Antares



伊吹に猫の正体がアミーだとバレてしまったあの日から数週間程経って。
その間、なるべくマモンと鉢合わせたりしないようにと今までよりもかなり気を使って避けるようになってしまったアミーは、今日も今日とてなるべく外出しないようにと必要最低限な行動だけの日々を過ごしていた...のだが。

変わらぬ毎日の連続だったそれは一度のベルの音で大きく変わり……ドアを開けた先で待っていたのは可愛らしい伊吹の明るい表情だった。




「……本当に来るんだ……」


「ふふふ、来ちゃった!……あれ、もしかして迷惑だった?」


「ごめん。そんなことない。今日は、バイトが休みの日だし……取り敢えず上がって」


「お邪魔しまーす……って、うわぁオシャレな部屋……」


「そうでも、ない。けど...ありがとう」




何か客人に出せるようなものはあっただろうか……と、そっちの心配をしてしまったアミーは、取り敢えず伊吹にソファに座ってもらうと、キッチンの棚から人間でも抵抗なく食べられそうな物を探し出す。

その間に伊吹はキョロキョロと周りを見渡しながら包み隠さず「あの星型のランプ可愛い!」「このドレープも凄いオシャレ!」とテンションを上げているのだから、本当に彼女はアミーに対して警戒心というものが一切ないのだろう。

そんな伊吹の様子を背中越しに感じながら、これでも一応私も悪魔なんだけど……と呆れて目を閉じてしまったアミーだったのだが、どうにか出しても失礼がないようなものを見つけてそれを伊吹の前へと出した。




「これ。マダムスクリームのマカロン。……苦手だったらごめん……これしかなくて」


「えっ!そんな!お構いなく!!だけど……っ!実はこれ凄い好きなの!ありがとうっ!」


「なら、よかった。紅茶もあるから」




魔界にもこんな可愛いくて美味しいものがあって良かったって初めて食べた時に思ったんだよね!と。
向かいに座ったアミーに素直なままの笑顔を見せ、後に出したバタフライピーのお茶にアミーが星型の角砂糖を入れれば「夜空みたいだ」と大喜びしてDDDで写真を撮ってアスモに送っている伊吹を見たアミーは密かに目を細めて穏やかな表情をしてしまっていた。

その事に自分で気づいて、軽く咳払いをしたアミーは話題を変えようと伊吹にここに来た理由を早速聞いてみる。




「それで?本当に来たってことは、何かあるの?」


「あ、うん!...実はね、その...詳しいことは言えないんだけど……」


「…?」


「私ね、その...ある子を助けたくて。その為には嘆きの館の皆と契約する必要があるんだけど...これが中々難しくて...」


「契約……か...」


「あ!本当に!ごめん...悪魔にとって人間と契約って軽々しくするものじゃないっていうのは分かってるの!でも、それでも私は...!」


「…………」




伊吹からどんなことを言われるかと思えば、まさかのそれは悪魔との契約についての相談だった。
アミーとしては、自分も悪魔という存在である以上、人間と契約するということは軽々しくするものでもないし、双方にメリットがなければ難しいものだろうことも理解している。

マモンはどうあれ、それがあの7兄弟……この魔界の七大君主と謳われている彼らなら、プライドだってかなりあるはずだ。

本来なら協力してあげる義理などないのだが……




「っ、お願いアミーちゃん!アドバイスだけでも欲しいの……!私は、困ってる友達を助けたい……!」


「……友、達……」




(何言ってるの!アミーと私は友達じゃない!困った時はお互い様だよ!)


(私ね!アミーの笑顔大好き!滅多に見れないから尚のことほら、レアってやつ!)




伊吹から発せられた、その言葉を聞いてしまったら、流れるように思い出してしまう。
それはまるで...キラキラと強く光って、暗い夜空を駆け巡るかのように流れていく流れ星のように。

そして、その感覚を覚えさせた目の前の伊吹の真剣な表情が、一瞬今はもういない、それでも大好きな友達が見せた...「あの時」の表情と重なってしまって。




(助けたかったの……救いたかったの……!一緒に、居たかった……ずっと……っ!ごめん、ごめんなさい……っ、)




あぁ、そうだ。あの時私は。
助けられなかった、気づいてすらもあげられなかった。

でも、でも今は、違う。




「……あと契約してないのは誰」


「……っ、え……?」


「だから、あの兄弟で...あと契約する必要があるのは誰」


「えっ、あ!えっと、あとはサタンかな...!それから、出来たらルシファーも...」


「……堅物が残ってる...けど、……わかった。なら、お前の星座は」


「お、牡羊座……!」


「……分かった。少し黙ってて」




別に、この子と自分が友達というわけではない。
でも、それでも。
何処か儚げで、そうかと思えばとても強く...リリスの面影を見せるこの子を見ていたら、放っておけなかった。

もしかしたら余計な事かもしれない、何か悪いことが起こってしまうかもしれない。
ここで手伝ったら、助言をしたら、それこそ初めに占ったあの時の結果が本当になってしまうかもしれない。

でも、それでも。
アミーはそう思いながらも、心のどこかで「この子なら大丈夫」という小さな小さな...それでいて強い何かを感じて思いのままホロスコープを手に取った。




「……うん。サタン自体に、お前に対して拒絶の意思はないと思う。寧ろサタンから契約の話をしてくる」


「ほ、ほんと?!ならその時話をすれば……!」


「……いや、でもこれは...ダメ。お前とサタンの星の巡りのタイミングが悪い。...そこで契約しても良くない。一度目は断った方がいい」


「断るって……どうして?」


「言ったでしょ。タイミングが適切じゃない。でも、必ずその後にまたチャンスが来るから、その時がベスト。...焦りは禁物」


「焦りは禁物...そっか...そっか...!うん、分かった!」




伊吹の星座と、元から知っているサタンの星座の現在地を見ながら冷静にアドバイスをしたアミーの言葉をしっかりと聞いた伊吹は、初めはその幻想的且つ何処か少し怖いくらいの神聖な様子に思わず身を強ばらせてしまっていたのだが、その後ホロスコープから顔を上げたアミーと目が合うと、ホッとしたような表情を浮かべた。

どうしてかと言えば、それはアミーと合ったその瞳がとても優しく見えたからだった。
凛としているけど、ちゃんと柔らかな雰囲気もあって...こちらの事を真剣に占ってくれたことがそれだけで伝わってきたから。




「ありがとうアミーちゃん!私、貴女に会えてよかった!」


「……別に私は...」


「私ね!少しずつだけど、悪魔の友達が増えたんだ!悪魔だけじゃない、天使だって!だから最近は種族の違いとか、位の違いとかってあんまり関係ないんじゃないかなって思うの!」


「……」


「アミーちゃんも、あの時私の部屋に居たってことは、何かあるんだよね?もし私で良かったら、私も貴女の力になるよ!」


「…っ、人間に世話になる必要は……」




明るく笑って、向かいに座っているアミーの手をとってしっかりと優しく握って。
純粋な気持ちのまま思っていることをお礼と共にそのまま伝えてきた伊吹のその言葉と行動で思わず頬を少しだけ染めてたじろいでしまったアミーは恥ずかしさから緩い拒否をしてしまう。

しかしそれが本心からの言葉ではないと伊吹は分かっているのだろう...明るい表情を更に明るくすると、どんな星達よりも輝くそのオーラと共に、彼女にしか出来ない魔法をアミーにかけた。




「もう私達友達でしょ!アミーちゃん!」


「!え...?」


「友達に世話とかそういったものは要らないの!だから、ね!何かあった時は私にも頼って!どんなことでもいいから!」


「…………っ、ふ……!ふふ、お前...変なやつ...」


「それ程でも〜!」


「褒めてないし……ふふ、」




あぁ...この後、どうしたんだっけ。
そうだ、何をしたか忘れるくらい、長い時間を伊吹と過ごしたんだった。

話すことが苦手だから、表情を表に出すのが苦手だから、ほぼ一方的に伊吹の話を沢山聞きながらお茶を飲んだり、マカロンを食べたりしたんだ。

気づけばもう夜で、遅くなると兄弟達が心配するからと伊吹を嘆きの館に通じる大きな一本道に出るまで送って...そして...




「アミー!良かった会えた〜!最近はバイト先にも居ないから心配でさ!僕、あの時アミーを知らずに傷つけちゃって...ごめんね!」


「!アスモ……ううん。大丈夫。心配、してくれてありがとう。……と、そっちの人間は...?」


「おや。俺に興味を示してくれるんだね?これは光栄だな。君のことはアスモ達から偶に聞くんだ。俺はソロモン。さっき君が一緒に歩いていた伊吹と同じで、この魔界に留学生として来ている人間だよ」


「……そう」




そして。
ぶんぶんと勢いよく何回も道の向こう側で手を振ってくる伊吹に軽くそれを返して、振り向いたら申し訳なさそうな表情をしたアスモと、その隣でこちらを少し探るような視線を向けていたこのソロモンという人間と鉢合わせたんだったんだ。

すぐ傍にいるだけで魔力が強い人間なんだと分かるその男は、アミーに話しかけながらも特に敵意を感じない笑顔を向けてくる。

敵意を感じないのは、どうやら既にアスモと契約をしているようだし、アスモからも信頼を寄せられているように感じたからかもしれないが...きっとそれは今しがたアミーもソロモンと同じ人間である伊吹のお陰で、人間に対するその考えが多少なりとも変わったからなのかもしれない。




「俺と契約しているアスモがね、それはそれは君に対して罪悪感を感じているし、彼と契約している俺もそれを見ていると心が痛くてね」


「あまりそうは見えないけど」


「ソロモン、その口説き方はちょっとわざとらしくない?もう...しょうがないなぁ〜……ねぇアミー、アミーさえよければソロモンと契約してみない?彼、魔力は強いからメリットはあると思うよ?僕もソロモンと契約してから何だかお肌の調子も良いんだよねぇ〜」


「……私と契約したい理由は?」


「ん?そうだな。強いて言うなら...人助け……いや、悪魔助けと言うべきかな?言っただろう?君の話はアスモ達から偶に聞くんだって。占いで生計を立てているんだろう?その占いだって力を使うのだろうし、俺がその力をサポート出来たら、お互いにとって良いと思わない?俺も何かあった時に占ってもらえると助かるし」


「……」




アスモからはワクワクといった雰囲気を感じるし、その隣にいる...今、自分と契約を持ち掛けてきたソロモンからも、悪意のようなものは一切感じない。
かと言って、自分は別に助けて欲しいとも思っていないが……確かに占星術は力を使うし、猫に変身する時だって結構な力を使うのは事実だった。

ソロモンとアスモからの誘いに、どうしようかと考えようとしたアミーだったのだが、その後ゆっくりと目の前に差し出された、人間であるソロモンの手を見たアミーはその瞬間。
アミーは先程自分の両手を優しく握ってきた伊吹のことを思い出し、ふと笑みを浮かべて自らも手をゆっくり差し出した。


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