胡瓜の古漬け





「えっ?もう帰ってくんのか?」


「私もさっき知ったんだけどね、色々かくかくしかじかで…まぁ取り敢えず帰る予定が早まったわけよ」


「おー?よく分かんねぇけど、まぁ今日帰ってくんなら夜は皆で豪勢なもんでも食うか!俺ひとっ走りして歌仙と伊達の奴らに知らせてくるわ!……あっ、気をつけて帰ってこいよー!」


「はいはーい!ありがとう豊前!また後でねー!」




朝早くに端末で本丸へと連絡を入れた紬とやり取りをしてくれたのは、まだ寝癖がぴょんぴょんと跳ねた上体のままの豊前江だった。
たまたま端末の近くに居たのが自分だったから寝癖も気にせずに出てくれたのだろうが、彼はこちらが予定よりも早く帰ってくることに関して、特に何も理由を聞いてこようとしなかった辺り、何かしらを察してくれたのだろう。
長引かせず、早々に通話を終わらせてくれたのがその証拠だ。




「…………なぁ」


「ん?」


「平気か、色々と」


「あはは、平気平気!ありがとね」




豊前との通話が切れた後の少しの沈黙。
それを破った肥前が紬の方を向いて言葉と共に心配の眼差しを送れば、紬はお得意のへらっとした笑みを零して首を縦に振った。
そんな紬を見て、一度目を伏せた肥前は昨晩あった時のことを静かに思い出す。



(……そっ…か。……大丈夫だよ、私は)



昨晩スイカを食べ終わった後に両親と肥前が説明した時の紬は、驚くことに凛とした表情を絶対に崩さなかった。
静かに聞いて……静かに、静かに息を殺して。
両親が心配してその肩を優しく叩いても、頭を撫でても。
紬は震えも泣きもせずに、静かに状況を受け入れたのだ。



「帰ってきているらしい」



という、誰にとっても最悪なその言葉を。
事情を知っている者からしたら、それが「誰」を意味するのか分かるその言葉を。

そしてその晩、「ありゃりゃ荷物が多くて上手く鞄に詰め直せないや」と笑いながら言って、結局肥前に力技で詰めてもらって。
パンパンになった鞄を見て、また笑って。
その後も特に何も余計なことを言うでもなく、紬は肥前と共にベッドに入ってあっという間に眠りについた。




「というか、どっちかと言うと忠広の方が平気そうじゃなくない?もー、本当に優しいんだから!予定よりも早く刑期が終わっちゃったらしいんだから仕方ないでしょー?」


「……仕方ねぇって、お前な…」


「それに、別に今回は詐欺?だかなんだかで入ってたんでしょ?それに私は関係ないしね!あはは!」


「……っ」




膝の上に置いている手に力を込めて、紬が笑う度にその力を増して。
強がっているのが目に見えて分かるのに、これといって上手い言葉が見つからない自分自身に苛立って。
更に力が込められていくその手の平からは、いつの間にかくい込んだ爪のせいで今にも血が滲んでしまいそうだ。
しかしそれは滲む前に気づいた紬がその上から優しく手を置いたことによって止められる。




「忠広、確かに当時の私だったら絶対平気じゃなかったよ。でも、今は違うでしょ?私には両親も、これから帰る本丸の皆も居る。忠広もこうして隣に居る。……だから私は大丈夫!」


「……そう、か」




優しく手を置かれ…真っ直ぐに見つめられてその言葉を言われた肥前は紬の予想外の強さに内心驚き、そしてじわじわと照れくさいような衝動に駆られて今度は肩に変な力が入ってしまう。

確かに当時と今は状況も、それこそ年齢も違うが、それにしたってそんな事を言われてしまえばドッと安心感に襲われると共に正直照れてしまうのも無理は無い。




「そうだよ!全くもう!そんな別に対面するとかって話でもあるまいし、心配し過ぎだってば!ほらほら、早く帰ろ!どうせ本丸に着く頃には夜になってるだろうし!」


「!………対面……?」


「ん?どうかした?」


「……あ、いや。何でもねぇ。…そうだな、どうせまたバスの時間やらなんやらで余計に時間食うだろうし、さっさと帰るか」




対面。その言葉に嫌な何かを感じつつも、紬に悟られないように即行動に移してしまおうと思った肥前は立ち上がって紬のパンパンに膨れた鞄を持つ。
そしてそのまま紬を連れて玄関まで行くと、そこにはもうお土産だのなんだのを入れているらしい紬の良心が立って待っていた。




「準備は出来たかぁ?ほれ、胡瓜の古漬け!むぎ、あんたこれ好きだべ?」


「え!好きー!!ありがとうお母さん!」


「ったく……ただでさえ荷物が多いってーのに」


「こっちは家のかんぴょうだかんな!細かく切ってあるから卵とじなんかにすぐ使えるぞ!……あぁでも確かに多い荷物だなぁ?それなら少し減ら、」


「構わねぇから全部くれ」




荷物が多いのに更に増えるとは……と思った矢先。
好物のかんぴょうの卵とじ用の物があると言われてしまえば、途端に素直に真顔で全部受け取った肥前を見て紬は笑ってしまう。
その後少しだけ他愛もない話をして、少し強めに家族で抱きしめあおうとするが、ふと横で待機している肥前を見た紬は悪戯な笑みを浮かべて咄嗟にその背中を自分側に押す。




「な?!にしてんだこの馬鹿!俺はしねぇって!」


「「「ぎゅー!!」」」


「しねぇっつっただろうがってか可愛くねぇんだよそこの親父何しれっと一緒に声に出してんだ!!」


「可愛いべかと思ったんだがなぁ?」


「歳考えろや!!」


「俺より肥前くんのが歳上だべ」


「いやそれはそ……上手くねぇからな?!!」




「それ」に対する言葉は何もなくても、温かさや優しさが沢山沢山詰まって。
両手が荷物で塞がっているのをいいことに、肥前を抱きしめ合いの中に押し入れた犯人である紬は顔を真っ赤にして怒っている肥前を見て楽しそうに笑う。

今度はいつ会えるか分からない、あの人がこれからどうするのかも分からない。
それによってはこのまま家族と直接会うことも、下手したら今までよりも少なくなる可能性だってあるし、何十年も先の話になってしまうかもしれない。
それでもこうして心から笑っていられるのは、きっと。




「ったく!!…てか、早く行かねぇとバスに乗り遅れんぞ?!ただでさえ滅多に来ねぇのにここで逃したら、向こうに着いたのが深夜でしたーなんてオチは勘弁だからな?!」


「あ!そうだバス!!それじゃぁお母さんお父さん!私達帰るね!色々ありがとう!お兄ちゃんにもよろしく言っといて!」


「あぁ。身体には気をつけなさいよぉ〜。肥前くんも、むぎをこれからもよろしくなぁ」


「いつでも連絡してくるんだぞ!……2人共、いってこい!」


「!……うん!へへっ。いってきます!」


「…………いってくる」




別れの言葉ではない。
「ただいま」といつか言える為の、送り出すその言葉をくれた両親に対して……
塩っぽい対応をしながらも、すっかりとその愛で塩抜きをされてしまった肥前は、ぶっきらぼうながらも素直に紬と同じ言葉を返した。

またここに揃って帰って来れるように、ちゃんと「ただいま」を言えるように。
今後、今隣で笑顔を作って歩き出した彼女に悪いことが何も起こらないことを願って。




(そういえば胡瓜の古漬けって忠広っぽいよね)


(くだらねぇだろうが一応理由は聞いてやる)


(胡瓜の古漬けってめちゃくちゃ塩を使って漬けるじゃん?普段の忠広みたいだし、塩抜きされたらめちゃくちゃ旨みあってご飯が沢山進むのも忠広みたいじゃない?ほら、私からの愛で塩っけ抜かれて照れる忠広なんてめちゃくちゃ可愛くて旨みあるっていうか味があるっていうか!)


(誰が可愛いだ可愛くねぇよってかツッコミ追いつかねぇ!!)


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