フレンチトースト



「………ん……紬…?」


「はぁい?」




カーテンの隙間から漏れてきた朝日が閉じられている瞼越しに届いてきたことに少しうるさそうにしかめっ面になった肥前はゆっくりとその瞼を開いて朝が来たのだと確認すると、眠りに落ちる前に感じていた筈の腕の重みがないことに気づいてその名前を呼ぶ。

すると、わりとすぐ近くから返事が聞こえたことを良しとした肥前は視界ではなく耳でそれを確認すると、まだぼーっとする脳を覚醒させる為にもとサイドテーブルに置いてあるミネラルウォーターを口に含んでから声のした方向を目にやった。




「ブフゥーッ、?!!」




…の、だが。
その方向にあったのはまさかの間の抜けた目のイラストがプリントしてあるアイマスクをしながらこちらに手を振っている紬だったために、肥前はそれはもう勢いよく口に含んでいた水を噴水のように吹き出してしまった。

そのお陰でカーペットがビシャビシャになってしまったわけなのだが、吹いた本人は残った水が器官に入ってむせてしまってそれどころではなく、吹かせた本人は呑気にへらへらと笑っている始末。




「っ、げほ、げほ…!んの…!お前な!朝から…っ!!ったく!つか何やってんだよ!!?」


「泣いた癖に目を冷やすのを忘れて忠広の腕の中でそれはもう幸せに寝ちゃったから、案の定目が腫れててねぇ〜。あはは、それで必死に冷やしてるわけ」


「……はぁ…そりゃあんだけボロボロ泣けばな……その…なんだ…平気か」


「…ん。平気!…ありがと」




夜にあれだけの過去を打ち明けながらボロボロと泣く姿を見ていただけに…正直心配であれから数時間は泣き疲れて眠ってしまった紬を抱き締めたまま寝れたものではなかった肥前は、それだけに起きてすぐ見たその状況に思わず頭を抱える。

しかしその理由を聞いた途端に何とも彼女らしいと思えたのか、一度息を吐いて冷静になった肥前に不器用ながらも心配された紬はわりといつも通りの様子で「平気」だと頷き、その両手はピースまでしているのだから今度こそ肥前はそれはもう大きく長いため息を吐いてしまった。




「もしかして心配してくれてた?」


「あぁ?馬鹿かお前…しねぇわけねぇだろあんな話聞かされて」


「ふふ、ごめん。…でもありがとね。お陰でちょっとスッキリした。実家に帰る理由も正直あれが原因だったからね」


「…どういう意味だよ?」


「ほら、もうすぐ刑務所から帰ってくるって言ったでしょ?近所の目もあるから直ぐには帰ってこないと思うけど…鉢合わせしない為にも今のうちに顔を見せに帰っておいでって言われてたんだよ。だからこうして忠広を連れて里帰りしたわけ」


「…はぁ、そういうことな…」


「そ。…それに、忠広にはその話、知っといて欲しかったから。私ばっかり忠広の事を知ってるのは不公平かなって思ってたし…刀の忠広と人間の私のなんて背負ってる重さが比較出来ないくらい違うのは前提の話で、それでもちょっとでも対等になりたかったんだよねぇ」


「…まさかお前…岡田以蔵の事と、この首の傷跡のこと言ってんのか?…ったく…んなの気にする必要ねぇだろ…岡田以蔵のことはどうあれ、首の傷跡のことは俺からお前に話したんだし、対等も何も…」




吹いた水で濡れてしまった顔を拭くために、近くにあるティッシュを使った流れでさり気なく紬の隣に座った肥前は、未だにアイマスクをしたままでよく表情が分からない紬と会話を続ける。

その淡々とした雰囲気の中で判明したのはかなり重要なことなのに、なんでこいつは今こんなにも訳の分からない姿でいるんだとツッコミたくなる肥前だったのだが…紬のことだ、「忠広に不細工な顔を見せたくない!」とか言うのが目に見えているのでそれはもうツッコまないでおくことにしたようだ。

しかし、紬の口から昨日の夜に過去の事を話してきたその理由を聞けば、そればかりは肥前も口を挟みたくなってしまう。
それはそうだ、肥前からしてみれば…初めは確かに「主」と「刀」という関係性だったのは事実としても、今はそれにプラスして男女の関係があるのだからそこに不公平だの対等だのと言われる筋合いも、そう思わせる関係でもないのだから。




「なら、私も話したくて私から忠広に話したんだから、それでいいでしょ?はい!もうこのお話はお終い!…ってことで、はい。あーん」


「は?」




過去の重さが違うとか、そういうのは比較するべきものではないし、そもそも仮に他人から見た時に比較されたとしても…それは結局「関係の無い」存在からの比較であり、自分達に必要なものでは一切ない。
つまり、自分と紬の間で過去の重さの比較なんてものをする必要はないし、そもそもあの話を聞いた時にこの自分がどれだけ殺意を押し殺したと……

と肥前が頭の中で考えて、どうそれを言葉にして伝えようかと考えていれば、それを見通していたのか紬は両手をパン!と叩いて話を無理やり終わらせると、何故か口を開けて「あーん」と甘えた声を出してくる。

それにわけが分からず、思わず「は?」と眉間に皺を寄せてしまった肥前だったのだが、視界が真っ暗でもそれをわかった様子の紬は、テーブルの上に置いてあるものを指さして肥前に伝える。
そこにあったのはラップをされた状態で皿に置かれた…良い焦げ目が着いている美味しそうなフレンチトーストだった。


…………つまり………?




「……お前、まさか…」


「だって私、見えないからご飯食べれないもん。正直お腹は別に空いてないけど、朝ご飯を抜くのは健康によろしくないからね!…ってことで、食べさせて欲しいな〜?」


「はぁ?!?!いやそのよくわかんねぇ間抜けなもんを取れや!!」


「よく分かんなくないし?!これウサプッチっていう作品のキレネッコってウサギのだし!!可愛いじゃんこれ!」


「どこがだよ全然可愛くねぇわ!!つかウサギなのか猫なのか紛らわしい名前してんじゃ…ってそこじゃねぇんだよだから取れや!!」


「やだー!!絶対目が腫れたままだし!そんなん忠広に見せたらそれこそ私落ち込んでもう忠広の顔見れないし話せないし抱きつけないし甘えられないしキス出来ないし今後怖さとか無くなったらそういうこ、」


「だぁぁぁぁー!!!うるせぇ黙れこのタコ!!!!分かったよ食わせりゃいいんだろうが食わせりゃ!!!」


「わーい忠広やっさしー!あ、でも忠広が先に食べて!私は後でもいいし!……あ、それとも二人羽織モドキみたいな感じで私がこのまま忠広に後ろから抱き着きながら「あーん」してみる?」


「やんねぇよ!?!!つかいいわ!お前が先に食え!!ったく…!!っっとに仕方ねぇな…!!」




ウサプッチだかキレネッコだか…よく分からないが、それでも自分が紬に強請られたことがどういう事だけはちゃんと分かった肥前は、兎に角突然のことに顔を真っ赤にして声を荒らげてしまう。

しかしそこは紬も譲れないのだろう、やだ!とこちらも少し大きめの声を出し…あろうことかアイマスクを取った顔を見られたらもうこれからそういうことが出来ないと女性どころか朝からするような言葉ではないことを言おうとしたので、それに最大限に照れてしまった肥前は更に声を荒らげてそれを遮ると、ふざけ始めた紬に内心「この野郎」と思いながらも少し震える手でナイフとフォークを上手く使ってフレンチトーストを切り分けていく。




「あ。匂い的にフレンチトーストでしょ?!カチャカチャ聞こえるけど…忠広、いつの間にナイフとフォークの使い方上手くなったの?…って、そっか…何度かパンケーキ食べに行ったもんね!また近いうちに食べに行こうね!始めて一緒にあのお店に行った時の忠広…まだちょっとよそよそしい気もしてあれはあれで可愛かったし、でもパンケーキを口に入れた時はちょっと幸せそうな顔しててそれも可愛かったなぁ…あ、でも今だから分かるけど、もしかしなくてもあの時からちょっと焦ってたよね?あの人の大倶利伽羅見て焦ってたよね?え、やっぱり可愛いね忠広…?」


「っ!!!うるせぇんだよ気が散るだろうが!!!」


「あ、絶対今照れてる。手元狂ったもんね?ガッチャンって音立ったもんね?ふふふ、本当に可愛いところあるよねぇ忠ひむぐ?!」




ペラペラペラペラと。
まるで食パンがひたひたになるまで注ぐ…贅沢に用意する量の卵液のようにそれはもうペラペラと。
ナイフとフォークの使い方の流れで、あれから良く2人で行くようになったパンケーキのお店での初めてのことを思い出した紬はニコニコとしながら思い出話に花を咲かせる。

それを聞きながらフレンチトーストを切り分けていた肥前だったのだが、その話の中であまりにも当時の自分のことも彼女は見ていたことと、あまりにも「可愛い」と連呼された事で動揺して手元を狂わせて金属音を大きく立ててしまった。

すると…そんな肥前に思わず再度可愛いと言ってきたその紬の口に肥前は無理やり切り分けたフレンチトーストを突っ込んで黙らせてしまう。




「んぐ…!…ん。甘くて美味しい…ふむ。…んぐ。…うん。この甘いんだけどそこまで甘くない感じ…でもやっぱりちゃんと甘いのが忠広みたいだし…ちょっと焦げてる感じも普段つっけんどんしてる忠広みたい…」


「何を言ってんだお前は…」


「外の耳は硬いけど、内側の卵液にひたひたに浸かった部分は柔らかいのも忠広みたい。…ふふ、美味しいねこのフレンチトースト!お母さんに後で作り方教えてもらお!」


「っ…!もう何とでも言えよ…はぁ…」


「あ、照れてる」


「照れてねぇよ!!!つかいい加減そのウサギだか猫だかのやつ取れや!!」


「ウサギだってば!!寂しいと死んじゃうウサ……そういえば忠広も寂しいと死んじゃいそうじゃない…?!私に使われなかった時に演練の申し込み事件で凄い寂しそうな顔してたじゃん?!あの時私、凄い心に来たっていうか、心がきゅー!って痛くなったっていうかさ…!」


「いい加減その口塞ぐぞてめぇ!?」




外側…見た目は硬そうで、怖そうで、近寄り難くて。
でも内側の中身は溶けるように優しくて甘い。
それでも素直じゃないから、その優しくて甘い部分の上に焦げ目を付けて…つっけんどんして。

初めは過去のことを話したことによる「怖さ」と受け入れてくれた「安心」からくる震えを隠すようにペラペラと口を動かしてそんな事を話したのだが、我ながらその話した内容が凄くしっくりときた紬はすっかりと母親がつくってくれたこのフレンチトーストが好物の一覧に追加されたようだった。


だって、だってほら。
真っ暗な視界でも…目の前にいる大好きな彼が頬を染めているのが手に取るように分かるのだから。

だから、だから早く。少しでも早く。
目を冷やし終わって、カモフラージュのために焦げ目みたいに暗い色のアイシャドウでも使って、どうにか見せれる顔になるから。

そしたら笑顔で抱き着くから、優しく受け止めて…それこそ本当に甘くて溶けるように私の口を塞いで欲しい。




「…ねぇ、忠広」


「…んだよ」




それからこれはちょっと恥ずかしくて本人に言わなかったけれど、口の中で広がるバニラエッセンスの香りもそう。

自分が良く着けている香水がバニラ系の物が多いから…だから実はよく彼からもこれと似た匂いがする。
それを言ったらなんだか自分まで照れてしまうから、これだけは自分だけの秘密。




「…色々ありがと、大好き」


「…おう」




ほらね、やっぱり今も。
バニラの甘い香りがふわりと自分を優しく包んでくれる。



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