飛び散るもの



僕は燭台切光忠。
青銅の燭台だって切れる……うーん、やっぱり格好つかないからこの話はいいかな。

…うん、その話は置いておいて、今僕はとても窮地の状況に立たされているんだ。
何故かというと、それは今現在起こっている…いや、聞こえてくるこの会話が原因なんだけど…




「うわ…むっちゃんこれ…凄いよ…」


「最近ずっとやるのを忘れて放置しちょったきなぁ…」


「あーそっか…むっちゃんには良く出陣してもらってるもんね…ごめんね、今すっきりさせてあげるからね!」


「がっはっは!なんちゃぁない!ただわしが忘れちょっただけやき、気にせんでえいがよ!けんど、まぁ任せる!よろしく頼むっ!ほれ!」




凄いってなんだろう。
すっきりって何をすっきりさせるんだろう。
今日は非番でやる事がなくて、何となく鶴さんと廊下を歩いていただけなのに、ふと障子の前で手を伸ばしたまま立ち尽くしている伽羅ちゃんが目に入って、「どうしたの?開けないの?」って話し掛けようとしたら聞こえてきたこの会話。

何の話をしているんだろうと呑気に思っていた数分前の僕を僕自身が殴ってあげたい。
だってそうでしょう。聞く度に

あ、これはまずい

と思う内容の会話しか入ってこないんだから。




「じゃぁいくよ、そっといくよ」


「おお」




止めるなら今だよ、これは多分その、あれだよ。
止めるなら今だよ?今なんだよ。
でも直ぐに動けない言い訳を聞いて欲しい。

僕の隣にいる鶴さんでさえ「え」って顔をして固まってしまっているんだよ。
あの鶴さんがだよ?「こいつは驚きだぜ」とか言い出しそうなあの鶴さんが顔を真っ青にして固まってしまっているんだよ?
そんなの僕だって動けるわけがないでしょう?

第一に目の前の伽羅ちゃんが、そう、伽羅ちゃんが。
それ以上に顔を真っ青に…いや、真っ青どころか真っ白になってピクリとも動かないんだから。
彼の長い前髪が邪魔でその表情は見えないけど、確実にまずい表情をしているのは長い付き合いでなくても分かる。




「…おーーっ、ほ、ほ、!!はぁーーーーー…夢心地とはこがなことをゆうんかもしれんのぉ…!人の身を受けて知ったこの快楽はえいのぉ〜!!珊瑚〜…恩に着るぜよ〜…」


「あはは、分かる分かる。気持ち良いよねぇ〜」


「……入ったな」


「」


「鶴さんの馬鹿っ!」




あぁぁあ僕の馬鹿、馬鹿っ!!
この状況を頭の中でこうして整理している間にとうとう、あの、その…っ!これは入ってしまったやつじゃないか!!「快楽」って言っちゃったよ陸奥守くんが!普通に「人の身を受けたお陰の快楽」みたいな感じの事を言ってるよ何もそこまで正確に言わなくたっていいじゃないか!!!
どうしよう僕のせいだ、僕がこうなる前に伽羅ちゃんの代わりに障子を開けて止めてあげればこんな事にはならなかったかもしれないのに!未然に防げたかもしれないのにっ!

そんなことをこうして考えるのはもう後の祭りというやつだけれど、せめて僕に出来たのは隣で「入った」と小声で実況した鶴さんの横腹を同じく小声で「馬鹿」と言って思いっきり肘打ちした事くらいで、その実況を聞いてしまった伽羅ちゃんは一瞬指を動かしただけで何も言わない。




「…むっちゃんむっちゃん、やだ、大きいよこれ…待って、動かないでね…っ!」


「お?大きいか?おう!なら動かん!」


「よしよし、いい子いい子…!」




あぁぁあぁあぁあやめて主!陸奥守くん!!君達までそんな律儀に実況しなくていいからっ!!もう何も出来ない僕はそんな実況を聞いて生気を無くしていく伽羅ちゃんを見守ることしか出来ないんだからっ!!

いや、こんな事を脳内で実況している僕も大概だけど!でも!違うんだっ!
こうして僕も鶴さんも動けないのはきっと、僕達が刀で昔ながらのこういった事情を知っているから。
どういう事かというと、僕達の元の主もそうであったように、何もそういう行為をするのは1人に限定されていなかったってこと。

それは元は子孫を確実に残す為ではあるけれどね?!あるけれど!…いや結局は陸奥守くんは刀であるから人間である主と子孫なんて作れる訳はないし、何より主と唯一そういう関係である伽羅ちゃんだって刀なんだから子孫は作れる訳はない。
お互いそれを分かっている上で恋仲になってるんだ、だから主は伽羅ちゃんを心から愛してくれて、伽羅ちゃん以外を好きになることはないってことも分かっているよ。

だからまさか、兄妹のように仲が良いからといって陸奥守くんとこんな事をしてるだなんて思わないじゃないか!!
あぁぁあぁあぁあまた僕がこうやって自問自答している間にも伽羅ちゃんの魂が抜けそうになってる!今すぐあの悲壮感しか感じない背中を摩ってあげたい!!でも情けないことに足が全くもって動けない僕を許して欲しい!!




「……あっ、待っていけそう!」


「おー!いけいけ!」


「……い、イクのか…」


「…い……」


「?!鶴さんの馬鹿っ!!」





なんで?!なんで動かないの僕の足?!もうここまで来てるのに?!いや来てるから逆に邪魔しちゃいけないとか思ってしまっているのかな?!
もう足が動けないならあれかな?!また律儀に小声で実況しちゃった鶴さんの横腹を思いっきり肘打ち出来たこの右腕を使って障子ごと吹っ飛ばせばいいのかな?!
後で長谷部くんに何か言われるかもしれないけど!主に軽蔑されてしまうかもしれないけど!!

それよりも僕は主に遠慮して気持ちを押し殺して動けずにいるあの伽羅ちゃんの心の方が何倍も心配なんだよごめんね主!ごめんね陸奥守くん!!
今ここに貞ちゃんが居たらもっと動けなくなってただろうし!今日は確か貞ちゃんは鯰尾くんと午前中から手合わせをしている筈だから、もうとっくに終わって暇をしていても可笑しくないんだ!今すぐここを通ってきても可笑しくないんだ!もういくなら今しかない!!動け動いて僕の体!!




「鶴さんもう僕無理だよあの障子突き破るからね?!」


「光坊?!おま、正気か?!」


「だって僕もうあんな心が折れそうな伽羅ちゃん見たくないよ!見れないよ!それに今の時代を考えたら、やっぱり主もこういうのは伽羅ちゃんとだけにして欲しいよ僕は!」


「そ、それは…!ごもっとも、だが…!…っ、よし分かった…!俺も腹を括る!せーので突き破るぞ!」


「そうだね!!よし、じゃぁ合図するよ?!…せー…」






「?あれ…みっちゃんに伽羅に鶴さん…皆して突っ立って…何やってんだ?」






あ、僕はもう駄目だよごめんね伽羅ちゃん
相棒である子が来ちゃったよごめんね伽羅ちゃん。
なんてタイミングで来るんだろう今だけは君を恨みたいよ貞ちゃん…!!なんで、どうして?どうして来てしまうんだい?
今ここに君が居るなら僕は目の前の障子を突き破るなんてこと出来ないよ。
そんなことしたらまだあどけない君の目に、その…映るじゃないか今その障子の向こう側で起きているだろうその光景が!!!
出来ない…っ!僕にはもう出来ない…!何も出来ない僕をどうか許して欲しい…っ!!




「………貞、坊…お、おま…お前…」


「…?鶴さん?どうし」


「その手に持って、る物…」


「?主と陸奥守から頼まれたティッシュだけど?」


「……包んで捨てる為のか」


「鶴さんの馬鹿っ!!」





あ。終わったこれ。終わっちゃった。
もうどうしたらいいのか分からないよ僕。
え、何?主と陸奥守くんは貞ちゃんにそんな事を頼んだの?え、嘘だよね?僕の知っている主と陸奥守くんはそんな事をするとは思えないんだけど。
いやそれを言うならまず恋仲である伽羅ちゃんがいるにも関わらずそんな事をしている事自体が僕の中では解釈違いというか、有り得ない話なんだけど会話が会話だけにね?!それ以外に何があるのって話なんだけどね?

駄目だ、もう現実が信じられなくてもう僕泣きそう。ううん素直に今涙が頬を伝った。つー…って綺麗に伝った感覚があるもん。
ほら見てよあの何の疑問も持ってない純粋な瞳でティッシュの箱を持ち上げて首を傾げる可愛い貞ちゃんを。
それを見た伽羅ちゃんのいつもは伏せがちな瞳がこれでもかってくらいまん丸になってる様を。

僕にまた肘打ちされた鶴さんの元から白い肌が白を通り越して何だかもう透明に見える様を。
あぁそうだねもう僕も透明になって消えてしまいたいよ。
もうそれなら皆でお揃いのこの金色の瞳を瞑ってしまわない?ねぇそうしよう?

そう思った僕がスっと目を閉じようとした、その時だったんだ。
微かに絞り出したように、震えているけれどいつも聞き慣れている伽羅ちゃんの声が聞こえたのは。




「っ…!!俺には無理だ…」


「…伽羅ちゃん…?」


「珊瑚が望んでいるなら、俺は…受け入れようと、思った……だが、それでも俺は…っ!!」


「か…伽羅坊…!そうだ…そうだそれでこそ「男」だ!あぁ!それでいいんだ!」


「え、え?悪い、皆で本当、何の話を…?」


「知らなくていいんだよ貞ちゃん。僕と一緒に外を見てよう?ほら見て中庭の花が綺麗だよ」


「え、え?ええ?」




この状況を必死に受け入れようとしてたんだろう、心が折れそうになっても、それが主の…大好きな1人の女性が自ら望んでいるならと、受け入れようとしたんだろう。
でもそれが出来なかった伽羅ちゃんの心からの叫びを聞いた僕と鶴さんはそれに強く頷いて、何かを言おうとしていた貞ちゃんの体を無理矢理に障子とは真逆の方向を向けさせた。

僕達は主の刀。
主がそれを望んでいるなら、それに従うべきだ。
それは分かっているけれど、伽羅ちゃんと一緒にいる時の幸せそうな主の笑顔を知っているし、主と一緒にいる時の伽羅ちゃんの穏やかな表情を知っている。
それが何よりも好きだからこそ、従えない時だってあるんだ。

動けなくてごめんね伽羅ちゃん。
でも君がそうやって心からの素直な気持ちを漏らしてくれたから、僕も鶴さんもやっと動けるようになったよ。
さぁその障子を開けて、止めるんだ。
止めて君の素直な気持ちを主にぶつけておいで。
あぁ…伽羅ちゃんの気持ちを聞いたら強気になったのか、中庭の花も強く凛々しく咲いているように見える。

そんな事を僕が思って直ぐに、勢いよく開かれたんだろう障子のスパン!という音が良く耳に響いた。





「止めろ珊瑚!!!!」


「わぁぁぁあ?!!?!え、な、なん、何?!!くーくん?!ど、どうしたの?!」


「どわああぁぁぁあーーーっ?!!!?!」


「俺は!!俺はあんたがどう思っていようが、俺には無理だ!!あんたとそういうことをするのは俺だけにして欲しい!!俺も「男」だ!!自分の女が他の男に………そう、………い、う………こ…?」


「ご、ごごご、ごめんむっちゃん!!え、大丈夫?!驚いて凄いずぼっ!!って入っちゃった!!!」


「大丈夫なわけないろう?!?!いっ、いった、痛ァ?!なんじゃぁ大倶利伽羅!!いきなり!!耳掻きに鼓膜を突き破られるかと思うたぜよ?!!!!」


「………は?」


「「え、耳掻き?」」




勢いよく開かれた障子の音のすぐ後に聞こえた伽羅ちゃんの心からの素直な叫び。
それを聞いたはいいものの、その後直ぐに聞こえた驚いた様子の主と陸奥守くんの言葉を聞いていく内に、何かが可笑しいと悟った僕と鶴さんが一応と思って塞いでいた貞ちゃんの目から思わず手を離して振り返った先にあったのは…


主の膝元で耳を抑えて涙目で足をばたつかせている陸奥守くんと…





目を丸くして、何度も瞬きをしながら耳掻きを手に持ったままの主の姿だった。






「え、え?何?も、もしかしてくーくんも耳痒かった…?耳掻き、す、する…?え、刀剣男士にとって耳掻きってそんな独占するくらいあれなやつだった…?!私の知識不足…?ご、ごめんね…?!」


「そんなわけないろう?!べこのかあ…!!大倶利伽羅の、べこのかあ…!!わしの耳…!!もう何がどうなっちゅー…?!」


「あーあー折角ティッシュ持ってきたのに!それ飛び散ってないか?てか、本当にさっきからみっちゃん達はなんでそんなに慌てて………って、伽羅?」


「っーーー!!!……散れ……っ、もういい、全員この場から散れ…俺が…悪かった…っ!!」





今までの苦悩はなんだったのか。
真相が分かった途端に、面白いくらい今までの主と陸奥守くんの会話の内容がちゃんと「耳掻き」をしている時の物だと変換された僕は恥ずかしさのあまり眼帯をしていない方の目を片手で覆ってしまう。

その目を覆う前に見えたのは、役どころを見失ってしまった哀れなティッシュをテーブルに置いて…掃除機を取りに行った貞ちゃんと。
そんな貞ちゃんから声を掛けられても上手く返答出来ずに絞り出したような声で「散れ」と言って、崩れ落ちるかのようにしゃがみこんで頭を抱えている伽羅ちゃんの…僕達の近侍の何とも言えない姿だった。




「……飛び散った耳カスだけに「散れ」ってか」


「…鶴さんの馬鹿……」




そしてそんな状況を早く終わらせたくて。
きっとしゃがみこんで俯いているあの顔が見えなくても絶対に真っ赤なのだろう事が分かる…そんな伽羅ちゃんがあまりにも不憫で。
僕はさっきまでずっと動かなかった筈の足で、また余計なことを言った鶴さんの足を思いっきり踏みつけた。



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