Harribel
「はぁ…っ、はぁ…っ!!」
息苦しくなるような焦げた臭い
思わず閉じた唇の中で、歯を噛み締めてしまう程の鉄の臭い
奇跡的に何処も怪我をしていないのに、安心からなのか恐怖からなのか、止まらない涙
そんな嫌な物がごちゃ混ぜになった自分自身に鞭を打つように…目の前で黒い煙の中で息絶えたのだろう魔物から目を逸らして後ろで寝そべっているハリネズミを急いで膝の上に乗せたロアは目を閉じて自分の掌に意識を集中させる。
「………フェアリーライト…」
「…きゅ、う…」
怒りに助けられ、勢いに助けられ。
暴発することも術を間違えることもなく素直にファイヤボルトを敵にぶつける事が出来たロアだったのだが、それは本当に今こうして自分の術で現れた蝶に囲まれて光っている小さなハリネズミの勇気のお陰だった。
フェアリーライトならばこうして意識さえ集中させられれば難無く使えるのに対して、やはり攻撃系の術は少しでも気が緩むと上手く扱えない。
しかし、これが日々の特訓の成果、というやつなのかは分からないが…どうにか素直に術を使用して敵を倒せたのは、もしかしたら少しでも自分なりに努力は出来ていたのかもしれない。
目の前の状況も、考え方も。
お陰で前向きに捉えられてホッとしていれば、ハリネズミの周りを飛んでいた蝶がひらひらと消えて…それに呼応するかのようにお腹にあった痛々しい傷が消えていることを確認したロアは酷く安堵して大きく息を吐いた。
「……はぁーーーーー…!…良かった…!」
「…きゅ…?…!…きゅう!!きゅきゅう!」
「わっ!あっはは!擽ったい擽ったい!もう可愛いなぁ!…あ。でも安心してられない…!傷が治っても、流した分の血までは戻ってないから、あまりはしゃがないこと!」
「………きゅううう…」
「あぁ…!ほら言わんこっちゃない!…よし。それならここからは私が抱っこした状態で進もう!」
いくら回復したにしても、先程の魔物に斬りつけられた傷から流れた血液までは戻すことが出来ず、案の定ハリネズミは少しはしゃいだだけでふらふらと目を回してばまたりと尻もちをついてしまう。
そんなハリネズミに「言わんこっちゃない」と言ったロアがその小さな身体を優しく抱き上げて立ち上がれば、ハリネズミはぷくーっと頬を膨らませ…そして少しだけ頬を染めて不貞腐れてしまう。
「あっはは!もしかして拗ねてる?」
「…きゅう」
「…ふふふ、なんか君のそういう強がりっていうか…私を守って頑張ってくれたりする所…ちょっとアルベルに似てる気がするなぁ…まぁいつでも無条件でカッコイイんだけど」
「…きゅう?」
自分を守ってくれたり、勇気をくれたり。
自分の前ではカッコよくいようとしてくれているところが、何処か大好きな人と重なって。
そんな大好きな人を頭の中で思い浮かべたら、自然と笑みが浮かんだロアは思わず抱き上げているハリネズミを顔の近くまで持ち上げて、首を傾げてきょとんとしているハリネズミの額に軽くキスをし、はにかんだ笑顔でこう告げた。
「…決めた!君の名前!「ハリベル」にしよう!」
「きゅ!」
「ハリベル…ハリベル…うん!やっぱり良い名前!どう?気に入ってくれた?」
「きゅう!!」
「やったー!改めて、これからよろしくね!ハリベル!」
「きゅー!!」
ハリネズミとアルベル。足してハリベル。
単純な案かもしれないが、そんなロアの命名を気に入ってくれたらしいハリネズミ…いや、ハリベルは片手をちょい、とあげて返事をしてくれた。
そんなハリベルが可愛くて、嬉しくて。
まるで辛い事を乗り切れと言わんばかりにこの状況で初めて心から笑えていて…それで思わず頬擦りをしたロアは、いつの間にかドラゴンのようなレリーフが装飾されている扉の前まで辿り着いていたのだった、
その扉の向こうが…出口どころか最奥に近づいている証拠だということなど、全くもって思う筈もなく。
「いやいやアルベル様!?俺達も行きますけど?!」
「お前達はそこら辺を飛んで空から探し直していろ」
「え?!もう充分探し…って、アルベル様ー!!」
「聞いちゃいないな…」
一方…こんな状況にも関わらず、ロアがハリネズミに似た魔物に名前をつけて頬擦りをし合ってじゃれていて…尚且つ遺跡の手前まで辿り着いている事など全くもって思う筈もないアルベルは、急いで飛龍を呼んできてくれたジェットとロータスの協力の元、バール山脈の隅から隅を空から確認し終えた所だった。
しかし勿論ながらバール山脈の洞窟内部にまで進んでしまっているロアを見つける事など出来るわけもなく…痺れを切らせたアルベルは飛龍がきちんと地面に降り立つよりも先に自分の脚力で地に足を付けると、心配で着いてこようとした2人に適当な返事をして走って行ってしまった。
「…はぁ、仕方ない…俺達はアルベル様の言う通りにもう一回空から捜索するか」
「そうだな…早く見つけて送り届けねぇと…それこそウォルター様の寿命が縮む」
「腰抜かしてたしな…」
物凄い速さで走っていき、あっという間に小さくなって見えなくなってしまったアルベルが向かった方向に身体を向けた状態のまま。
ロアへの心配と祖父であるウォルターの心配をして深くため息をついてしまった2人ほ、この状況の中で唯一心配ご無用なアルベルを信じ、指笛を吹いて再度空から友人であるロアを捜索することなり…その際に
「「なんだかんだやっぱりロアが大好きなんだなぁ」」
というアイコンタクトも何もしていない中で揃って口にしてしまったその呟きは、アルベルに聞こえなくて幸いだったのだろう。
そんな事に心の中で思わず笑ってしまった2人なのだが、ふと先程空から捜索していた時と違う光景を目にし、飛龍に合図をして上空で立ち止まる。
「…ん?おいジェット…あれってもしかして…!」
「んー?……あぁー?!ロアを連れてったあの親ドラゴン?!…って、今帰って来た感じ?なんかご機嫌斜めじゃね?」
「……もしかして…?」
「…もしかすると…?」
「「もしかするかも?」」
もしかするかも。
再度揃ってジェットとロータスがそう言ったのは、勿論訳がある。
実は先程までは見当たらなかった親ドラゴンがいつの間にか巣へと戻っており、どうやら機嫌が悪い様子。
それは何故か?
そう考えた時に2人が行き着いた考察は、もしかしたらロアは食べられる前に抜け出したのでは?ということ。
それならばあの親ドラゴンが機嫌が悪いのも頷けるし、辺りをキョロキョロとしているのも更に辻褄が合う気がする。
そう考えたジェットとロータスはお互いに顔を見合わせて強く頷くと、まだロアは生きている可能性が充分にあるのだと魔物を倒しながら進んでいるアルベルの元へと急いで声をかけた。
「アルベル様!!さっきは居なかった親ドラゴンを見つけました!しかも機嫌が悪い!!」
「チッ…だからなんだ?!」
「機嫌が悪いということは、もしかしたら食べようとしていたロアを見失った可能性が高いです!それから巣の形状からするに、ロアがもしあの巣の中から…子供ドラゴン達の中から抜け出せるとしたら、道は一つに絞られます!!とりあえず乗って下さい!」
まるで自分の頭を整理するついでとでもいうように。
なるべく早く説明をして、なるべく早くロアを見つけなくてはと考えるより先に行動に示した2人は立ち止まったアルベルを再度飛龍に乗せて大きな素の元へ送り届けた。
そして送り届けて直ぐにアルベルが放った覇気で怖気付いた様子のドラゴン達を確認すると、ロータスは滝の裏にある洞窟へと指をさしてアルベルに伝える。
「…あそこです!!考えられるのはあの奥しかない!」
「ドラゴンに構ってる暇があるなら早くロアの元に行ってやって下さい!ここは俺達がどうにかするんで!!」
ロータスが指さした方向に目をやったアルベルが次の瞬間刀に手を添えて邪魔なドラゴン達を倒そうとするが、それは気を利かせてくれた2人によって抜かれることなく終わる。
ジェットとロータスは疾風騎士団と言えども、まだ新人に近い2人。
それ故に実力ははっきり言ってそんなにありはしないが、それでも2人はロアとアルベルの為に恐怖を押し殺してまで討伐を買って出てくれたのだ。
しかし、アルベルからしたら数十分もあれば倒せるのだろう、そんな敵に対して喧嘩を売る。
…そんな事しか出来なくてすみません…だなんて、2人が眉間に皺を寄せてしまった…そんな時。
「……礼を言う」
「「へ、?」」
小さいけれど、もうその姿はとっくにないけれど。
確かに、絶対に微かに聞こえたその言葉をしっかりと耳に入れた2人は、きょとんとしてしまった後に感激とばかりに瞳を輝かせ、そしてうるませて相棒の飛龍に合図を出した。
ここを綺麗にして、安全にして。
帰って来た2人を無事にカルサアまで送り届ける為に。
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