タイミング



「はぁ?雨漏りだぁ?」


「そう、雨漏り」


「ミナモデパートの?」


「喫茶店の天井から」


「寝ぼけてたんじゃねぇの」


「そんなわけないでしょシアナも一緒だったし!」




こんな変な話を聞かされることになったのは、数分前だったろうか。
そう、それは夜20時辺りを少し過ぎた頃。
取り立てか何かですかと言わんばかりの突然の呼び鈴とノックの怒涛の連打に思わず飲んでいた黒ビールを吹き出しそうになったのだから、よく覚えている。

しかしそもそもジンは、確かに現在多額の借金は抱えているがそれはダイゴに対してのものであるので決してそんな事は起こりえないのだが。

そして冷静にインターホンのカメラで確認すれば、そこには泣きべそをかいているアスナがいたのだから、ジンからすればそれこそ「何事だ」と思うのも無理は無いし、その理由が冒頭の会話なのだから更に「何事だ」状態。




「大体あんなでかくて立派な建物で雨漏りはねぇだろ」


「それあたしも言ったし思ったけど!でもシアナは掃除の拭き残しじゃない?って言ってて!」


「ならそうなんじゃねぇの?」


「そ、そうだよ?!そうに決まってるじゃん!」


「じゃぁ何でお前は泣きべそかきながら帰宅せずにここに来てそれを俺に話してんだよ」


「うぐ、」




目の前で。
ミナモデパートで雨漏り…だなんて早々有り得ないだろうことを言い、ペラペラと口が回る割にはテーブルを挟んで向かいに座るでもなくピッタリとジンの横にくっついて話すアスナは、一体強がってるのか頼りに来たのか。

きっと自分でもわけがわからなくなっているのだろうし、大方最初はシアナの推測に無理矢理納得してこの時間になるまで共にいたはいいが、帰りに1人になった途端に不安になってここに来たのだろう。

……と。
びーびーぎゃーぎゃー言っているアスナの隣で黒ビールを飲みながら冷静にそう思ったジンが軽く論破すれば、アスナは「うぐ、」っと言葉を詰まらせてしまった。




「つか、今更俺に怖がってる所を隠す意味が分かんねぇんだわ。どんだけ見てきたと思ってんだよ」


「ち、ちが!ち、えっと……!こ、怖くないし!雨漏りくらいでっ!!」


「お前肩になんかついてんぞ」


「ギャァァァァァア?!!?!!」


「嘘だよ」


「バカァァァァ!!!!!」




どう考えても怖くてたまらなくなってここに来ただろうに、何を今更強がっているのだろうか。
咄嗟の冗談に対して、予想通りにこの世の終わりのような悲鳴をあげて思いっきり飛びついてきたアスナを難なく受け止めたジンがそう思っていれば、観念したのだろうアスナは「バカアホ意地悪不良すけべ」と散々ジンにまくし立てた後にその体勢のままぽつりぽつりと本音を話し始めた。




「シアナはいいじゃん」


「何が」


「怖い目に、あっても…帰ったらダイゴさんがいるし」


「…そりゃ夫婦だしな」


「で、でもあたしは、違うじゃん?だ、だから……シアナと別れた後に、ふと、その……シアナが今から帰るのはダイゴさんとの家なんだよな、って思ったら……その……あたしは、ど、どうやってこの怖さ、を……紛らわせたらいいのかなとか、あ……甘えたいな、とか……思ったわけ、なんだけど……で、でも時間が時間で……ちょっと迷ったんだけ、ど……やっぱり無理で、こうやって来ちゃって…」


「……なら何で怖くないって強がったんだよ」


「…………案外怖いの平気なのに頼れる人がいつもそばに居るシアナに対抗した」


「お前は子供か」


「うるさいよぉバカぁ!!!ごめんなさいぃい!!」




どうやら帰りに1人になった途端に不安になったのは正解だったが…それだけではなく、結構な葛藤やらが彼女の中にはあったらしい。
それを聞いて、何となく罪悪感が混じったジンはなるべくアスナがいつも通りのペースに戻るようにとそれこそいつも通りの雰囲気で言葉を返しながらその背中を何度かぽんぽんと叩く。

確かに言われてみれば、あの2人は夫婦であって、こっちは恋人の関係。
想いは同じなのだろうが、別に同居しているわけではないので住んでいる場所が違うのは当たり前。
そんな中で今回のようなことがあれば、そこで違いが出てきてしまうのは当然のことだし、アスナからしたら「いいな」と素直に思うのだろう。

そして何より本当にミナモデパートでのそれが怖かったらしく、それもこれも同居していれば素直にすぐに帰って甘えられたのでは、とも思うのだろう。




「……アスナ、」


「……ぐす、何?」




つまりこれはそういうタイミングか。
つまり、つまり「一緒に住むか」と提案してみるべきか。

いや、いやしかし。
ジンにも最近身の回りで思うことがあるし、今はそこまで気にしていないに済んでいるとしても……もし、もしそれが自分に対してだけならば、今一緒に住んだりしたらアスナにまで被害があるかもしれない。

いや、いやでも。
もし最近身の回りで起こる妙な事がアスナに対してのものだった場合を考えると、それならば一緒に住んでしまった方が守り易くなるし、何よりアスナも色々と安心するのでは。




「……」


「…ジン……?ど、どうした?え、あたし何か困らせてる?……あ。やっぱりめ、迷惑だったよねこの時間……!」


「いや、それは別に構わねぇけど……あー…」




さて、さてどうする。どうするべきか。
別に一緒に住むのは構わない。
構わないどころか正直タイミングさえあればその話をしようかとは思っていた。
しかしそのタイミングがまさに「今」なのかと言われたら、判断材料が少ない中で結論を出すのは難しい。
いやでもアスナの気持ちを考えると、少しでも一緒に居てやった方がいいのか。

…………正直に言えば一緒に住めるならこっちだって住みた…………いや、やっぱりなんでもない。




「え、な、なにジン……ご、ごめんね?何か…」


「……いやお前それは反則だろ」


「へ?」



人がどうするどうすると脳内で会議をしているのを知らずか。……いや知るはずもないのだが、そんなジンのいつもと違う様子に戸惑ったアスナが抱き着いたまま、涙目のまま上目遣いで見上げてくるのだから、ジンからしたらそれはもうたまったもんじゃないし、「反則だろ」と声をあげてしまうのも無理は無い。

あぁ、もういい。
こいつ押し倒してキスしてやろうか。
そしてそのまま「明日合鍵作りに行くぞ」と言ってやろうか。

いや、もうそうしよう。
どっちにしろ自分が狙いだろうがアスナが狙いだろうが守ればいいんだろ。はい会議終了。




……とジンの中でなったわけだった、のだが。




「……アス、」


「あ!!もしかして酔っ払ってる?!どうりで顔少し赤いと思った!今水持ってくる!!」


「は?」


「全く!基本暇だからってビール飲み過ぎ!!それパルデア産の強いやつでしょ!突然来ちゃったお詫びに介抱してあげるから!」


「いや、別に酔っては、」


「明日はちゃんと詳しく話聞いてよね!今日泊まってくから!からかったんだから泊まるくらい許してくれるでしょ!もう!……あ。またスウェット貸してね!」




どうやら変に悩み過ぎせいで、変に考え過ぎたせいで……珍しく顔を赤らめてしまっていたらしく、それで思いっっきり勘違いさせたらしい。

押し倒そうとした手はピタ、と止まり。
切り替えて真剣な表情をしたのに今は呆気に取られた表情に早変わり。
おまけに自分に抱き着いて離れなかった筈のアスナは持ち前の運動神経を発揮していつの間にかキッチンの冷蔵庫の前で話も聞かない。

そんなことになってしまえば、もう後は片手で目を覆いながらこう言うしか無かった。




「………………もういくらでも好きにしろ……」




彼女の中で、「これ以上迷惑かけたくない」だの「心配かけたくない」だの「いやでも甘えたい一緒にいたい」だの…


「よく考えたらずっと願ってた同居を強請ったみたいじゃないかあたしの馬鹿」


等とジンに背を向けながら顔を真っ赤にして内心物凄く慌てている……そんなアスナに。

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