馬刺し



紬の本丸に来てからそこそこ経った気がする。
経った気がするのに、未だに一度も出陣させてもらえないのはどうしてだろうか。
ただでさえこの本丸は第一部隊も決まった刀剣がいるわけではないし、出陣だって出たい奴らが順を決めて紬に許可をもらう。

それを紬本人に確認した時に「俺も出る」と言っておいた記憶があるのに、何故かいつまで経っても自分の番が回ってこない。
自分や南海先生、陸奥守もその番が回ってこないのなら納得がいくが、なんとまぁついこの間あったばかりの出陣は南海先生が出ていたのだから納得なんていくわけがない。





「肥前、そう怖い顔するんやないぞ…馬が怖がっちょるき」


「…………」




いくら待機していても、回ってくるのは畑当番や今こうしてやっている馬当番。
順番なら確かに仕方のないことだが、それにしたって食う専門だと言っているのにも関わらず、こういう当番だけはきちんと回ってくるのが嫌味にしか感じられずにイライラするし、正直落ち込みもする。

自分は何の為にこの本丸に来たのか。
これなら政府に直接使われていた時の方が、もしかしたら自分は…………




「…………………」


「肥前、ひーぜーん、」


「………」


「……聞こえていないようだね…」




そんな風に考えそうになって、ギリギリでその先を考えることを踏みとどまっていた肥前は永遠と馬にブラッシングをしながら、近くにいる陸奥守や南海先生の声など全く聞こえていなかった。

そんな肥前の様子を見て、何となく悩んでいる事が分かっていた陸奥守と南海は一度お互いの顔を見合わせると揃って頷き、2人して肥前の焦げ茶と赤の髪をぐしゃぐしゃに掻き回し始めた。




「だぁっ?!っ、んにすんだてめぇら!!」


「肥前くんが話を聞いてくれないから」


「はぁ?!何を!!」


「馬が怖がっちょるゆうとるのに、肥前は主のことばっか考えとってわしらの話を聞かんのが悪い。そがに気になるっちゅーなら、直接本人に聞いてみればえいがよ」


「……っ………聞けるわけねぇだろ……」





本人に聞いてみればいい。
やっと話を聞く体勢になった肥前に言った陸奥守の言葉は、確かにその通りだった。
普通に考えれば「どうして出陣させてもらえないのか」と聞くのが一番手っ取り早い方法。
普段の肥前なら真っ先にその方法を選ぶだろうことは安易に予想が着く。
寧ろ選ぶも何も、方法等ということを考える前に本能で行動していただろう。

でも、それでも肥前がそれを聞けないのは色々と思っていることがあるからで、その理由までは何となくしか察せない陸奥守と南海はお手上げ状態だった。
そんな2人が再度お互いの顔を見合わせて文字通りのお手上げポーズをしてしまえば、こちらも再度また1人の世界に入っていってしまった肥前が黙り込んでしまう。




「ひーぜーんー」


「…………」


「うん。駄目だね。お手上げだ」


「まっこと仕方ないのぉ……」




念の為もう一度声を掛けてみようと試みた陸奥守だったが、やはり肥前からの返答はなく、どうしようもないな…と判断した2人はある行動に移るために全くこちらに気づかない肥前を残してその場を去っていってしまう。

そして暫く経ち、肥前がやっと陸奥守と南海がいないことに気づいたのは、何といつの間にか苦しくなっていた自分の器官が詰まる感覚のせいだった。
突然の事に、何だ急にと自分の喉元を確認すれば、そこにはピンと伸びた自分に巻かれている筈の包帯が一直線に馬の口元に向かっているのが見え、慌ててそれを掴んでも一向に馬はそれを離してくれない。

助けを呼びたくても陸奥守と南海は知らぬ間に何処かに行ってしまってその場にいない。
しかし無理矢理引っ張って包帯が破けたりしてはそれも面倒。




「っ…!お前!離せっ!」


「グルルル…っ、」


「はな、せ…っつーんだよ!…はぁ、!ったく!…くそ…めんどくせぇ…!!てめぇもその身を剥いで馬刺しにして食ってやろうか…!!?」




確かに破けたりしたら面倒なことになるが、それよりも息苦しさの方が何倍も今の肥前にとっては一大事で、結局無理矢理引っ張った事で見事にその息苦しさからは解放されたものの、やはり包帯は無惨にもビリビリに破れてしまう。

これでは長さが足りずに隠している物がチラチラと見え隠れしてしまう…と虚しく地面に落ちた包帯の残骸を見つめ、ため息をついた肥前は取り敢えずの応急処置としてフードを深く被り、紐をきつく締めて首元を隠す。
これで本当に隠せているのかは謎だが、しないよりはマシだろう。

こうなってしまった原因の馬に対して馬刺しにしてやろか等と言ってしまったが、それは多分自分が同じ場所を永遠とブラッシングしていた事に腹を立てたのだろうと推測した肥前は怒りをぶつける場所もなく、ただ深いため息をつくことしか出来なかった。




「…っこんな状態で馬の世話なんか出来るかよ…つか何処に行きやがったあいつら…!」


「え。肥前くん、どうしたの?馬小屋でフードなんか被って…」


「っ?!お前…!なんで…っ?!!」


「?あ、あれ…?陸奥守と南海先生から「肥前が話があるらしい」って言われたから来たんだけど…」




馬のことは後回しで、取り敢えず早く自室に戻って新しい包帯に変えなくてはと肥前が急いでその場を後にしようとした時だった。
こうなる原因の更に原因だった紬の声が聞こえた肥前は目を丸くして驚くものの、咄嗟に首元を手で隠してみせる。

そんな肥前の行動に疑問を持った紬が再度話し掛けてきた言葉で陸奥守達がいなくなった理由を悟った肥前だったが、それに対して怒りが沸くよりも先に沸いてきたのは、今すぐこの場を去りたいという焦りだけだった。
しかし、そんな事など紬が知るはずもなく、「心配」の気持ちで伸ばされたその手を肥前は思いっきり叩いてしまう。




「俺に寄るなっ!!」


「っ、いった…!」


「!わ、悪い……っ、でも今は放っといてく……れ……」




パシン!と勢いのいい音がしたと同時に聞こえた痛そうな声で自分が何をしてしまったのか理解した肥前は慌てて紬に謝るが、それでもやはり今すぐにでもこの場を離れたいという気持ちで顔を青ざめながらと言葉を続けようと、一瞬だけチラリと目の前の紬の顔を見た。

しかしそれは一瞬では済まなくなってしまったのだ。
目の前の光景に目が釘付けになって、焦りで細められていた瞳はゆるゆると大きく見開かれてしまう。




「………わ、悪い…そんなに強く叩くつもりは…っ、」


「っ…………」




ぽろぽろ、ぽろぽろと。
泣いているのだ。自分の主が、目の前で。
透明な大粒の涙を溜めきれずに零して…それでもその瞳はまるで満月のように丸く見開かれたままで。

そんな目の前の光景に、肥前は思わずぐちゃぐちゃに入り交じっていた沢山の思考が止まり、それでも尚止まらずに動いていたのは後悔と罪悪感。
守らなければならない相手を泣かせる刀が、一体何処にいる?

例え使ってもらえなかったとしても、刀としての役目を果たせてもらえなかったとしても。
それでも刀である以上、自分は今の主である紬を守らなければいけないのに。

暫く何も言えずに、ぽろぽろと涙を零し続ける紬をその赤い瞳に映して段々とそんな事は頭の中で考えられるようになったのに、肝心の「言葉」が何も出てこない。
人の身を受けたのに、そんな事も出来ないだなんて。



そんな、そんな事は思えていた。
思考回路がギリギリの脳内で、そんな事は考えていられたのに。




「ひ、ぜん………くん…、」


「…っ…?」


「っ…………」


「………は………っ、?」





全部、全部。
その全部を全て遠い遠い何処かへ消し去ってしまったのは…全身に突然感じた、優しい人肌の温度と。




「……く、び……!」




耳から脳に伝わった、「見られてしまった」という残酷な言葉だった。



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