Muphrid



それからは、あまりにも気が気じゃない毎日だった。
別に自分にとって人間は増悪の対象とか、下等種族だとか、そんなふぅに思うような存在では決してない。
ただ……ただそう。




「……リリス……」




もう、この名前を呼んでも返事をしてくれない。
笑いかけてくれない、唯一の同性である大切な友達が居なくなってしまった切っ掛けであるくらいか。




「…どんな人間かも、分からない。それに、人間が悪かったわけでもない……あれは…本当に…不運が重なっただけ」




絶望と破滅を生み出す存在。
でもマモンを含めたあの7兄弟全員から愛される存在。
そんな結果が自分の占いで出て、良くもあれば悪くもあって、複雑でもあるこの気持ちをどうしたらいいのか。

感情はわりかし豊かであったとしても、表情や仕草…言葉でそれを上手く表現することが天使だった時代の頃から苦手なアミーにとって、その答えはいくら頑張っても出てきそうにない。

現にこうして、あの占い結果が出てからの自分は何度も何度も占いを繰り返しては全く変わらないその「可能性」に頭を抱えている。




「……あ…そういえば……レビィから連絡が来てたんだった……お、怒ってる、かな……」




頭を抱えたその時に、ふと自分のDDDが床に転がってしまっているのを視界に入れたアミーは、少し焦ってそれを拾うと恐る恐るレビィからの連絡の内容を確認した。

怒ってると思ったのは、その連絡が数日前のものだからだ。
タイミングがタイミングだけに、まさかの連絡が来たのはアスモデウスからマモンの事を聞いたその日だったため、アミーは心身共にそれどころではなかったのだ。




「……お金……あぁ…また返してないんだ……全くもう…」




どうやらレビィは初め、アミー会いに家を訪れていたようだが、生憎その時はまだバイトの時間だったために、こうして仕方なくDDDで連絡を入れておいたらしい。
まぁその「お願い」というのがマモンが貸したお金を返さないので一言何か言うかしてくれないかというお願いだったのだが、もうこの連絡から数日は経っているし、申し訳ないが既に解決している可能性のが高いだろう。

それでも、せめて返事が出来なくてごめんと今更ながら送れば、丁度端末を触っていたのだろうレビィから電話が掛かってきた。




「もう!アミー!やっと返事来た!頼みの綱のお前が音信不通のお陰で面倒なことになったんだからな!結局どうにかお金は返してもらったからよかったけどさ」


「ご、ごめん……ちょっと色々あって…」


「あー…まぁ、それってあれだろ?アスモが余計なこと言ったやつ。俺も教えようか迷ってたんだけど、お前が落ち込んだり不安がったりしそうだなと思ってさ。…あ、でもアスモの奴、凄い気にしてたから怒らないでやって」


「あ、ううん。別に怒ってるわけじゃないし、そもそも……不安も何も、私とマモンはもう何の関係ない、から」


「アミー……それいつまで続けるの?……はぁ、もうこの際だからお前の背中を押すためにも、今度は俺がきちんと話をした方がいいかもな。お節介かもしれないけど」


「え、なにが…?」




初めに、協力出来なかったことを謝ったアミーだったのだが、どうやらレビィは何だかんだマモンからお金を返してもらうことに成功していたらしい。
そのことに安堵しつつ、そして話の中で出てきたアスモに対してこちらが気にさせて申し訳ないと罪悪感を覚えつつ…

アミーから容赦なく振って突き放した癖に、マモンにとても未練が残っているということをレビィはとっくに見抜いているのだろう。
いつもは気だるそうにしている彼の声が少し真面目なものに変わり、それが分かった途端に聞こえてきた言葉でアミーは思わず目を丸してしまったのだった。




「俺とベールも。伊吹……人間界からの留学生と契約したんだ。良い奴だよ、あいつ」





















レビィからの電話を切って暫くして。
アミーは音も立てずにここ……7兄弟が住んでいる「嘆きの館」の目の前まで歩いて来ていた。
いつもの彼女ならヒールの音でカツカツと音が鳴るだろうに、それがないのはヒールを履いていないから。
いや、正確には靴自体を履いていないからだ。

何故かと言えばそれは、彼女が現在真っ黒な黒猫の姿をしているから。
占星術が特技であるアミーだが、それと同じくらい得意なのがこの変化の魔法だから。
占星術以外にそれが得意だと知っているのはマモンはおろか、他の誰も知らないこと。

それはそうだ、この能力はアミーが堕天して暫くしてから目覚めたものだったから。




(...思わず来ちゃったけど……確認...確認するだけ)




悪魔の姿ならばそう大きくは感じないのだろうが、猫ともなると視界も勿論かなり下からのものとなるために、嘆きの館に通じる門がとても大きく重苦しく感じたアミーはそれを見上げて一瞬たじろいでしまった。

でも、でもそれでも。
その伊吹という人間の女性がどういう子なのか、あの兄弟達とどんな関係なのか。
そして...マモンとはどうなのか。




(……でも、でももし、マモンが楽しそうにしてたら...その子にも悪い「可能性」を感じなければ、きっと私はこの未練を断ち切れる)




そうだ。良い子ならそれでいい。
レビィだって言っていたじゃないか、「良い奴」だと。
マモンがどうして彼女と契約したのかは分からないが、ベールもレビィも、あの一件以来人間にそこまで好感を抱いてはいなかったはず。
その2人も契約したということは、少なくともそれをさせる何かが彼女にはあるんだろう。

どうか、どうかそうであってくれと。
ギュッと強くその青い目を閉じたアミーは、暫くして意を決して猫の脚力で大きな門の上を飛び越えてみせた。


七大君主...この魔界でそう呼ばれる立場である...こんな醜い自分とは身分も価値も何もかもが違う、彼らの館に。



(私は、……マモンが幸せになってくれれば、それでいい)



それでいい。



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