鮭茶漬け





「ぐがぁーーーー…」


「…………っ……うるせぇぇぇ……っ!」




不本意ながら、散々本丸内にほぼ丸一日ツッコミを響かせてしまった肥前はその疲れとは裏腹に布団に横になってその切れ長の目をパッチリと開けてしまっていた。
開けてしまっていた、というよりも、閉じたところで夢の中に入れなかったのだ。
何故かといえば、それは今日から同じ部屋になった陸奥守のいびきがとてつもなくうるさいからだった。

正直これが毎日続くのかと思うと地獄すら感じるが、果たしてこのいびきに自分は今後慣れる時が来るのだろうか?
大体何故南海はこの地響きのような陸奥守のいびきの中ですやすやと寝ていられるのだろうか?

眠れない事で、色々な事を考え始めていた肥前がそう疑問に思って左隣の南海をじ…っと見つめてみれば、ある事に気づいて思わずガバッ!と起き上がる。




「っ………先生ぇぇ…っ!!!」




思わず起き上がってしまった肥前のこめかみにビキ…っと青筋が浮かんでしまった理由。
それはふと目に入った南海先生の長い髪の隙間から見えた、耳栓だったのだ。
どうりでこの陸奥守のいびきの中でもすやすや眠れているわけだ。
こうなる事を予測していたかのような準備万端な南海に「何で俺のは用意してくれねぇんだ先生」等と声に出して呟いてしまうが、それは今も尚続いている陸奥守のいびきで無惨にもかき消されてしまう。




「…………どう考えても無理だ寝れねぇ」




…駄目だ、もう駄目だ。
こんな空間で眠れるわけが無い。
自分の分だけ耳栓を用意した薄情者だとしても、流石にすやすやと眠っている南海先生を起こすのも正直忍びない。
本丸を案内された時に随分の数の刀剣が居たのを把握しているし、それなら陸奥守のようにいびきが酷い刀剣だって他にもいるかもしれない。
それなら他にもそれに困って対策をしている刀剣だって居るのではないだろうか?

そう考えた肥前は、誰か…誰か起きてないか…とイライラを何とか抑えつつ、布団から飛び出して腹を出している陸奥守を足で蹴って元の位置に戻してやると、襖を開けて部屋から抜け出した。
その後、陸奥守のいびきが完全に聞こえなくなる距離まで移動すると、やっと長い長いため息をつけた。
凄い、本当に物凄い開放感だ。普段は何も思わない月でさえも今だけは自分を祝福しているかのように物凄く綺麗に思えてくる。何て滑稽なんだろう。





「…あ?」




肥前がそんな嫌味な事を考えて項垂れていれば、ふと通りがかった炊飯場から灯りが漏れている事に気づいて思わずそちらに目を向ける。
するとそこには、こんな夜遅い時間に野菜や果物をガガガガガ!とミキサーにかけている、大きめのパーカーを着たラフな格好のこの本丸の主の後ろ姿があった。
それが終わったと同時に、やっと肥前の気配に気づいたらしい紬は空のグラスを片手に持ったまま後ろを振り返った。




「あれ?誰かと思ったら肥前くんじゃん。どうしたのこんな夜中に…」


「それはこっちのセリフだけどよ…それよりも頼む…頼むから…」


「ん?」


「耳栓持ってねぇか……」


「は?」



















「あはは!あはははは…っ!そりゃ災難だったね!ごめんごめん、そういえば忘れてた!うちの陸奥守はいびきが酷いんだった…!あははははは!げっそりした顔してるから一体何事かと…っ!ふっ、あはははははは!」


「笑い事じゃねぇんだよ!つか知ってんなら先に耳栓渡せや!」


「ごめんって!ふふふ…っ!鮭茶漬け美味しい?っふふ、」


「っ、美味えよ!!!」





紬が肥前から突然耳栓を求められた数分後。
そこにはスムージーを飲みながら未だに笑い続けている紬とお茶漬けを食べながら怒っている肥前の姿があった。
肥前から訳を聞いて、そういえばそうだったと耳栓を用意しておきながらそれを肥前に渡すのをすっかり忘れていた紬は、そのお詫びを兼ねて肥前に夜食を作ったのだった。

と言っても即席で作ったものなのであまり凝ることは出来なかったのだが、怒りながらも素直に「美味い」と言ってくれた肥前は、初めこそ耳栓を用意していたのを忘れていたことに怒っていたが、今は言う程その怒りは高くないようだ。
もごもごと口を動かしながら喋るその姿は正直に言って、目の前で見ている紬からしてみればかなり可愛いものだった。





「それ食べたら私の部屋に行こ。確か棚の中にある筈だから」


「おう。…つか、お前こんな時間にそんなもんわざわざ作ってんのかよ」


「ん?あぁこれ?あはは、今日はちょっと小腹が空いちゃってね〜。でもこの時間にまともなご飯なんて食べたら太るから、それでスムージーを作ったわけよ」


「いや、お前どう見ても細ぇだろ…ちゃんと食ってんのか?」


「食べてるからこそ、夜中は気をつけてるわけよ。折角この世に女の子として生まれたんだから、若い内にこそ着れる服とか沢山楽しみたいからね〜」


「ふーん…」




へらへらと笑いながら、自分の向かいに座ってそう話す紬を少し心配しながらも、肥前はその言葉の中に出てきたとある言葉に少し反応をしてしまう。


この世に生まれたからには


紬からすれば、その言葉にそこまでの深い意味はないのだろうが、肥前にとってその言葉は岡田以蔵の顔を思い浮かべてしまうには充分なワードだった。
自分の元の主…岡田以蔵は、足軽の長男として生まれた。
身分差が激しい世の中で、それがどれだけ彼に重くのしかかり、苦しめてきたか。
人を斬る事だけが自分の成すべき事と信じて…いや、信じる事で何とか自分自身を世に繋ぎ止めていたんだ。


人斬り以蔵。
それがあの人の生きる道そのものだった。
そうしなければ生きている意味さえ…自分が生まれた意味さえ分からなかったのだから。




「?肥前くん?どうかした?」


「…何でもねぇ。…ご馳走さん」





そんな事を考えてしまった自分を誤魔化すように。
目の前の茶碗の中でぷかぷかと浮いている細かな鮭の切り身を飲み込むかのように残りのご飯を掻き込んだ肥前は「ご馳走さん」と箸を置くと、頬杖をついてきょとんとしていた紬と目が合ってしまい、思わずバツの悪そうな顔をしてしまうと、再度また誤魔化すように紬の目の前に置いてあった空のグラスに手を伸ばした。





「ほら、空いたグラス貸せよ。洗い物ぐらい俺がやるから」


「お。ありがと」


「ん」





そう、別に紬は何も悪くないのだ。
ただ彼女は彼女なりの生き方をしているだけで、それが例え時代を感じるような、肥前からしたら興味がない事だとしても、紬からしたらそれは「楽しんで生きよう」とする前向きな考えなだけで。
そんな事を考えながら肥前がグラスと共に自分の使った食器を洗っていれば、ふいに後ろから紬の声が掛かった。




「…肥前くんは岡田以蔵の刀だったっけ?」


「…あぁ、そうだよ。俺は人斬りの刀だ」


「岡田以蔵かぁ…史実にもあまり詳しくは載ってない偉人だね」


「…お前本気で言ってんのか?あれのどこが偉人なんだよ」


「?だって肥前くんが今ここにいるじゃない」


「はぁ?」




洗い物が終わり、近くにあったタオルで手を拭いていた肥前は紬のそのよく分からない答えに思わず聞き返してしまう。
だってそうだろう、肥前からしてみれば、元の主であるあの岡田以蔵を偉人と称し、その理由が自分が今ここにいるから、だなんて言われれば訳が分からなくて当然だ。
しかし、紬はそんな複雑そうな表情を肥前から向けられても尚、まるで当然かのような様子で言葉を続ける。


そしてその言葉は、暖かいお茶漬けを食べた筈なのに、何処かひやりとしていた肥前の体をじんわりと暖めるものだった。





「「岡田以蔵」が君を使ったから、君を必要としたから。…君を愛したから。その名を馳せたから。だから君がここにいる。そうじゃなきゃ、刀に付喪神なんて生まれないよ」


「……」


「審神者の私からしたら、それでもう充分過ぎるくらい偉人だけどなぁ〜」




へらへらと笑って。
でもそれでもその瞳は優しく細められて。
暖かい言葉でそんな事を言われた肥前は、ゆっくりと、じんわりとその切れ長の目を丸く開いてしまう。

何を言っているんだ…そう思いながらも、確かにその言葉はひやりと嫌な温度をしていた自分の体を暖めてしまった。
今日初めて会った筈なのに、まだ使ってもらったこともないのに。
出会ったばかりの新しい主に…僅かであったとしてもこうも簡単に心が揺れ動いてしまったことが肥前からしたら何処か少し悔しくて、上手く言葉が出てこなかった。





「………」


「だからそんな顔する必要あんめ〜」


「………っ…勝手に言っ……………………………ん?」






頬杖をついたまま自分を見上げ、優しく笑っている紬にどう反応していいのか分からなかった肥前は、「勝手に言っていろ」と言うのが精一杯だった。
しかしそれは、その言葉はそれすらも最後まで言う事が出来ずに途中で変な声が出てしまう。

いや、流石にその一言すら言えなかったのは動揺してしまったわけではなく、ただ単に今一瞬、本当に一言だけ何処か可笑しい事に気づいたからだった。
今日初めて会ったばかりだが、今日からの自分の主は年頃の娘で自分の容姿に敏感。
髪も睫毛も爪も綺麗に整えられ、流行りの物が好きで、着ている服だって拘っていることはもう把握している。

そう、本当に…今時の若い娘なのだ。
自分が所属していた政府の本部がある、現代の街中に居るような、そんな若娘。
それなのに、聞き間違えでなければ今自分はそんな主の口からよく分からない言葉が出ていたような気がする。
それを確認したくて、思わず黙ってその顔を肥前が見つめていれば、紬の優しい笑顔が徐々に徐々に凍りついていくのが分かった肥前は少し控えめに声を掛けてみた。





「………………………」


「…………なぁ、お前今………その……なんて言っ」


「…………あ……あー!!!そう!耳栓だったね耳栓!!あはは!取りに行こう取りに!!そんで早く寝よう肥前くんっ!!ほら!明日は陸奥守と畑仕事してもらうからね!早く寝た寝た!!行こ行こ!私の部屋お洒落で可愛いよぉー?!ちょっと見てくぅー?!」


「は?!畑仕事だなんて聞いてねぇよそんなこと!!俺は食う専門だ!!つか興味ねぇよあんたの部屋なんて!!っ、てめぇ!!人の話を聞けや!!!」






なんて言った?
そう聞きたかった肥前の言葉は途中で空を切り、その体はドタバタと勢いよく立ち上がってその後ろに回った紬の両手によって前へ前へと進ませられる。
思いっきり焦っているのがバレバレな紬の早口で無理矢理な行動にそれこそ動揺しながらも当初の目的であった耳栓を取りに行く為に紬の部屋へと押され続ける肥前の声は、結局紬の部屋に辿り着くまで決してその本人と噛み合うことがなかったのだった。




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