素直じゃない追伸




まだ薄暗い朝の空に向かい、フー…と煙を吐き出して。
誰に言うでもなくそう呟いたジンは、ふと自分がいるベランダのすぐ後ろにあるベッドで丸まりながらぐっすりと眠っているアスナの寝顔を見て…思わず目を細めてしまった。

何もなければいい。
何もなければいいが、どうにもそれは願望でしか想像がつかず、実際の方は「何かあるんだろう」と脳の片隅ではそう結論が出てしまっている。
そんな自分の妙に鋭い勘のようなものにイラついてしまうのだが、実際にそれが事実として今自分の手の中に存在してしまっているのだからどうしようもない。




「……邪魔…ありがとう……痛い…ねぇ」




自分の手の中に存在してしまっている…というのがどういうことかと言うと、それはキンモクを送り出して次の日の朝…きっと彼が飛行機から降りたタイミングで直ぐに送ってきたのだろう、写真付きのメールのことだった。

その写真にはよく分からないメッセージが赤い文字で綴られており、キンモクが言うには何故か彼のジャケットの内ポケットに入っていたらしい。
自分でも説明していたが、あの身なりに気を遣うキンモクが身支度をする前に内ポケットに手紙が入っていることに気づかないだなんてことはあまりにも腑に落ちない。

それを考えれば、自分達がキンモクを送り出した後に入った…というのが一番しっくりくるのだが、内ポケットに手紙なんてスリの技術がある者か、それこそエスパーやゴーストタイプのような特殊な力でもない限り早々難しいだろう。
そんな事が出来そうな知り合いはフヨウくらいしか思い当たらないが、彼女がこんな訳の分からないことをする人物かと言われればそんなことはない。




「…「邪魔」が何に対してかっつーのと…この「ありがとう」ってのもまぁ…何となく想像がつくとして…最後の「痛い」ねぇ…」




邪魔というのは何に対してか。
ありがとうというのは何に対してか。
この二つに対し、ジンには既に何やら思うところがあるのだが…正直、確証がないのでハッキリとは言いきれず、この二つだけならジンはまだそんなに心配はせずに済むという見解がある。
しかし最後の「痛い」という文字だけはどうにも嫌な予感がしてしまうよう。

というのも…この色、この筆跡、この言葉…その全てがジンは見覚えがあるものだったからだ。
しかもそれも、つい数日前のこと。





「…消した跡があったってことは…そういう類いではないんだろうが……ったく、次から次へと…」




それはあの日。キンモクがシンオウに行くのだと説明をしてきた日に見たものだった。
アスナにバレないよう…キンモクに少し無理矢理に鍵を渡して先に行かせた時に見た「痛い」というあの赤い文字。
それをキンモクからのこの連絡で直ぐに思い出したジンは、寝ているアスナを起こさないようにそっと部屋を出て確認しに行ったのだが…それは既に少し掠れ跡があるものの、何が書いてあるか分からないくらいにはもう消されていたのだった。

それを見る限りアスナが苦手なそういう類いではないのだろうが…いや、もしかしたらここの管理人でもあるテッセンが消した可能性も有り得る…?
…ダメだ、今のままでは情報が足りな過ぎて確信出来るような考えが浮かばない。

全く次から次へと…どうしてこうも厄介事が続くのだろうか…と煙草の煙を混ぜてため息を吐いてしまったジンは、取り敢えずと今頃とんでもなく心配してあたふたしているのであろう休暇中のキンモクに返事を返す前に一旦ベランダから出て、なるべく音を立てないように棚からコーヒー豆を取り出すと、水を入れたケトルの電源を入れてコーヒーカップを用意した。




「んー…ジン……良い匂い……」




そして…
あとはお湯が沸くのを待つだけ…と腕組みをして壁に寄りかかった時に聞こえた、その夢と現実の狭間にいるのだろう…枕を抱き締めてもぞもぞとしているアスナの甘い言葉に、「それは俺の枕だ馬鹿」と微かに笑みを浮かべてもう一つ色違いのカップを棚から取り出し、彼女しか使わないミルクと砂糖も。
満更でもない様子でひっそりと用意するのだった。














一方その頃…飛行機から降り立ち、空港へと到着して直ぐに建物内にあるカフェで一休みしていたキンモクは、ポケフォンを点けたり消したりして今か今かとジンからの連絡を待っているところだった。
事と次第によってはこのままホウエンにとんぼ返りするつもりでいるため、軽食などは一切頼んでいない。




「どうしましょう…もし私が不在の間にお二人に何か危険が及ぶのでしたら、このキンモク、死んでも死にきれません…!」


「ロォー…」


「この手紙は念の為袋に大切に入れておきましょう…!指紋などがついているかもしれません!あぁそれからジン様の事ですからね!また1人で危険なことをするかもしれませんし、私が先回りしてダイゴ様にご連絡を差し上げておいた方が…あぁいやでももしただの悪戯等でしたらことを荒らげるのはいかがなものか…!あぁあこのキンモク!!何故こうも最善の策が思い浮かばないのです!これでは本当にただ長生きしているだけのただの老いぼれではございませんかっ!!」


「………リィ……」




あぁあ…と頭を抱え、時折コーヒーをちみちみと飲みながらポケフォンを点けたり消したり点けたり消したり、そしてまたコーヒーの飲み、頭を抱え。
初めはぶつぶつと独り言のような声量だったそれも、段々と声が大きくなって周りの人達から「どうしたのあの御老人」等とひそひそされ始めるのだが、そんな事など全く気づいていないキンモクは向かいの席で少し冷ややかな目を向けているロゼリアのその視線にも気づいていない。

パートナーであるロゼリアも勿論ジンとアスナのことが心配なのだが、ご主人がこんな状態なのだから自分が冷静さを失ってしまえば終わりな気がするからだ。
ほら見ろ、現に店員さんが「具合でも悪いのか」とおろおろ近づいてきたので自分が首を横に振って「大丈夫」だと合図する羽目になっている。





「……!!ジン様からお返事が!!」


「ロォー、リアリア」


「!そ、そうですね!早く確認致しましょう!!えっと…なになに…」






『ただの悪戯じゃね?』






………………………。






「それだけですかジン様ぁぁあ!!!!?」




ポケフォンから念願の振動が鳴り、それと同時に届いたジンからの返事を確認する為にいそいそとモノクルを装着し直したキンモクが目を皿のようにしてそれを確認すれば、そこには何とも淡々とした一行が画面に表示されていただけ。

そんなジンからの簡単な返事に、思わずガタッ!と席を立って声を荒らげてしまったキンモクは、その時にやっと自分が周りから注目を浴びてしまっていることに気づいて慌ててぺこぺこと頭を下げ、またそれに続いてロゼリアもため息を付きながら一緒に頭を下げるのだった。





そして…そんなキンモクとロゼリアが、その後追伸で送られてきた


『気をつけて帰ってこい』


というメールに気づいて、思わず肩の力が抜けて微笑みながら軽い軽食を頼むのは…もう少しだけあとの話だ。




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