曲名



さわさわと揺れる草木の音に混ざり、足音を鳴らしながら響いているのは、珊瑚の声だった。
少し前まで騒がしく鳴り響いていた信号の音も、排気ガスの焦げ臭いも、忙しなく歩き回る人々の姿などはここでは何処にも見当たらない。

久しぶりに母親の気合いの入った料理を食べたのが余程嬉しかったのか、或いはもっと別に嬉しい事があったのか。
無事に事を済ませ、もうすぐ自分達の居るべき場所である本丸へと辿り着くが、せめてその間にだけはずっとこのままでいよう…と自分よりも細くしなやかな彼女の手を握っている大倶利伽羅は、何も言わずにそんな彼女の声に耳を傾けていた。




「十日夜の月〜淡く照らすは二つの影〜」


「………」


「ゆらゆらと〜映すは水面、未来の写し影〜」


「……相変わらず、上手いもんだな」


「えへへ!取り柄ですから!」




まるで…例えるならそう、風鈴のような声だ。
何処か静かで、それでいて研ぎ澄まされたように凛とした声。
その音は良く響き、良く伸び、思わず目を閉じてしまって、何処か懐かしさまでも感じるような、そんな声。
元々、珊瑚の歌は自分達の本丸でひっきりなしに誰かの気まぐれで開催される宴会の席で何度か聞いたことがあるが、伴奏も何もない…本当に彼女だけの声で演奏される歌は今この時初めて聴いた。

こんな事を言ってしまえば、本人は頬を膨らませて「そんな事ありませんー」と拗ねるかもしれないが、普段は好きなだけ昼寝をしたり蜜柑を食べ過ぎたりする度に保護者のような長谷部に怒られ、年甲斐もなく陸奥守とはしゃいでいるような…そんな騒がしい人物の口からこんな歌声が響いてくる事に少しだけ可笑しいと思ってしまう。

全く、「人」というものはどれだけ共に居てもその全てを知るのは難しい。
そう思ってしまったのは、今歌い終わった珊瑚のこともそうだが、少し前まで涙を流しながら




「大倶利伽羅くんよろしくね、よろしくね大倶利伽羅くん。僕の娘を幸せにしてあげてね。いつでも遊びに来てね、一緒にお酒飲もう」


と何度も同じ事を言いながら自分に酒を注いできた彼女の父親と…


「それにしてもやだぁ〜本当にイケメンねぇ大倶利伽羅くんって!私イケメン大好きなのよ!事前に連絡くれればいつでもご馳走作って待ってるからね!」


と、初めは自分と珊瑚の事に納得していなかった筈なのに、いつの間にか全肯定してあれよあれよと皿の上に料理を追加してきた彼女の母親に対しても言えることなのだが。

そんな事をひっそりと思いながら心の中で少し笑ってしまった大倶利伽羅は、隣にいる珊瑚に先程の歌がどのようなものなのかを聞いた。




「それは、何という歌なんだ?」


「ん?あ、これ?あはは、即興で今作った適当な歌〜」


「…今作ったのか……?」


「そうだよ?…あ、もしかして気に入ってくれた?なら曲名でもつけておく?」




どんな歌なのか、単純に気になって聞いただけだったのだが、まさかそれが彼女が即興で作ったものだとは思いもしなかった大倶利伽羅は思わず少し目を丸くしてしまう。
以前、彼女からそういった道を目指していたとは聞いていたので把握はしていたが、まさかここまでの腕だったとは知らなかった。

しかし、大倶利伽羅が珊瑚に対して素直に驚いて感心している事など本人は知らないのだろう、気に入ってくれたのなら曲名でもつけようかと呑気に月を見上げながら何やら唸り始め、大倶利伽羅がそれを何も言わずに眺めていれば、暫くして閃いたのだろう、珊瑚は「そうだ!」と声をあげて立ち止まると、手を握ったまま隣にいる大倶利伽羅と目を合わせて口を開いた。





「月が綺麗ですね。…なんてどう?在り来り?」


「………珊瑚、」


「?くー……………ん、…え?」




その曲名を口にした途端。
握っていた手をそのままに、引き寄せられたかと思えば唐突に…それでいてとても優しい感覚を唇を通じて大倶利伽羅から感じた珊瑚は、その後暫くしてゆっくりと離れていった大倶利伽羅の瞳と目が合う。

すると、大倶利伽羅は珊瑚の間の抜けてしまった表情に少しだけ口角を上げてみせると、その曲名に対して何かを答えるかのように口を開いた。




「いつまでも、綺麗なままでいさせてやる」


「……………」


「暇潰しに読んだ書物だったんだが、案外役に立つもんだな」


「っ!!?し、知っ……て……?!」


「ほら、もうすぐそこだろう。さっさと帰るぞ」




始めは突然の事に時が止まったように動けなくなってしまった珊瑚だったが、後に大倶利伽羅からの言葉を聞いた瞬間に、それはまるで蜜柑畑の近くになっているトマトのように真っ赤に染まり、思わず半開きのままになっていたその口は庭にある池の鯉かのようにパクパクと忙しなく荒ぶってしまう。

そんな珊瑚を見て、「ふ…」と軽く声を漏らした大倶利伽羅は、言葉を失っている珊瑚の手を引くと、機嫌が良さそうにすぐ近くまで迫っていた本丸へと再度足を動かしたのだった。
「あの、待って、あの、くーくん、あの、意味!!」としどろもどろになりながらもどうにか言葉を返そうとしてくる珊瑚の顔が、未だに真っ赤なのだろう事を分かっていながら。













「珊瑚ー!!大倶利伽羅ー!!もんてきたか!ど、どうやった?!どうにかなったか?!」


「ただいま!ふふ、大丈夫!何とかなったよ!」


「大倶利伽羅!!主のご両親に失礼な態度は取らなかっただろうな?!」


「失礼どころか凄い頑張ってくれた!」


「なら、きちんと「はじめましてあんたの娘は俺の物だ」って言えてました?」


「いくら俺でもそこまで言葉を端折らない」


「おっ!主と伽羅坊のお帰りか!どうだった?刀派長船の大倶利伽羅殿の誠意とやらは無事にご両親に伝わったか?」


「あ!鶴さんもただいまー!最初はどうあれ、最終的にはもう仲良しこよしだったよ!」


「え?!伽羅ちゃんが?!ちょっとビックリだけど…あはは!それなら良かったよ!これで伽羅ちゃんも僕と同じ長船の仲間入りだね!」


「騒がしい。俺は無銘刀だ。世話になった、返す」


「あー!!伽羅が早速脱いだ!!折角なのに勿体ねぇ!!」




あれから数分歩き、夜風のお陰もあって本丸に帰ってくるまでの間に何とか火照ってしまった熱を冷やすことに成功していた珊瑚は、玄関を開けて入った途端にバタバタやんややんやどうだったどうだったと騒がしく詰め寄ってきた刀剣達に明るい笑顔を向けながら言葉を返す。
そんな珊瑚の隣で、盛大なため息を吐きながら言葉を返して早速と上着を脱いで燭台切へと返した大倶利伽羅は、先程の静かな空間がまるで幻想だったかのような錯覚に陥ってしまった。




「…………ふ、」



しかし、いつの間にか…目の前のこの騒がしい空間も悪くはないと思えるようになっていた事に気づいてしまい、数分前に珊瑚に対してした事と同じように再度思わず小さな笑みを声と共に漏らしてしまえば、それをその場にいた全員が目撃してあんぐりと目と口を大きく開けて声をあげてしまった。




「「「「「「「…笑った…」」」」」」」


「別に笑っていない」


「嘘だ!!今絶対笑ったよな伽羅!!俺見たし!!」


「笑っていない」


「嘘ですね!俺よりも隠蔽低いんですから隠そうとしたって無駄ですよ!俺だって貴方に憧れて極になったんですからね!」


「そうだったな。だが笑ってはいない」


「陸奥守くん!写真!写真撮った?!撮ってたら僕にくれない?!」


「すまん!撮れちょらん!!寧ろ今持っちょらん!!ぐぁあ常備しちょけばよかったのぉ!!」


「何をやっているんだ陸奥守!こういう時の財布の紐を緩めてまで買った映写機だろう!!」


「撮るな」


「はっはっは!まぁ伽羅坊も主を愛するが故にそれだけ成長したってことだな!良い笑顔だったぞ!!俺はこの身が果てるまで一生忘れん!」


「笑っていないと言っている」


「やだもう…!私今日だけで何回くーくんに惚れ直したか分かんないよ…!」


「っ……はぁぁ………」




今、今笑った、ぜっったい笑った。
口々にそう言いながら大倶利伽羅に詰め寄り、いくら本人が頑なに否定してもそんな事など聞きもしない面々は各々で勝手に盛り上がり…最終的に「大倶利伽羅が笑った記念日で酒でも飲むか」とわけの分からない事を言い出す始末だ。

そんな言葉に、「どんな記念日だ」とツッコミたくて仕方がない大倶利伽羅だったが、それよりも「見られた」ことの悔しさと恥ずかしさでどうでも良くなる。
そんな中で唯一出来た事といえば、静かに腕組みをして冷静さを装うことくらいだったのだった。



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