窓の向こう





「くーくん、はい。あーん」


「……自分で食べる」


「…………」


「…………、」


「はい良く出来ました」




関ヶ原の戦いから帰ってきたその日の夜。
大倶利伽羅は手入れが終わり、珊瑚の自室へと移動して念の為と珊瑚のベッドに横になって上半身だけを起こしている状態のまま彼女に梅がゆを食べさせられるという状況になっていた。
初めは小っ恥ずかしさから断ったのだが、無言の圧に耐えきれずに黙って口だけを開ければ入ってくる酸っぱくて柔らかいもの。

作ってくれたのだろう歌仙に対して「何故頑なに梅にするんだ」と考えてみたが、どう考えてもちょっとした悪戯なのだろうことは容易に想像がつく。
ちなみに何故こんな時に大倶利伽羅が脳内で歌仙のことを考えているかについてはあまりにもこの状況に戸惑っているからである。




「……大体もう手入れは済んでいるんだ。俺がこうしてあんたの寝床で寝ている必要もないだろうが」


「くーくんのことだから病み上がりのままどっか行くでしょ」


「……」


「珊瑚に心配を掛けた。悪かった。もっと強くなる為に鍛え直す」


「心を読むな」




ベッドの横に椅子を持ってきて座っている珊瑚に見事な図星を突かれてしまった大倶利伽羅は、その後直ぐに珊瑚の動きが止まったことで嫌な予感がして気まずさからつい目を逸らしそうになってしまう。
それくらい、珊瑚の様子が不安定に見えたのだ。

理由はどう考えても自分のせいなのだが、こういう時に限っていつもよりも更に上手い言葉が出てこず……部屋の中は暫く沈黙が流れてしまう。

すると、そんな沈黙を破ったのはずっとずっと必死に言葉を探していた大倶利伽羅ではなく、なんと珊瑚の方だった。




「……別に、くーくんが折れるかもとか思ったわけじゃない。信じてるから」


「……そう、か……」


「うん。別に、帰ってきてすぐ見たのがお腹から血が滲んでるくーくんの姿だったとしても別に。こっちが驚いて声掛けようとした途端に絶対痛いくせにさも痛くありませんみたいな顔されても別に。手伝い札使おうとした時に一旦強がって「必要ない」とか言ってきたとしても別に。居なくなったらどうしようとか、怖いとか思ったわけでもないし」


「……その……、珊瑚、」


「……でも手入れ終わった後にどっか行こうとしなくていいじゃん。梅がゆ食べ終わった後にまでどっか行こうとしなくていいじゃん。……黙って傍にいてくれればいいじゃん」


「……悪かった」




すらすら、すらすら。
こういう時の大倶利伽羅には絶対出来ないだろうペースで口を動かしていく珊瑚から出てくる言葉の中に初めは棘のようなものが入り交じっているかと思いきや。
段々とその棘は、いつの間にか珊瑚の瞳からじわじわと熱いものが滲み出ている水滴の温度でふやけたかのように柔らかくなっていく。

それを感じる度に大倶利伽羅はその柔らかな棘がじくじくと胸に突き刺さる感覚を覚え、言葉は痛くない筈なのにどうにも痛くて堪らなくなり、でも何とか出てくるその言葉は珊瑚の求めていない謝罪のみで。




「別に弁明とか求めてないもん。信じてるからそんなの要らないもん。責めてもないし怒ってもない。くーくんの性格上怪我するなって言う方がちょっと難しいとも思ってる。だから本当に帰ってきてくれれば何でもいい。何でもいいけどさ……いい、けど……さぁ、」




そんな中でも珊瑚は言葉を止めず、それは先程まですらすらと出ていたものが詰まるようになっても止めなかった。
そして次の言葉を聞いた途端……大倶利伽羅は耐えきれず完全に体を起こして珊瑚を自分の膝に乗せて強く抱き締めたのだった。




「黙って、抱き締める……なり、キスしてくれるなり、して……ひっく、安心させっる、くらいっ!してくれても、いいじゃん!く、くーくんの……馬鹿あ……っ!!」


「……正論だな」


「ん。ひっく、遅い遅い足りない足りない……んんん、ばかぁ……!」


「いくらでもしてやる」


「くーく、ん、の。いじっ、ぱりぃ……んん、口下手、ふっ、ぶきよ、う……!色男、伊達男ぉ……うう、真面目、努力家、やさし、かっこい、」


「……途中から褒めてないか?」


「……大倶利馬鹿ぁぁあ……!」


「……ふっ、」




珊瑚に何かを言われる度に抱き締める力を込め、珊瑚に何かを言われる度に会話の所々にしていたキスの頻度を増やし。
珊瑚に何かを言われる度に胸の痛みが無くなっていった大倶利伽羅は、悪口のような褒め言葉のようなよく分からないことをずっと言われ続けているのにも関わらず自然と優しい笑みが零れてしまう。

そんな時間が暫く続けば……次第に珊瑚から出てくる言葉は下手な悪口でもなく、褒め言葉でもなく。
心の底から溢れる「だいすき」という言葉のみに変わっていくのであった。




「……あぁ。俺もあんたをこの世で一番好いている。俺が折れるのは……あんたが死ぬ時だ」




この言葉を耳元で聞くまで、ずっと。




















綺麗な綺麗な……本丸全体を淡く強く照らす大きな月。
風に舞い、宙を舞って。
光に照らされながら一頻り踊ったらしいその何の花だか分からない花弁が地面に落ちるまでを自室の丸窓から眺めていた鶴丸は、その後ゆっくりと襖に意識を移して声を出した。




「……よっ。来ると思ってたぜお前達」




そしてその言葉を聞いたと同時に開かれた襖から顔を出したのは、あんな事があった後でもやっぱり「心配していない」燭台切と太鼓鐘の二振り。

そんな鶴丸の何も変わらない雰囲気に動じない二振りは一度だけお互い顔を見合わせると相棒揃ってその名を呼ぶ。
それに言葉で反応してはくれても、それでも彼は振り向くことはしない。
しかし二振りはそれを気にすることなく凛とした姿勢をその背に見せて、語りかけるように気持ちを言葉にしていく。




「……鶴さんには敵わないなって思ったんだ。伽羅のこと、どうしてか鶴さんは初めから分かってたんだろ?」


「んー?さてどうだろうな?はっはっは!……まぁ、流石にそうか。やっとかお前達。驚きの遅さだな?」


「あはは、やっぱりね。どうりで何も干渉して来ない。寧ろ煽ってくるわけだと思ったんだ。そしてそれが伽羅ちゃんを含めた僕達の為だってこともね」


「気づくのが遅れてごめん。待たせてごめん。でも俺達、絶対鶴さんが驚くくらい色んな意味で強くなるからさ」


「その為の協力だけ、ちょっと頼んでもいいかな?」




ごめんねとありがとう、そしてお願いします。
沢山では無いけれど、短いけれど。
それでも思っていることを、そして望んでいることを、心のままに想うままに全て伝えた二振りはその後黙って鶴丸に視線を向け続ける。

すると……今まで鶴丸がいることで入ってこなかった窓の向こう側からの光が部屋全体に淡く射し込み、そして。




「……お易い御用さ!」




その光は振り返った鶴と、決意をした二振りの金色の瞳にも……優しく強く、灯りを映すのだった。




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