蜜柑





「今日はよろしくお願いします」


「こちらこそ、よろしくお願いします」


「…あ、あの…失礼ですが具合でも悪いんですか?何だか熱がありそうな…」


「ええ?!あ、いえいえ!そぉんなこ、っ、んん!そんな!ことないです!健康そのものです!あ、あはははは…!」


「?なら、いいんですけど…」


「ほんなら始めましょか?うちの本丸に一振り血の気の多いのがおりますんで、さっきから後ろからの早うしいやーとの視線がチクチク刺さってますねん」




肥前と話をしてから数日が経った今日。
空は気持ちの良いくらいの晴天。向かい風も特になし。
つまりは絶好の演練日和となったわけなのだが、あれから全くと言っていいほど肥前の顔が見れなくなっていた紬は今回当たることになった相手本丸の審神者との挨拶の際、そのあまりの具合の悪そうな顔を心配されてしまっていた。

突然のことに焦り、思わず地元の方言が出てしまいそうになった紬は咳払いをしてそれを何とか回避すると、隣にいた明石がどうにかフォローをしてくれて事な気を得た。
その後、お互い恨みっこなしでと握手を交わして主専用の観覧席へと座った紬は、今回参加している自分の刀剣達が揃って相手側に挨拶する様子を眺める。




「…あら…肥前くんが一番小さい…」




目の前の整備された更地に立ち、政府の合図と共に各々構えをとった刀剣達の中で、敵味方関係なく、その中にいる肥前が一番細くて小さいことに気づいた紬は思わずそう口に出してしまった。

あれだけずっと顔が見れなかったというのに、いざあそこまで小さくなれば見れるものだなぁと自分の事なのにまるで他人事のように感じてしまったことに苦笑いをしてしまうが、それは政府からの開始のアナウスが流れた途端にぴたり、と表情を強ばらせてしまった。

いくら演練と言えども、戦うことに変わりはない。
しかも肥前は自分の我儘で、本丸に来てからの実戦経験が一切ないのだ。
そんな肥前が大怪我をしないか心配でならなかったが、でも、でも何処か心の中で「肥前くんなら大丈夫」だという自信もあるのだからもう自分でもよく分からない。


そう、大丈夫だと思う。





「おい、指示出せ名ばかり近侍」


「えー…訓練くらい手ぇ抜いても許されるんと違いますか?」


「…………あぁ?」


「おぉ、怖い顔されてもうた。はぁ、はいはい分かりました。皆さん適当にお好きに動いて、はいはいどうぞ。自分も好きにやらせてもらいます」


「ったく…分かりやすくて助かるけどよ。んじゃぁ早速…」


「おっしゃ!行くぞ肥前!!わしと二刀開眼じゃ!」


「え、酷いよ肥前くん、僕を除け者にするのかい?」


「なんであんたらと合わせなきゃなんねぇんだよ!!俺は俺で勝手に動、引っ張んじゃねぇ!!!!」




大丈夫だとは、思う




「っ、てぇなぁ…あぁ?!誰だぁ俺に石を投げた奴は?!」


「あ、…す、すまん。わしや」


「っにしてんだてめぇ!!敵はあっちだわ俺に当ててどうすんだよ!!!」


「………すまぬ肥前、一度に三振り斬ってしまった」


「大太刀てめぇ!!!!!」





大丈夫だとは……………





「…あー…近侍さんよ、俺達どうすっか?」


「手ぇ出したら怒られそうやしなぁ…ここは一つ、保護者目線で見守っときます?」


「おや。保護者なら僕もかな」


「いやお前さんはどっちかってーと保護される側じゃねぇ?」




投石を間違えて肥前に当てる陸奥守、絶好調だったらしく、一気に一振りで相手の半数を斬ってしまった祢々切丸。
元々やる気のない明石と、とばっちりはごめんだと槍を肩に担いで待機をしている日本号。
保護者なら僕もだと盛大な勘違いをして刀を鞘に収めてしまった南海。

そんな、まるで本丸内にいるような目の前の自分の刀剣達を見た紬は思わず両目を片手で塞いで項垂れてしまった。
しかしそのお陰もあって肥前がいつも通りの肥前であるように見えた紬は呆れながらも心の隅でホッと一安心といったところだった。
そして更に救いだったのが、相手側の刀剣達が気の良い刀達でコントのようなこのやり取りを見守ってくれていることか。




「っ……あーあーあーもう分かった!お前ら手を出すな、俺が全部ぶった斬る!いいな近侍!」


「お好きにどーぞー」


「………南海先生、肥前はやっぱり先生のゆった通り…ってことか?」


「だと思うよ。だってあんなに張り切ってるのだからね。まぁ見守ろうじゃないか」


「……ん?」




先程までコントのようなことをしていたと思えば、痺れを切られたらしい肥前は大声で残りの三振りを自分1人で斬ると言う。
それに対して近侍の明石は二つ返事で頷くところまでは遠くで見ている紬にも分かったのだが、その明石の近くで陸奥守と南海がしているやり取りまでは聞き取れなかった。

しかし、一体何の話なのだろうと思うと同時に、急に肥前の漂わせる空気が変わったことに気づいた紬は目を見開いてぎゅ、と拳を握ってしまう。




「それじゃあ……斬るとするか……ダセェところは見せられねぇからな…」




自分よりも体格の良い三振りを目の前にして。
まるで獲物を狙う獣のように姿勢を低くした肥前のその顔に掛かる髪の間から見える赤い瞳がギラリと光れば、刃よりも冷たく鋭いその視線を向けられた相手の三振りは刀を握り直して戦闘態勢に入った。




「…っ…肥前くん……」




ずっと、ずっと。
彼の気持ちを無視してしまっていた。
でもそれでも、斬る以外にも存在意義を見つけて欲しくて、自分を許すことは出来なくても、彼が少しでも斬る以外に自分らしいことが見つかるまでは、見守ろうかと思っていた。

でも、だからと言って「人斬り」の刀である彼を否定しているわけでもなかった。
ただ、ただ、自分を責めることだけはしないようにと、そう思って頑なに出陣させることを拒んでしまっていたのに。




「…………もう、大丈夫そうだね……」




あぁ、そうだね。
君はいつの間にか、私の知らない所でこんなにも成長していたんだ。

獲物を狩る瞳、刃のように冷たい瞳。
ただ目の前の敵を「斬る」ことだけに集中して、息を吸って。
踏み込んだその足は一瞬で地を蹴って、横並びになっていた三振りの反応よりも速く、まるですり抜けるかのように確実に急所を狙って切り刻んで。
そのまま相手の三振りを通り越して離れた所でカチャリと刀を鞘に収める音が響いたその時は…




「…こんなもんかよ」




あぁ、もしかしたら自分は、本当に彼の事が好きなのかもしれない。
あの時に言った…あの言葉は。
心からの大好きや愛おしいだと分かってはいても、正直その種類までは自分でも分かっていなかった。
でも、でも今ならそれがどんなものだか分かる。分かってしまう。

だって、だって
だってこんなにも、肥前の瞳は、表情が。
自信に満ちた色を帯びてカッコよく立っているのだから。




「っ…!肥前くーん!!カッコイイー!!もう大好きーっ!!今日は特別にモロの煮付け作ってあげるからねー!!」


「っ?!はぁ?!な、な…っ、!カッ……?!だ、だいす……っ!!っ…あーーーうるせぇ!!人前で恥ずかしいんだよこの馬鹿!!つかモロってなんだよ!!」


「鮫のことー!!!!!」


「はぁ?!鮫ぇ?!」




自分を責めることのない、必死に何かに縋ることのない。
肥前忠広が肥前忠広としてそこに立っていることが嬉しかった紬が思った通りのことを椅子から立ち上がって元気に叫べば、肥前はその言葉のあまりの直球ぶりに思わず顔をトマトも顔負けな程に真っ赤に染めてほぼ怒鳴り声を上げる。

そしてそのまま喜んでいる陸奥守達の所に戻ろうとした時に何気なく聞いたモロの正体が鮫だという事実に素で驚いて歩いていた足を思いっきり踏みつけてしまえば…




「うげぇ?!!」


「………………………あ。」




そこは地面などではなく、近くで倒れていた相手の脳天をその足で思いっきり踏みつけて完全に気絶させてしまったのだった。


















「あはは、残念だったねぇ」


「…………」


「うむ。しかしこれからは主も出陣を許すだろうし、いくらでも力を振るえるだろう。そうすれば更に強くなる」


「……………」


「まぁ実戦経験がご無沙汰な状態で優勝するなんて目標がまず無理なんやって。ほらほら肥前はん、そうしょげずに」


「………別にしょげてねぇよ」





結局。
初戦は見事に勝ったものの、その後は更に強い本丸の刀剣達に当たって負けてしまった紬の刀剣達は用意された場所に座り、今は決勝戦を眺めているところだった。

しかしいつまでも不機嫌極まりない肥前を励まそうと紬や明石、祢々切丸が声をかけても、肥前は納得いかないといった様子。
そして心無しかその頬が膨れているようないないような幻覚が見えそうになってしまっている紬は、肥前の顔を間近で見れるようになっている事に安堵しつつも心の中で彼への好き度が増してしまいそうで、それはそれで少し焦りを感じてしまう。

そんな紬の心配を他所に、不機嫌になりながらもしっかりと決勝戦を観察していたらしい肥前が一度目を見開いたのに気づいた紬も改めて目の前へと視線を移せば、そこには以前審神者会議で見かけたあの極の大倶利伽羅が主から誉をもらっているところだった。




「…やっぱあの大倶利伽羅、すげぇ強いな」


「…うんそうだね…優勝かぁ…凄いなぁ…!」


「ははは!あんだけ強いなら、きっとうちと違って真面目な本丸なんだろうな!」


「自分は何処の自分でもやる気はないと思いますけどね」




見知っていて尚且つ少し尊敬も混じっていたのだろう、あの大倶利伽羅がいる本丸が優勝した瞬間を見届けた肥前がいつの間にか不機嫌だった表情を消していることに安心した皆が各々感想を言ってその本丸を「真面目な本丸」だと誰もが称す。

しかし、そんな様子を見た紬が素直にあの審神者さんも凄いなぁ…と憧れに近い感情を抱きそうになったその時だった。





「きゃー!くーくぅーん!カッコイイー!!今夜はお赤飯よぉー!愛する主に景品の高級蜜柑を食べさせてあげたかったのねぇー!!」


「…………」


「ほらほらその迷わずに選んだ景品の蜜柑を「愛してる」って言葉と共に主に渡、」


「………鶴丸」


「ん?何だ?くーくん」


「…………余程鶴らしくなりたいようだな……っ?」


「……え?いや、ははは!ただの冗談だろう伽羅坊?……いや、あの……そんな真面目な表情でこっちに歩いて来なくていいぞ?うん、いやあの、本当に魔が差しただけであって、少しはそういう冗談も受けられるようになった方が…!…っ、主!陸奥守!助け、」


「むっちゃん優勝の手続きしてこよ」


「そうやの」


「嘘だろ?!このいつも頼りになる鶴さんこと俺を置いていく気?!貞坊!光坊!!鯰尾!!助、…いない?!あああぁああああああああああああああああああああぁぁぁ伽羅坊!!近侍!!俺が悪かったやり過ぎたぁぁあぁあ容赦ないなお前さーーーん!!?!」





あれは先程まで余裕綽々といった表情で相手を優雅に叩き斬っていた真っ白な装いの鶴丸国永だろうか?
何やらその白が赤く染まりそうな勢いである気がするのだが、そんなピンチでもその刀の主であるらしい彼女と彼女の陸奥守は真顔で政府のテントへと向かい、彼の仲間である筈の大倶利伽羅以外の伊達の刀達、そして鯰尾もいつの間にかその後ろをついて行っているように見える。



ように見えるというか、実際そうだった。





「「「「「「「…………………」」」」」」」




そんな様子を遠くから眺めていた紬とその刀達は口には出さないものの、全員が全員同じことを思ったのだろう。



うちと大概変わらないな、と。



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