気遣い




屋根の上で寛いでいるのだろう、チュンチュンと何羽かの雀の鳴き声が聞こえる下で、座布団に座ってお茶を飲んでいた陸奥守は目の前で如何にも「言いたいんだけど言うのは恥ずかしい。でも言いたい」といった雰囲気をこれでもかと出している珊瑚を何も言わずに見守っていた。

それが分かっていて声をかけない理由としては、本当に言いたいのなら自分から言ってくるだろうし、最終的に言えなくてもこちらが聞き出せば話すのだろうから無理に声をかける必要もないと判断したからだ。





「……あの…ねぇむっちゃん、一つ助言が欲しいんだけど…」


「…お。ようやっとか。何や?そがに改まって」


「あはは……えっと…実はね…その…くーくんとの事なんだけど…」


「ん?」


「……面白いくらい何も無い」


「は?」




助言が欲しい。
そういうものだからてっきり男が喜びそうなことはなんだ、とかそんな程度のものだと思って返事をしたはいいが…あろう事かそれがまさか「何も無い」だとは思っていなかった陸奥守は拍子抜けして豆鉄砲を食らった鳩のような顔をしてしまう。
確かに鉄砲は好きだが豆鉄砲が好きだとは言っていないぞ、と一瞬頭に過ぎるものの、どうやらそんな事も思っていられないようだ。
目の前で机に突っ伏して、ずーーーーーーん…と項垂れている珊瑚に何と言えば良いのか考えなくてはならないのだから。




「……おまんら恋仲になったんちやな?わしは勘違いしちょらんな?」


「なった、はず。てかそのはず。…えっとね…なんて言うか…その…あれなんだよ…くーくんが何もしてこないとかでもなくて…いや、何もしてこないというか何もしてこないのを私も何も言わずにそうさせてるというかなんというか…」


「はぁ…?訳分からんき!もうはっきり言うてくれ!」


「うっ…だ、だってくーくん馴れ合うの嫌いじゃん…?!それなのに私がその…あれよ…!あのっ、イチャイチャしたいとか言えないじゃん?!」


「?いちゃい…?な、何やって?」




未だに恥ずかしいのか、頬をほんのりと染めて少し俯き気味で手遊びをしながらぼそぼそと話す珊瑚に痺れを切らせた陸奥守がもうはっきり言ってくれと言えば、珊瑚は意を決してある言葉を口にする。
大倶利伽羅が馴れ合うことを嫌っているのは説明されなくても分かっているし、大体そんな事は今更な話であるので理解はしたが、陸奥守が理解出来なかったのはそのあとの言葉だった。


イチャイチャ、とは何のことだろうか?と。


普通の人間ならそれが当たり前のように分かるのだろうが、江戸の時代ではそんな言葉を聞いた事がなかった陸奥守には珊瑚が言ったその説明が分からなかったのだ。
そして、それを珊瑚も理解したのだろう、それなら…!となるべく陸奥守に伝わるような言い回しはないか…と先程よりも赤くなった顔で考え始めたので、それを待つことにした陸奥守は湯呑みを傾けて口へと運ぶ。




「…ち、……」


「…んぐ?」


「乳繰り合う的なっ?!」


「ブボォオオォッ!!!」





陸奥守の口へと流れていた筈のお茶は、鍛え上げられた機動の高さもあってか咄嗟に庭へと方向を変えた陸奥守のお陰でそこら辺の草花に降り掛かる。
まぁその、なんだ…ここに鶯丸がいなかったことだけが救いなのだろう。居たら最後「君は馬鹿なのかい?」と青筋を浮かべながら笑顔で刀を抜かれていたかもしれない。
でも別に良いじゃないか。上等な茶葉なのだからきっと草花も喜んでいるだろう、そう思いたい。

とかなんとか思って現実逃避をしてしまったのは、こんな事をしてしまった原因である珊瑚の言葉があまりにも直球過ぎたからだ。
確かに先程の言葉の意味が分からなかったのは申し訳ないが、だとしてもあの言葉は流石にないだろう。





「っ、ゲホゲホッ!!…っ!!おま、…っ!おまんなぁっ?!確かに分からざったわしも悪いけどな!なんぼ何でも流石にその言い回しはないろう?!」


「だ!だって他に何て言えばいいか分かんなかったんだもん!仕方ないじゃん?!」


「なんぼでもあるろう!?「睦み合う」とか!」


「睦み合うって何?!そんな小難しい言葉分かんないって!」


「乳繰り合うよりは明らかにそれらしい表現や!大体な!おまんは女子なんやきそがな激しい言葉はあまり使わ………ん?いや…女子にしては…あれか…歳が…」


「?!まだこれでも20代なんですけど?!気にしてるんだからそれ言わないでくれる?!もう!むっちゃんの馬鹿!デリカシー無さすぎる!!」


「デリ…?で、でっかい尻…?」


「でかい尻なんて言ってないでしょ!あーもう!兎に角!そういう訳で!くーくんの嫌がることはしたくないから甘えたりしないんだけど本当はやっぱり甘えたくて我慢の限界なんだってことなの!……!!そうか乳繰り合うじゃなくて甘えたいって言えば良かったのか!!!」


「今更じゃ!!!」





乳繰り合うやら睦み合うやらでかい尻やら。
明らかに昼間のこんな場所で言うべきではない、粟田口派の刀剣達には絶対に聞かせられないようなその言葉の数々を大声で言い始めてしまった珊瑚と陸奥守は状況も状況だけに一切周りが見えていないようだ。
そう、だからすぐ横にその言い合いになった張本人である男が黙って立っていたとしても全く気づくことが出来ないのだから。





「というかそれだけはっきり言えるなら今から大倶利伽羅を探して直接「乳繰り合いたい」っ言えばええんやないがか?!」


「今さっき「睦み合う」って教えてくれたのどこの誰よ?!大体「甘える」で通じるんでしょ?!というかそんな事くーくんに言えるわけないでしょ恥ずかしいっ!!きっと今頃はカッコ良く鍛錬とかしてるよ!!」


「俺はここに居るが」


「「わーーーーーーーーっ?!!!?!」」





突然真横から聞こえた、特に聞き慣れた声に驚いた珊瑚と陸奥守は大声を出してぴょーーん!!と揃って飛び跳ねると思わずお互いを抱き締めてズザザザザ!と勢い良く後ろへと下がって思いっきり襖へと背中をぶつける。
しかしその痛みで目の前にいる男が、この本丸内で一番聞かせたくなかった相手で、尚且つその張本人で、尚且つ絶対に聞かせてはならない相手だと即座に理解したのだろう。
あわあわとした様子で先程マシンガンのように言葉を発していた口をぱくぱくと開けたり閉じたりしている。





「お、おお、お、大倶利、か、伽羅!い、いつからそこに…!」


「遠征から帰ってきた奴らの報告書を届けに珊瑚を探していた。…だが、あんなに大声で話していれば探さなくても嫌でも聞こえる」


「…ほ、他に誰か…!」


「いや、幸い俺以外の奴らは近くに誰もいなかった。これ以上耐えられない言葉を発せられると面倒だ…陸奥守は席を外せ。俺は珊瑚と話がある」


「お、おお!そそそ、そうさせてもらうぜよ!またな珊瑚!」


「え、ええええええ?!!待ってむっちゃ、……はっ、?!」




呆れたような表情で額に手を添えてそう言った大倶利伽羅の言葉にこくんこくんと勢い良く首を縦に振って了承した陸奥守は未だにあわあわしている珊瑚の頭を一度だけぽん、と叩くと後は任せた!と走っていってしまった。
しかも陸奥守のことだ、きっとこの後人払いならぬ刀払いまでするつもりなのだろう。

つまり珊瑚は…女子ならぬ発言を大声で繰り返していた珊瑚は一番聞かれたくなかった大好きな相手である大倶利伽羅と二人きりになってしまったということだ。

これはまずい、絶対に呆れられた。
なんて下品な女なんだと思われてしまったかもしれない。
ただでさえ朝昼晩と蜜柑を食べて女子らしさなどあまり見せていないのに、あんな事を聞かれてしまうなんて…一体全体本当にどうしてくれる!
…と、思いながらもまずは取り敢えず謝ろうと恐る恐る大倶利伽羅へと顔を向けた珊瑚だったが、その顔がいつの間にかかなり近くにあったことに驚いて身を強ばらせてしまう。





「…はぁ…珊瑚」


「っ…!は、はいごめんなさい…!」


「そういう事ならこれからはちゃんと言え」


「え、」




いつの間にか。
ぎゅ、と珊瑚の強ばらせていた体を抱き締めてくれていた大倶利伽羅は意図も簡単にその強ばりを解いてしまった。
拍子抜けしたかのように変な声を出してしまった珊瑚のその声に少し笑った大倶利伽羅はまるでそれを誤魔化すかのように優しく珊瑚の頭を撫で始める。

その感触でやっと自分が彼にされている事を理解出来たのか、みるみるうちに顔を真っ赤に染め上げていった珊瑚は何も言えず、それでも心の底から嬉しくておずおずと両腕を大倶利伽羅の背中へと回す。




「あぁ。それでいい」


「!っ…う、うん…!」


「…あんたに気遣えなくて悪かった…」


「え、あ…!う、ううん!そんな事ない!それに、その…!くーくんがこうして傍に居てくれるのが本当に嬉しいから…別に無理して気遣いとかはしないでいいよ…?!」


「…いや、そうじゃない」


「え?そ、そうじゃないって何…?」




そうじゃない。
大倶利伽羅の言ったその意味が分からなかった珊瑚が顔を上げたと同時に振ってきたのは、それに対する返事ではなかった。
振ってきたものが自分の唇に触れ、その感触が離れていってからやっと彼からキスをされたのだと言うことに気づいた珊瑚はこれでもかと目を見開いて…いや、どちらかと言うとぎょ、と目を丸くしてしまう。

そして、そんな珊瑚に追い打ちをかけるかのようにその頬に手を添えた大倶利伽羅は睫毛が当たるか当たらないかギリギリの所まで再度距離を詰めると、呟くように先程の言葉の本当の意味を口にした。





「俺は、自分自身に気遣っていただけだ」





俺も男なんでな。
そう言ったすぐ後に再度振ってきた彼の唇はとても熱くて。
一度でなく、まるで今までの分を取り返すかのように数えきれない雨を振らせてきたことは、珊瑚にとっては二重の意味で救いだった。

一つは、その数だけ口下手な彼からの愛を感じられたことと、
もう一つは、口から飛び出そうな心臓を彼が蓋をするように止めてくれたこと。




BACK
- ナノ -