麦チョコ




「…あーっとぉ……肥前はん、ここにおったんやなぁ…えらい探しましたわぁ」


「…あ?…あぁ、明石か…何だよ?」


「今これについて聞いて回ってますねん。肥前はん、どうします?」


「…ん?「演練参加申し込み書」?」


「そうや。毎度自由参加らしいんやけど、この本丸ではあまり出たがる奴がおらへんのよ。まぁそんなんなんで、出たい奴らが六振り揃ったらでないと参加は出来まへんけど」





ある日の昼下がり。
未だに出陣の指示が出ない肥前はせめて鈍らないようにと同田貫に鍛錬を付き合ってもらってから誰もいない浴場で軽く汗を流した帰りだった。

自室に戻ろうとしていた途中で偶然鉢合わせた明石に「探していた」と言われたことに疑問を抱いていると、明石はガサガサと適当に突っ込んでいたとある紙を肥前に渡す。
そこには「演練参加申し込み書」と書かれており、説明を聞けばどうやら自由参加のものらしい。

それを聞いて、確かにこの本丸の奴らはあまり興味がなさそうだな…と思った肥前だが、ふとそれが今自分にとって最もチャンスなのではないか?と気づいて目をキラキラとさせると、明石の手をガバ!と握る。




「っ、何振り、今のとこ参加するっつった奴は何振りいる?!」


「えぇ?!肥前はん、参加したいんですか?あらぁ…こぉんな面倒そうなもんによくもまぁ…」


「いいからっ!!!」


「あーっと…大倶利伽羅はんが出たいゆうてましたけど…丁度出陣の番だったんで、ほんならそっちを優先するゆうてましたわ。…他は…誰やったかな……うーん………………うん。おらんな」


「いねぇのかよっ!!!くっそ…!だぁぁぁ明石!!他に聞いてねぇ奴は誰だ!!俺も一緒に回る!!」


「あんた、どんだけ参加したいんや……まぁええけど。…あ、他の土佐組にはまだ聞いて…」


「!!よし!!行くぞっ!!!」


「ちょ、そんな引っ張らんといてーな!あぁもう…随分と元気がよろしゅうて…」




突然手を握ってきた肥前の勢いに驚き、ついつい質問に素直に答えてしまった明石の言葉を聞いた肥前は、初めは落胆したものの、それならこれから探せばいいと握っていたままの明石の手をそのまま引っ張ってドタドタと走り始めた。

まず向かうは自分の自室。
そこにいるだろう、頼めば絶対に参加してくれる筈の陸奥守と南海の元へと足を進めて。

















「…え?演練に出たい?」


「出たい。つか出してくれ」


「うーん…でもまだ三振りしかいないんでしょ?」


「他の奴らはまた掛け合ってみる!だから…っ、俺をそろそろ出してくれよ!」


「うーん……演練ねぇ…」





あれから、本丸中を明石と回った肥前はその足で主である紬の自室へと来ていた。
そこには祢々切丸と日本号の姿もあり、どうやら3人仲良く麦チョコを頬張っていた所だったらしい。

有り難いことに肥前の悩みを知っている陸奥守と南海は二つ返事で頷いてくれたのだが、その他の刀剣達は近々出陣の予定があったり当番があったり、各々の予定があったりで結局良い返事はもらえなかったのだが、それでも諦めきれなかった肥前はこうして自室に帰りたがっている明石をそのまま引っ張って、現在紬に直談判をしている。

そして案の定、紬は何故か乗り気ではなく、困った…といった様子で苦笑いをしており、何故に紬が自分を戦いに出したがらないのか分からない肥前にはかなり焦りの様子が見て取れた。





「…主、主が何を考えているのかは分からぬが…まだ一度も出陣していない肥前としては演練でも出たいと思うのが普通だと思うぞ」


「…まぁそうだろうなぁ…刀は斬ってなんぼだしよ。…まぁ俺は槍だけど」


「…それは、そうだろうけど…」


「あんたが何で俺を出してくんねぇのかは分かんねぇけど…っ、でも俺は…!」





肥前の頼みを渋る紬だったが、部屋にいた祢々切丸と日本号にも肥前の背中を押すようなことを言われた紬は、それでも何処か悩んでいるような、何とも複雑そうな顔を晴らすことはない。
それを見た肥前は明石の手を未だに握っていることも忘れてその手をギリギリと強く握ってしまうが、明石が「あの、痛い、痛いんですけど」と声をかけても全く気づかない。
それ程までに肥前にとってはこのチャンスは逃せないのだ。

審神者会議の時に見た大倶利伽羅もそうだが、きっと…いや、やはり刀とは強さあってのこと。
刀とは斬るものであり、斬ることでその存在意義がある。
人斬りの自分にはそれしかない。

それしかない、そうしないと自分は存在している意味が分からない。
存在している意味が無いのなら、それは今こうしてこの本丸にいる意味も、紬の傍にいる意味だって、きっとない。

それなのに、それなのにどうして今、目の前の紬は頑なに自分を戦いに投じてくれないのか。
もしかして自分は必要とされていないのではないか。





「…っ何でだよ…俺の何が駄目なんだよ…!?」


「…あ、えっと…!駄目とか、そういう事じゃなくてね…?」


「なら何でっ!!…っ…」





何で、どうして。
悔しくて悔しくて、何だかまるで本当に自分を刀として見てくれていないんじゃないかと目の前の紬を見てそう思ってしまった肥前はとうとう虚しく俯いてしまう。

頼み込んでも駄目なのか、理由も教えてくれないのか。
しかし、そう思って諦めそうになってしまった肥前を救ったのは、その場にいた祢々切丸と日本号の二振りだった。





「…おし!なら俺と祢々切丸が出てやろう!これで五振りだな!あと一振り!」


「え?!ちょ、ちょっと!」


「うむ。それならもう六振り揃ったようなものだな。安心しろ、肥前」


「…っ、え…?で、でも…あと一振りって…誰が…?」


「近侍がそこにいるだろう」





日本号と祢々切丸のお陰で、ばっ!と勢い良く顔を上げた肥前の目に映ったのは、笑っている日本号と祢々切丸、そして困っている紬。
しかし、日本号と祢々切丸が参加してくれるとしても、残りあと一振りがいなければ六振りは揃わないはず。
それなのに「安心していい」と言った祢々切丸の言葉が理解出来ずに首を傾げた肥前だったが、その後に祢々切丸が指さした方向を見て思わず目を疑ってしまった。

いや、だってそうだろう。
だって、だって、この本丸の近侍は祢々切丸ではないのか?
それなのに何故近侍の筈の祢々切丸が「近侍」と言ってその方向を指す?
おかしい、おかしい。
だって、だってその方向は…





「はぁー…あかんわ…勘弁してぇな…」


「………………………………は?」





自分の隣で盛大に、如何にも「面倒くさ…」といった様子の明石がいるのだから。





「少しは責務を全うしたらどうだ?近侍」


「あー…はいはい、まぁ確かに肥前はんも必死なようですし…仕方ありまへんな。今回だけやで?」


「おし!良かったなぁ肥前!主も、事情は知らねぇがもう了承するしかねぇな?」


「はぁ………もう…参りました。分かった分かった、許可します」


「よっしゃ!!言質は取ったからな!当日は暴れてやろうぜ肥前!!…………って、おい肥前?どうした?」





無事に六振りが揃い、紬からも参りましたと演練の許可が降りたにも関わらず。
あれだけ必死だった肥前はその事に喜ぶよりも、今この状況の方が何倍も衝撃的で、隣で未だに「あー…」という顔をしている明石を見つめて目をぱちくりとさせてしまっている。

それはそうだ、いや…確かに、確かに祢々切丸が近侍とは聞いた訳じゃない。
いや、それにしたって誰もがそう思うのも無理はないだろう。
あれだけ強くて、紬とも良く一緒にいる祢々切丸が近侍じゃないなんて聞いてない。
そして、もっと…もっと聞いていないのは…





「いや……………明石が、近侍…?ここの?」


「?そうや。…あれ、ゆうてませんでしたっけ?」


「……………聞いてねぇ…し………いや、だ、だってお前…」


「?何でっしゃろ?」


「俺がここに来た日に鍛錬場で寝てたじゃねぇか?!いや、は?!そんな近侍いんのか?!こんな、こんなやる気ない奴が近侍?!近侍…近侍だぞお前?!おい主!!どうなってんだあんたの本丸?!?!」


「あー…あはは、まぁ近侍って言っても、今月はくじ引きだったんだよねぇ」


「近侍をくじ引………は?今月?」


「……あれ?言ってなかったっけ?…あぁ、言ってなかったかも…あはは!ごめんごめん!説明すんの忘れてたかも〜」


「そうだよ聞いてねぇよ!!!」


「ご、ごめんごめん…てっきり陸奥守が話してるもんだとばっかり…」




明石が近侍というあまりの衝撃に驚きを隠せない肥前はすっかり演練のことを忘れ、失礼かもしれないが近侍であるらしい明石を未だに信じられないでいた。
しかもそれをくじ引きで決めたというのだから肥前はもう訳が分からず口をあんぐりと開けてしまう始末。
おまけに「今月」という良く分からないワードも出てきて、もう肥前の頭の中はしっちゃかめっちゃかとなってしまっていた。

日本号はそんな様子を見て心底ツボに入ったらしく大爆笑しており、紬はいつの間にか取り出していた追加の麦チョコを小皿に移し始めているのだから本当にこの本丸は訳が分からない。
すると、この状況をどうにかしようとしてくれた祢々切丸が驚いている肥前を落ち着かせる為に丁寧に説明をし始めた。





「この本丸は、元々は我が近侍だったのだ。しかし我も強くなりすぎてな…今の段階ではこれ以上成長が出来ぬようになったので、それからはなりたい者が近侍をするようになったのだ」


「………あ…あぁ…どうりであんたが強かったわけだ…」


「うむ。しかしこの本丸の者はあまり近侍をやりたがる者が少なくてな。それならと近侍は一月で交代するようになった訳だ。元は挙手制だが、今月は誰も名乗り出なくてな。それで今月の近侍はくじ引きで明石に決まった」


「なんだそりゃ……俺はてっきりあんたが近侍なんだとばっかり…」





祢々切丸の説明を聞いて、何だかんだ訳もきちんとあったのだと理解した肥前はやっと明石の手を離すと軽く頭を抱えてしまう。
そのままゆっくりと息を吐いて自分を落ち着かせると、演練の許可をもらったことを思い出して紬へと目を向けた。

すると、その間に何やら少し考える素振りを見せていたらしい紬の珍しく真剣に見える瞳と自然に目が合った肥前は少し体を強ばらせてしまう。
そんな肥前を数秒見つめた紬は急にぱん!と手を叩くと、引き出しから何かの書類を取り出した。
そこにスラスラと文字を書きながらテキパキと明石に指示を出しつつ、最後にしっかりと自分の判子押すと、それを明石に手渡した。




「……よし。申し訳なかったけど、祢々切丸のお陰で取り敢えず説明は出来た事だし…………皆ごめん、ちょっと肥前くんと話があるから席を外してくれる?…あ、明石は政府に参加表明の連絡しておいて。ちょっと話が長くなりそうだから。…ん、これ判子押しといた書類ね」


「はいはい、了解しました〜ほな、行って来ますわ」


「ありがとう、よろしくね」




紬から書類を受け取った明石はそれをヒラヒラとさせてその場を離れると、それに釣られて祢々切丸と日本号も座っていたソファから立ち上がり、紬の言葉に頷いて部屋から出ていく。
出ていく時に日本号から肩をぽん、と叩かれて小声で「考え無しじゃねぇから、主の気持ちも汲んでやってくれや」と言われた肥前はその言葉に複雑そうな顔をしてしまうが、その後に紬の方へと視線を向ければ、そこには申し訳なさそうな、何処か寂しそうな紬の表情があった。

そんな紬の様子を見た肥前は思わず目を細めてしまうが、その後に優しく笑った紬がちょいちょい、と手を動かして自分が座っている目の前に来るように指示したので、肥前はそれに頷いてゆっくりと部屋の襖を閉めた。






「……あのね、肥前くん…」






ぱたん、と閉まった襖の音が響くその部屋にあった麦チョコは、コーティングされたチョコが溶けて中身が見えてしまっている状態だった。

まるで、これから紬が肥前に話す事が、ずっと彼女が肥前に隠していたことを、教えてくれるのだと言っているかように。




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