焼きおにぎり




「…何してんだあんたら」


「おお、肥前か。腕立て伏せだ」


「そりゃ見てりゃ分かんだけどよ、問題はあんたの上だよ」


「脚を伸ばすストレッチ。あーっと、運動!」


「何でだよ」




あの夜の後、妙に焦っている紬から半ば無理矢理に耳栓を渡された肥前は何とか無事に就寝する事に成功し、あの時言われた通りに陸奥守達と畑仕事を終えた所だった。
ただでさえ自分は食べる専門だと言っているのに、水やりやら害虫駆除やらやらされたお陰ですっかり疲れきってしまっていた。
後片付けは眠れなかった原因の陸奥守と抜け駆けをした南海に押し付けたはいいが、どうにも空腹に我慢出来ず燭台切光忠を探しに本丸内を歩いていた時に偶然通りかかった鍛錬場で有り得ない光景を見て思わず声をかけてしまったのだった。




「これね、凄く効率が良いんだよ〜祢々切丸は鍛錬になるでしょ?んで、私もストレッチが出来るわけ」


「いやだからそれが意味わかんねぇんだって」


「腕立て伏せをしている我の上に主が乗ることで我に負荷がかかる。そして主は我の上に乗ることで重心に負荷がかかって効率が良くなるという寸法だ」


「「これぞまさに一石二鳥」」


「馬鹿じゃねぇの」





肥前が見た有り得ない光景。
それは今、祢々切丸と紬が説明した通り、腕立て伏せをしている祢々切丸の背中に座って脚をピンと前に伸ばしている紬の姿があった。
上下に揺れる祢々切丸の上に乗ったまま器用にバランスを取りながら平然と会話をしてくる辺り、どうやらこの光景は日常茶飯事の事なのだろう。

そんな紬と祢々切丸に素直に「馬鹿じゃねぇの」と心の声を漏らしてしまった肥前だったが、正直それよりも今は腹が減っている方が何倍も気になって、もうこの場は無視して燭台切を探そうと止まっていた足を動かそうとしたその時。




ぐぅぅうぅうぅ………





どうやら漏れてしまったのは心の声だけでなく、腹の虫まで漏れてしまったようだった。
盛大に鳴ってしまったその音を聞いた祢々切丸は思わず腕立て伏せを停止させ、紬も伸ばしていた脚を戻して無言でその音を鳴らした刀剣男士を見る。




「「「………………」」」


「………ひぜ、」


「っうるせぇな腹減ってんだよ!ったく!俺は食う専門であって畑仕事なんか向いてねぇんだって!」


「っ、ふ、ふふふ…!それはそれは、ごめん…っ、でも人数的にも中々回ってこないだろうし、当番だからその時は我慢してね?…っ、ふふ…!」


「っ…分かったよ!つかいつまで笑ってんだよ!」


「あはは!ごめ、いや…!肥前くんは本当に可愛いなぁと思って…!ふふ、!」


「っ、はぁ?!」





数秒続いた沈黙に耐えられなかったのか、或いはその場を早く誤魔化したかったのか。
いや、寧ろどちらもな気がするが、祢々切丸から名前を呼ばれかけた肥前はそれよりも先に反応し、少しだけ頬を染めて怒鳴ってしまう。
すると、そんな肥前が可愛く見えてしまったらしい紬の笑いながら言ったその言葉で更に声を荒らげた肥前がその場を離れようとするが、それはいつの間にか傍にいた自分よりもガタイの良い男に顔からぶつかって止まってしまった。





「ぶふ、!?っ、んだよ誰だよ!」


「おっとぉ!?肥前か!あー、悪い!両手が塞がってたもんでな!」


「あ。日本号が持ってきてくれたの?ありがとう!」


「おう!そこでばったり燭台切に会ったからな!何でも今日の夕飯の仕込みが長引きそうだからって代わりに持ってくように頼まれてよ。…っと、今日の差し入れはこいつだそうだ」


「お!焼きおにぎりだ!…ふふ、肥前くんも食べなよ!いつも燭台切は多めに作ってくれてるから!」


「っ………………食う」


「素直でよろしい!」





肥前の目の前に現れた日本号の手にあったものは、どうやら紬の話を聞く限り、鍛錬の差し入れらしく、それは肥前が探していた燭台切お手製の焼きおにぎりらしい。
そんな明らかに美味しい匂いが漂ってくる物を前にしては、流石の肥前も空腹には適わなかったのだろう。
再度鳴りそうな腹の虫を抑えつつ、紬の誘いに静かに頷くと、日本号からその焼きおにぎりをもらってかぶりついた。

味噌と醤油の香ばしい香りと、畑仕事ですっかり疲れた体に染み渡る絶妙な塩気は空腹だった肥前にとってはいつもの何倍も美味く感じ、思わずじーん…としてしまえば、「美味いだろ?」とその隣にいた日本号に問いかけられて素直に頷いてしまった。
そんな肥前の様子を見て微笑んだ紬は祢々切丸の上から降りると「私も食べたい」と日本号から焼きおにぎりをもらい、半ば無理矢理肥前をその場に座らせて自分もその隣に腰を下ろす。





「…なんだよ…」


「いいからいいから!せっかくの機会だし、皆で楽しい話をしよう!何がいい?」


「酒の話はどうだ?」


「えー?それ最終的に銘酒買ってーって話になるから却下!」


「あっちゃー、バレちまったか」


「山の話はどうだ?」


「山かぁ…肥前くんは好きな山ある?」


「あるわけねぇだろ」





せっかくの機会だからとの紬の提案でその場の皆は燭台切が作ってくれた焼きおにぎりを頬張りながら他愛もない話を始める。
山の話や温泉の話、そして結果的に良い山の湧き水で作った酒は美味いんだとという話にもなってわいわいと賑やかになっていく中、正直言ってあまりその話題達に興味が持てなかった肥前はふと隣で楽しそうに話す紬の顔を見る。

笑っているが、その顔は昨晩見たような大人びた笑顔ではなく、年相応の無邪気な雰囲気で、肥前は思わずそういえば…とあの時の紬の突然の慌てようを思い出してしまった。
今ではまるであの時の事が無かったかのようにケロッとしているが、もしかして彼女は何か隠している事でもあるのだろうか?
この本丸に顕現したての事もあって、自分はまだ主である紬のことを殆ど何も知らない。





「………ん?…あ。ヤバいかも。直ぐに洗濯物取り込んだ方が良いよ」


「お?マジか。なら歌仙に伝えた方が良さそうだな」


「?何で急にそんな事言い出すんだよ?」


「雨の匂いがしたからだな。…うむ、確かにこれは時期に降ってくるだろう」


「雨の匂いだぁ?」





隣で笑っていた紬を見て、こいつはどんな奴なんだろう…と考えた肥前の思考を止めたのは、そんな紬が発した一言だった。
その後説明を受けても、雨の匂いだなんて分からない肥前は首を傾げるが、ちらりと空を見れば確かに遠くの方に暗い色をした雲が広がっているのを確認して、それが当たっているのだろうことを察する。

しかし、こんな今時の娘が雨の匂いを嗅ぎつけられるというのは何処か違和感がある…と肥前がその理由を聞こうと口を開けば、それより先に紬の口が開いた。





「らいさま来るかなぁ?」


「どうだろうな…あまり酷くならなければ良いのだが」


「…らいさま?らいさまって…もしかして雷の事か?」


「そうそう、雷の事。よく分かったな肥前」


「まぁ何となく……つか日本号、お前何ニヤニヤしてんだ?」


「っ、いや、何でもねぇよ、…ふっ、…何でも。なぁ主」


「え?私も日本号が何で笑ってるんだかわか…………っ、!は…っ?!」





肥前が話すよりも先に、紬が言ったその言葉は「らいさま」という言葉で、それは肥前が予想した通り雷のことだった。
それくらいなら考えなくても何となくの感覚で分かるだろうと聞いてきた日本号に答えるが、そんな日本号は何故か笑いを堪えるように肩を僅かに震わせており、その近くにいる祢々切丸も何とも言えなさそうな表情で紬から目を逸らしてしまっている。

その様子が可笑しくて思わず振り向いてしまった肥前の目に映ったのは、日本号に少し話を振られてから徐々にその顔を凍らせていった紬の顔。
それは昨晩肥前が見たものと同じものであり、あ。またあの反応だ、と肥前が思った時には紬はあわあわと慌てて「私が歌仙に伝えてくるー!!!」と物凄い早さで走り去ってしまった。

そんな紬の姿に、なんだなんだと訳が分からない様子の肥前を見ていた日本号はその肩をぽん!と叩くと未だに笑いを堪えながら口を開いた。





「っ、ま、まぁその内あれが何なのか分かると思うから安心しな…!」


「はぁ?何なんだよ…昨日もあんな感じだったけどよ」


「主はもう肥前に口走ってしまっていたのか…」


「?だから何を…?確かに聞き慣れない言葉を言ってた気がするけどよぉ」


「っ…!!!ま、まぁその内分かるって!今は知らない振りしといてやってくれよ、な?」


「?…よく分かんねぇけど…分かった」





日本号と祢々切丸の妙な答え方に疑問を持ちながらも。
「その内分かる」と言われた肥前は複雑そうな表情をしながらも静かに頷く。
静かに頷けたのはそれが決して怪しいものだとは思わなかったからかもしれないが、複雑な顔をしてしまったのは心のどこかで紬のことをもう少し知りたかったと思っていたのかもしれない。



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