し、アスナは何の疑いもせずにいつも通りの笑顔で頷いてみせた。
…のだが、その途端に真剣な顔になったシアナから言われたその言葉にアスナは目を丸くして言葉を失ってしまう。

それはそうだろう、まさか「頑張る」と意思表明をしたからと言っても、今この瞬間にも心に穴を開けてしまっている張本人に、この親友は「会う」と言っているのだから。




「あっ、勿論それはダイゴが落ち着いてからだよ?記憶がごちゃ混ぜになってるから整理する為にカウンセリングを受けるっていうのは聞いたし…!」


「いや、それはそうだろうけど…!でもシアナ、それってつまりはあんたを「忘れてる」ダイゴさんに会うって事なんだよ、言葉通りの…っ!」


「あはは、「はじめまして」って挨拶するのかな?」


「笑ってる場合じゃないってば…!!」




自分が何を言っているのかと、アスナがつい前のめりになってしまうのだが、そうさせてしまっているシアナは何ともないように笑いながら呑気な事を言っている。
そんなシアナの…本当に「いつも通り」の様子に拍子抜けしてしまったアスナが強ばった体をへなへなと力を無くして椅子に座り直してしまえば、シアナはコーヒーの最後の一口を飲み干すと、目の前のアスナに穏やかな表情でこう言った。




「…単純にね、会いたいんだ」


「……シアナ……」


「…えへへ、こうなっちゃったけど、やっぱりダイゴの事は大好きだからさ。…例えはじめましてでも、また顔を見たいし、話もしたい。何より元気な姿を見たい」


「………はぁ、ほんっと…昔は臆病で泣き虫だったのになぁ。…いつの間にかこんなに強くなって…」




飲み終わったコーヒーカップがコトン…と置かれたその音のすぐ後に、落ち着いた様子のシアナからの言葉を耳に入れて、その気持ちを理解したアスナは思わず大きく息を吐いてしまう。
昔はあんなに臆病で泣き虫だったシアナがこんなにも強くなっていたんだなと再確認したと同時に…想いが行き違ってもこんなに親友に愛されているダイゴに少しだけ嫉妬してしまったからこそ、少し意地悪をしてそう言ったアスナは目の前で「言うほど泣いてなかったもん!」と否定するシアナに笑ってしまう。




「いーや!泣いてた!毎晩「おかあさーんおとうさぁーん」ってアチャモ抱き締めてたじゃん?」


「それいつの話!本当に小さな時の話でしょ?!」


「いじめっ子に意地悪言われて「えーんアスナぁー」って抱き着いてきてたじゃん?」


「たっ、確かに意地悪言われてたけど別に「えーん」なんて言ってませんー!」


「あはは!まぁ今だから言うけど、いじめっ子はあんたの事が好きでちょっかい出してたんだけどね!そんなことしても昔から鈍感なシアナが気づく筈ないのにさぁ…今思えばあいつも馬鹿だよねぇ。シアナにトラウマ作らせて嫌われて毎度あたしに回し蹴り食らって」


「……………そ、そうなの…?!」


「あれだけちょっかい出されてたら普通気づくわ」


「寧ろ嫌われてると思ってたんだけど…?!!」


「あっははは!あんたの事だからそんなこったろうと思ってたわ!」




少し意地悪で言った、臆病で泣き虫だった頃のシアナを楽しそうに…懐かしそうに話すアスナに、なるべく否定をしながらもやはり上手く否定出来なかったシアナは最終的にとんでもない事実を聞かされて目を点にしてしまった。
えっ、そうだったの…?!と思わず口元を抑えて心底驚いているシアナの反応があまりにも予想通りだったのか、アスナはそんなシアナを見てまた可笑しそうに笑う。



「「…懐かしいね…」」



シアナもそんなアスナに釣られて思わず笑ってしまえば、懐かしいね…と揃って口にしてしまい、少しの間無言の空気が流れた。
懐かしい、本当に懐かしい。
嫌なことも沢山あったけれど、それと同じくらいに毎日が楽しかった。

シアナがそんな事を思うと同時に、消えてしまった記憶はあるけど、それでもそれを「大丈夫」だと、「頑張れる」と思える記憶が沢山あると気づいたシアナはその事をアスナに言おうとしたが、それよりも先にタイミングを見計らったかのようにガチャ…と控えめにドアが開かれた事に気づいて咄嗟にそちらを向く。
すると、そこには何故か泣き腫らした父であるセイジロウの姿があったシアナはもう今日で何度目か分からないその目をまた点にしてしまった。





「…お、お父さん…どっ、どうしたの…?!」


「ごめんなぁシアナ…お父さんは本当にシアナに辛い思いをさせてたんだなぁ…ぐす、ごめんなぁシアナ…っ!!お父さんはやっぱりお父さん失格なのかもしれない…!!ごめんなシアナ…!」


「きっ、聞いてたんだおじさん…」


「聞いた…偶然だけどお父さん全部聞いた…ごめんなシアナ…ところでそのいじめっ子とやらは今どこにいるんだ…ちょっとライボルト連れて挨拶しに行ってくるから居場所を教え、」


「「………あの、」」


「…?ぐす…なんだ?どうした?」




どうやら先程の昔話を偶然ドアの前で聞いてしまったらしいセイジロウは、これでもかと泣き腫らした目を擦るでもなく、淡々と頭に浮かんだ言葉をそのまま目の前のシアナにぶつける。
しかし、ペラペラペラペラと一向に止まらないその言葉の中に当時のいじめっ子の内容が出てきた事で今更そんな…と苦笑いをしてしまったシアナとアスナだったのだが、それは次の瞬間に苦い笑顔をぴた……っと止め、まるで凍える風でも受けたのかと思えるくらいにカチンコチンに凍らせてしまった。

そんな2人の様子が可笑しい事に気づいたセイジロウが泣きながらどうしたのか問えば、2人は凍らせた笑顔のまま「あの…」とセイジロウの後ろを揃って指さす。
すると、その行動にセイジロウが思わず素直に後ろを振り向いた、その時…




「父親失格なのはとっくに知ってんのよ。アマージョ、一発やっちゃいなさい」


「マーーーー…」


「?!や、やめっ、?!」


「ジョッ!!!!!!!」




あああぁぁあぁぁあ!!!!!!
というセイジロウの断末魔がマグマ団のアジトがある洞窟の中から飛び出し、ホウエンの広い広い海にまで木霊して、それは少し遠くで釣りをしていた何処かのおじさんの耳にも届いたのだとか、何とか。
















「…なるほど、事故当初の事は分かりました。それで…その前の記憶はどうですか?」


「っ…えっと…僕自身もどうしてプロモーションカップにゲストで出たのか分からないんです…元々コンテストは興味無かった筈なのに…」


「…それについてダイゴさん本人はどう思っています?」


「…そうですね…多分、友人のミクリに頼まれでもしたのかなと最初は思ったんですけど…どうもそれだけじゃないような、気がして……カフェでそんな話を彼とした覚えはあるんですけど、しっくり来ないというか…違和感があると言うか…なんと、言うか…」


「それは何故だと?」


「…それも、分からないんです。思い出そうとすると、やっぱり頭が痛くなって…っ、」




一方、こちらはカナズミシティにある総合病院の最上階。
その病室にあるソファにカウンセラーの男性とテーブルを挟むようにして座っているダイゴは、会話の内容をメモしながら話をしてくるカウンセラーに出来る限りの事を話していた。

しかしその中でやはりどうにもしっくり来ない…頭の中にある記憶に違和感のような物があるのだと言ったダイゴは、それを思い出そうとした瞬間に走った痛みに思わず頭を片手で抑えてしまう。
すると、カウンセラーはこのまま続けるのは良くないと判断したのだろう、一度違う話をしましょうか、と焦り始めているダイゴ優しく微笑んでその焦りを和らげる。




「……それなら、少し空を見てもいいですか?」


「…空、ですか?構いませんが…空に何かあるんですか?」


「…いえ、何もないです。…でも、何でかな…記憶は確かではないし、何もかもあやふやなんですけど…」


「?」




話を一旦変えるなら、その前に空を見たい。
そう言ったダイゴに首を傾げつつもカウンセラーの男性から許可をもらったダイゴはソファから立ち上がって窓際まで移動すると、ゆっくりと空を見上げ、ソファに座ったままのカウンセラーに振り返る事無く、空をその瞳に映したままこう言った。





「…「空」だけは、確かに愛おしいと思えるんです」




笑って、そう。
嫌なことも、不安なことも、何もかも。
空を見ていると不思議とその全てが洗い流されるように感じて、暖かくなって、気持ちが穏やかになる。

それが愛おしいものだと確信出来るのは、「空」を見ただけで…緩やかに頭の痛みが引いていくのが、きっと…今思える限りの確かな記憶の証拠なのだと、そう言って。


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