信念




「…正直、我儘な事を言っているのは分かってる。でも私はどんなに考えても、やっぱりこの大倶利伽羅…ううん、くーくんがいい。だからお見合いどころか、まず誰かと結婚するつもりもありません」


「…本気なのか…?」


「じゃなかったらここにくーくんを連れてこないし、孫が見たいってずっと言ってたお父さんとお母さんにこうやって話もしてない」




あれから、珊瑚とその母親の訳の分からないお鍋とお玉の付喪神口論は結局彼女の父親が帰ってくるまで続き、その間ずっと除け者のようになっていた大倶利伽羅は淡々とそれを眺めることしか出来なかったという…何とも哀れな目にあっていた。

しかし、やはり父というのは家族の大黒柱なのだろう。
父親が帰ってきた瞬間にその争いはピタリと止み、今はこうして珊瑚から「誰かと結婚するつもりはない」との説明を受けて大倶利伽羅の目の前に座っている。
そしてそのまま…珊瑚の真剣な表情を無言で見つめた父親は一旦目を閉じてゆっくりと開き直すと、目の前の大倶利伽羅に向かって優しくもハッキリとした声色で言葉を発した。



「…ふむ。…えっと…大倶利伽羅くん、だったかな?」


「…あぁ」


「大倶利伽羅……確か、独眼竜伊達政宗公の刀だね。そうか…」



独眼竜、伊達政宗。
それは…こうして大倶利伽羅という付喪神…もっと言えば、珊瑚にとって何よりも特別になった「くーくん」を愛用して、その強い思いでこの世に生み出してくれた…珊瑚と大倶利伽羅からしたらまさに恩人のような人物だ。

その名前を口にして、再度自分の目の前にいる大倶利伽羅の真剣な金色の瞳と目を合わせた珊瑚の父親は、そんな大倶利伽羅に対してふと「句」を口にする。




「…曇りなき心の月を先だてて…」


「!…浮世の闇を、照らしぞ行く」


「…うん。そうだね。これは君の元の主が読んだ句らしいじゃないか。僕は好きだよ、この句。彼は、先の見えない暗闇のような戦国の世を…己の信念を光にして歩んだ。…こうして平和になった世の中で生きてきた僕には想像もつかないけど、それを共に生きてきた君なら、それがどれだけ大変な事だったのか分かるんだろうね」


「……」



珊瑚の父親がふと口にしたのは、大倶利伽羅の元の主である、伊達政宗公が読んだ句だった。
それに続いて大倶利伽羅がその句を口にすれば、珊瑚の父親は優しく笑ってみせる。

しかし、その優しい表情の裏に何かを感じた大倶利伽羅がそれに答えずに黙ってその続きを待てば、珊瑚の父親は大倶利伽羅が察したように急に表情を真剣なものに変えると、まるで緩みそうになった糸を容赦なく引っ張ったように、細くも鋭い言葉を大倶利伽羅に切りつけた。




「先が見えない。…それは、君が僕の娘と歩んでいくその道にも言える事だよ。君はこの世でも影で敵と戦う「刀」だ、決して人間ではない。その分寿命も違うし、いつ何処で「別れ」の時が来るかも分からない。…でも、その「別れ」はどんなに足掻いても「必ず」訪れる」


「……っ…」


「それでも君は、君の元の主である伊達政宗公のように、「己の信念」というものを持って、先の見えない暗い道を僕の娘と歩んでいけるのかい?いけたとして…「別れ」の時が来たその時、君はどうするつもり?」




目の前に座り、話している間にも決して一度も大倶利伽羅から目を逸らさない珊瑚の父親のその言葉は、それこそまるで刃のように鋭く、凍てつくように冷たい。
しかしその言葉がどれだけ熱いもので、どれだけ重い物かも感じ取った大倶利伽羅は思わず太腿の上に乗せていた手に力を込め、ぎゅっと強く握ってしまった。



「っ、くーく…」


「珊瑚、」



そんな大倶利伽羅の様子を見た珊瑚が何かを口にしようとしかけたが、それは彼女の隣にずっと座って同じく黙っていた母親に静かに小突かれて止められてしまう。
確かに、母親に止められた通りに口を出すのは良くない事なのかもしれない。
それに実際に口を出すことを許されたとしても、父からの問いに上手く何かを答えられたのかと聞かれてしまえば、正直何も言えなかったのだろう。
それくらい、彼がずっと憧れていて、誇りに思っている伊達政宗公の話題を使ってまでして問い掛ける父親の想いが真剣なものなのだと分かっているから。

大倶利伽羅は大丈夫だろうか、上手く何かを返せるだろうか…辛くはないだろうか…?
そんな不安と心配が入り交じる中で、何も言えずにただただ大倶利伽羅を信じて見つめることしか出来ない珊瑚が情けない自分を責めてしまいそうになった時だった。
大倶利伽羅はそんな珊瑚を守るかのように…スッと目の前の父親に向かって顔を上げると、力強い金色の瞳を向けて、同じくらい強い言葉を辺りに響かせた。




「…俺は、正直言葉が上手くない。誰かと馴れ合っていくことも好きじゃない。今はこうして…近侍としても、恋慕う仲としても珊瑚の隣にいるが、それでもここに至るまでに何度もあんたの娘を傷つけたし、不安にもさせた」


「………」


「あんたの言う通り、俺は「刀」だ。人間じゃない。…だから、あんたやあんたの奥方が望んでいるだろう通りに珊瑚と共に歩んで幸せに出来るかと言われれば、それは無理だ」


「……そうだろうね…」


「…だが……それなら俺は…「刀」の俺は…珊瑚の生涯、一度も折れる事無く隣に寄り添い続ける。守り続ける。その為に必要な強さなら、この先いくらでも…血反吐を吐いてでも身につける。そんな俺が折れる時は…」


「…折れる時は…?」








「あんたの娘である…珊瑚が死ぬ時だけだ。それからの事は、折れてから考える。だが、例え植物に生まれ変わろうが、獣に生まれ変わろうが…また刀に生まれ変わろうが、人間に生まれ変わろうが…その度に必ず珊瑚を見つけて、珊瑚が俺を望む限り隣にいると、約束する」







ぶわり…と。
大倶利伽羅が…彼が彼なりの「信念」を示したその瞬間。
室内の筈なのに、何故か強い風を感じて…桜の香りが舞ったような感覚を覚えたその場の全員は、時が止まったかのように身を固まらせて言葉を失ってしまった。

それくらい、素直に「綺麗」だと思ったのだ。
目の前の大倶利伽羅のその姿が、瞳が、声が。
全てが穢れなく、何処までも透き通っていて、それでいて研ぎ澄まされた刃のようで。

そんな大倶利伽羅からの気持ちを聞いた珊瑚が本人も知らぬ内に涙を一筋流してしまえば、それを隣で見た彼女の母親は困ったように笑ってその涙を拭う。
そんな中で、一度も大倶利伽羅から視線を外されなかった彼女の父親は段々と目を見開いていくと、やがて諦めたように優しく笑って目の前の大倶利伽羅へと手を差し伸べた。





「…娘を、これからもよろしく頼むよ、大倶利伽羅くん」





まるで、その強く眩しい…どんな暗闇だって明るくしてしまう程の「信念」を、自分も掴んでいたいと言いたげに。
差し出されたその手をゆっくり…しっかりと握った大倶利伽羅は、この時やっと僅かながらも口元を緩ませたのだった。




「……っくーくん……大好き……凄い喋るじゃん…何?長船の装いだから?みっちゃんの力もらったかなんか?…ぐす、カッコイイ…凄いカッコイイ…そこそこ饒舌なくーくんも好き…私一生忘れない…ううん、例え植物だろうが石ころだろうが蜜柑だろうが…何に生まれ変わってもくーくんの今の言葉忘れない…忘れたとしても何回でも思い出す…」


「……っ…時と場を考えろ………全く…」





あらやだぁと照れ笑いをしている母親の隣で。
嬉しそうにしつつも娘のベタ惚れように複雑な心境で泣きそうになっている父親の前で。
真っ赤な顔をしながら愛の告白のような物をする自分の想い人に。

呆れたように、それでも何処か嬉しそうに僅かに頬を染めながら。



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