ずるくて綺麗なもの
「……寝てるのか……」
陸奥守と酒を飲んだ次の日の朝から鯰尾に頼まれて手合わせをしていた大倶利伽羅は、共に浴場で軽く汗を流した後に1人で珊瑚を探していた所だった。
しかし探すと言ってもそれは「どうせ炬燵のある部屋に居るだろう」と予想がついていたこともあってすぐに見つかるのだが、珊瑚は伽羅助の隣で一緒にすやすやと眠ってしまっていた。
そんな珊瑚の寝顔を見て初めはそっと目を細めて静かな笑みを浮かべた大倶利伽羅だったが、その後すぐに珊瑚の閉じられた瞳から一筋の涙が零れたのをその瞳に映すと急いでその隣にしゃがみ、隣にいる伽羅助を起こさないようにそっと珊瑚の肩を揺すった。
「っ、珊瑚…おい、」
「…………んん、…?」
「…平気か?」
「…くーくん……?…っ、」
控えめな揺れにゆっくりと目を覚まし、目を開けた珊瑚に飛び込んで来たのは心配そうに自分を見つめている大好きな刀の顔。
そんな顔を見て、一瞬夢なのか現実なのか分からなくなってしまった珊瑚が思わず大倶利伽羅へと手を伸ばせば、その手を大倶利伽羅は不思議そうにしながらもしっかりと握ってくれる。
すると、それでようやく今の状況が夢ではなく現実なのだと実感出来た珊瑚は隣で眠っている伽羅助を起こさないようにゆっくりと体を起き上がると、控えめに大倶利伽羅の胸板へと擦り寄った。
「……珊瑚…?」
「………夢、見た」
「怖かったのか?」
「怖い…怖いかぁ…うーん……あれって普通は怖いのかな…」
「ゆっくりでいい、話してみろ」
控えめに寄り添ってきた珊瑚を包むように抱き締め、見ていた夢がどんなものなのか話しそうで話さない珊瑚に向かって「ゆっくりでいい」と言った大倶利伽羅は、その後に頷いて大きく息を吸った珊瑚の口からその答えが出る時を待つ。
すると暫くしてゆっくりと静かに話し始めた珊瑚の見た夢というのは、大倶利伽羅の瞳を苦しそうに細めさせるには充分過ぎる程のものだった。
「…私、そう遠くない未来で死ぬかもしれないし、物凄い長生きをするかもしれないし……確かなことは分からないんだけど、多分…前者だと、思う」
「………」
「…むっちゃんには、話したんだけど…伽羅助の時もね、その少し前に伽羅助そっくりな子供を抱っこしてる夢を見てて………」
「……つまり、さっきは死ぬ夢を見たわけか」
「…二回目、なんだよね。……目の前にくーくんがいて、まだそんなに皺のない手を握ってくれて…頭を撫でてもらいながら…ゆっくりと視界が真っ暗になるの。……それで目を覚ましたらまた目の前に夢と同じ顔のくーくんがいるから、ビックリしちゃった」
「………そういうことか」
珊瑚のその夢というのは、彼女の祖母の力のことを考えればつまり…予知なのだろう。
それは本人も半信半疑らしく、確実にそうとは言いきれないとも言う。
それでも確実に否定出来ないことから今まで言わなかったということも分かるが、大切な事をあまり自分に話さない珊瑚に少し怒ったようにその体を強めに抱き締め直した大倶利伽羅は呆れも混ざったような感情を込めて言葉を放った。
「…あんたは俺に隠し事が多い」
「…ご、ごめん…」
「俺はあんたが思っている程弱くはない。……強くもないがな」
「…?くーくん、どういう意味…?」
大倶利伽羅に「隠し事が多い」と言われてしまった珊瑚は、伽羅助を預かった本当の理由も、長谷部と祖母のこと事も、そして今こうして言った予知なのかもしれない夢の話のこと、その全てを込めて言われたのだと悟って思わず素直に謝る。
大倶利伽羅を信じていない訳では無く、素直に言えば余計な心配をかけたくなかったからなのだが、大倶利伽羅からしてみればそれこそ「余計」な世話だったのかもしれないと珊瑚は反省してしゅん…としてしまう。
そんな珊瑚の雰囲気を感じた大倶利伽羅は、そのうなだれ気味の頭をそっと撫でると、少し難解な言い方をし始めた。
弱くはないけど強くもない。
その言葉が一体どういう意味なのかと顔を上げて大倶利伽羅を見上げた珊瑚が見たその顔は、「愛しさ」を感じるような優しい表情だった。
「…いつまでも綺麗にいさせてやると言っただろう」
「………う、うん…言った…」
「…あんたが望む事は、俺の望みでもある。だから俺はあんたが思っている程弱くはない。あんたはあんたが俺にして欲しい事を、そのまま素直に望んでいればいい」
「………うん…」
「ただ、一つだけ…俺にはあんたが道を曲げて望んだとしても叶えてやれない事がある。…これはあんたが居ない時に両親にも言った事だが…」
「…あ、前にお母さんが意味深に言ってたやつ?…えっと、何…?」
珊瑚が望んでいることは自分の望んでいることでもあるからと。
望んでくれるなら自分は決して弱くはないのだと。
そう言った大倶利伽羅のその言葉が、はっきりと言わなくても、どこまでも…どこまでも。
自分が死ぬ時も一緒にいてくれるという意味なのだと分かった珊瑚は、じわりと潤む瞳を堪えて強く頷いてみせた。
しかし、そんな珊瑚に大倶利伽羅は一旦視線を逸らすと、どうしても一つだけ叶えてやれない事があるのだと言う。
そしてその答えを聞いた時、珊瑚は襖の隙間から入ってきた風の感触を感じたと同時に今度こそその瞳から大粒の涙を流してしまうことになる。
「…あんたが子を欲しいと願っても…それが俺との子でない以上…俺は受け入れてやれない」
「!…っ、う、うえ………ふっ、う…」
「…それぐらい、…あんたの事になると、俺は弱くもなる」
「っ、ま……て、ちょっと、ま……」
「自分でも、情けないと思う。…刀として、戦いの終わりを…歴史を守る使命を持って生を受けた身で……己の気持ちを優先した挙げ句に後の世を放り投げる事を言っているわけだからな」
「まっ、て…てばぁ…!」
「…それが例え誰かに「汚い」と言われたとしても、俺は……それを貫き通すからな」
止まらない。
涙も、自分を抱き締め続けている彼の力も、想いも、言葉も。
何もかも「待って」と言っているのに止まらなくて、止まってくれない。
でもそれ以上に止まって欲しくもないと想ってしまって、彼に「伽羅助が起きるぞ」と少し笑いながら言われても。
想いも涙も、言葉も一向に止まらない。
「うわ、あ……くーくん、ずるい、ほんと、そういうの、ずるい…!」
「…ふ、…そう言われても困る」
「っ、綺麗だよ……!くーくんは、私の知ってる何よりも…っ、綺麗だよ…っ!!今も、これからも、ずっとずっとその先も…っ、ずっと…っ!!」
「…あんたがそう言ってくれるなら、俺はそれでいいさ」
どんなにずるくて、どんなに汚くても。
それを珊瑚が望んで、それを珊瑚が綺麗だと言ってくれるのなら。
どんなにずるくて、どんなに身勝手だと言われても。
それをくーくんが望んで、それをくーくんが一緒に背負ってくれるのなら。
今も、これから先も、そのまた先も。
ずっとずっと綺麗なままであり続けられて、ずっとずっと自分らしく生きていける。
それが分かっているのなら、もう後は何も言わなくてもいいから…だからどうか一つでも多くと、大好きな彼のその首に珊瑚が腕を回せば、大倶利伽羅はその愛おしく綺麗な彼女に何度も口付ける。
そして、それがどれだけ続いたのかと言えば、それは…
「ちょ、!貞ちゃん!鶴さん!押さないで!!」
「やっべぇ!つい!!…って、うわ、鶴さん!!堪えて堪えて!!」
「すまん無理だ!!」
「「「わーーっ!!!」」」
「「…………………………」」
「「「あははー………っさようなら!!!!!」」」
ドサドサドサァ!!と、まるでドミノ倒しかのように後側の襖ごと倒れて床に伏せ、目が合った瞬間に笑って誤魔化して全速力で逃げていった伊達の刀を同じく全速力で無言で追いかけていった大倶利伽羅と。
驚いて起きてしまった伽羅助に謝りながら、それでも笑いが止まらない珊瑚と、いつの間にかそれに釣られた伽羅助の楽しそうな笑い声によって止められたのだった。
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