戻ってこい




「っ、なんで、………ね、ねぇむっちゃん!なんで…なんで…?!」


「珊瑚…」


「なんで!!!っ、やだ…!やだっ!無理、こんな、の…!やだっ!」


「珊瑚、すまん…っ、すまん…っ!わしが…間に合わん、かったんじゃ…」


「私のせいだ!私の…!!私が伽羅ちゃんをちゃんと理解してなかったから!!だから…だからこんなことに!!!」


「っ、珊瑚…!」





今、自分の目の前にあるものは、一体何なのだろう。
今、自分の目の前に立っているむっちゃんが持っているものは、何なんだろう。

誰のものか分からない、赤い血をこびりつけていて、刃こぼれをしていて。
その刃に刻まれている、彫刻が。

何よりの証拠である、倶利伽羅龍が。





「伽羅……ちゃ………っ、」





真っ二つに、折れているなんて。








事の始まりは、窓から部屋に入ってきたこんのすけが、まるで腫れ物を触るかのように珊瑚に話しかけてきた事からだった。
その様子から嫌な予感はしたが、まさかこんなことになっていただなんて誰が想像つく?

陸奥守が帰ってきたとこんのすけから聞いて、隣にいた長谷部と共に彼の元まで行って。


そこで、彼が両手で優しく持っていた風呂敷を解いた。
シュルリと静かに音を立てて、そっと、優しく。





「……………っ………ぇ………?」


「……っ、これ………は……」


「珊瑚…すまん…まっこと……まっこと…っ!すまん…っ!!」





ごめんごめんと、ただただ目の前で立ち尽くしてしまっている珊瑚に向かって謝り続ける陸奥守と、珊瑚の隣で信じられないものを見ているように言葉を失ってしまう長谷部。

その後、しん…と静まる空間の中で聞こえたのは珊瑚がへなへなと力を無くしてへたり込んでしまった哀しい音。



そこからは正直、所々しか覚えていない。
覚えているとすれば、やだやだと駄々をこねて泣きじゃくって、今起こっていることを…起こってしまったことを認めたくないと耳を塞いで悲鳴を上げたこと。

そして通達が届いたのだろう、ドタドタと息を切らせながら帰ってきた鶴丸と燭台切が。

もう…話すこともしない。
もう…人の形をしていない。
折れてしまった、旧知の仲である彼を見て、何も言わずに涙を流した光景と。

その瞬間に床に額を擦り付けて「ごめんなさい」と陸奥のと長谷部に止められるまで謝り続けたことだ。





「……珊瑚、入ってもええがか?」


「………ごめ、………今は……1人でいたい…」


「…………そうか……すまん。」


「……鶴さんとみっちゃんは……どうしてる?」


「…あいつらは、大倶利伽羅をしゃんと葬ってくれたぜよ。今は2人で酒を飲みゆーらしい。おまんことは全くもって怒っちょらん言うちょった。寧ろ、「悲しませて申し訳なかった」と謝っちょったぜよ。」


「……そっ、か……」





陸奥守が折れてしまった大倶利伽羅を持って帰って来たのは夕方。
そして今は嫌味に感じてしまう程に輝く月が部屋の隅で座り込んでいる珊瑚を照らしている。
今の珊瑚は、扉の向こうで陸奥守と会話をするだけで精一杯だった。

拒否をしてしまった陸奥守に謝りながらその後の事を聞けば、どうやら鶴丸と燭台切は彼等なりに大倶利伽羅ときちんとさよならをしたんだろう。
幾度となく刀として戦を知り、戦を経験し、生と死を幾度となく見てきた彼等の精神力…心というものはその力に筆頭するらしい。

それは、弱い自分には、到底出来ないこと。





「…珊瑚……あのな、わしが駆け付けた時、大倶利伽羅が…」


「………むっちゃん。」


「……ん?」


「……ごめん。もう今日は寝るね。」


「……わかったぜよ。……おやすみな、珊瑚」


「…おやすみ…」












おやすみ。

あれから一週間が経っても陸奥守が最後に聞いた珊瑚の言葉はその4文字だけだった。
自分がもっと早く駆け付けていれば、自分がもっと強ければ。
あの時、治りきっていなかった古傷が開いていた大倶利伽羅を助けられたのかもしれない。
もしそうだったら大倶利伽羅はあの時、後ろから時間遡行軍に貫かれることもなく、今もこの本丸に居たのかもしれない。
何より珊瑚だって、自分と共に長谷部に怒られながらも楽しそうにあの屈託の無い明るい笑顔で過ごしていたのだろう。





「陸奥守…その…主の様子はどうだ?あれから顔を見ることも出来ないようだが…」


「…お?…鶴丸と燭台切か。…珊瑚は……はは、すまんの。わしが呼び掛けてもなぁにもゆうてくれんがじゃ!がっはは!こりゃめったよ!めった!」


「……っ、主、ここの所食事もまともに摂っていないようだよ…」


「……なんやと?」


「僕が食事を持っていっても、「ごめん」しか言わないんだ。…扉の前に置いておく食事も、暫くして取りに行くと本当に少ししか食べてくれていないし…このままだと身体を壊してしまうんじゃないかな…」


「他の奴らも今はそっとしとくべきだと分かってはいるんだろうが、顔も見れない状態じゃ心配で仕方がないんだろ。長谷部だって見るからに落ち込んでいるし…何より俺も光坊も、主には笑顔でいて欲しいしな。」


「…………わしに任しとき」






珊瑚が1人になりたいと言うなら。
時間が必要だと言うのなら。
どんなに心配でも今はそっとしておくべきなんだと思っていた。
いつもの様に畑仕事や馬当番を回して、鍛錬をして、珊瑚の代わりにこんのすけから出陣命令を聞いて任務を遂行して。
珊瑚がいつ立ち直って戻ってきてもいいようにしておけばいいんだと思っていた。

しかし流石に食事もまともに摂っていないのだと聞いてしまえば、もうそんな気も失せる。
きっとこのままではいつまでもこのままだ。
それは自分も、他の奴らも、そして何より珊瑚にとって一番良くないこと。




「え?陸奥守くん?!何処に…」


「…いや、いい。後はあいつに任せよう。俺達は今夜の飯の準備だ。…手間をかけたご馳走でも作ってやろうじゃないか。」


「……そうだね。うん!そうしよう!そうと決まれば…鶴さん、献立は何が良いと思う?」


「うーんそうだなぁ…取り敢えず蜜柑を使った甘味は絶対だとして…」






後ろから聞こえる、一番辛い筈なのに一番早く立ち直った二振りの刀剣男士のそんなやり取りを耳にして。
改めてその瞳に強い力を込めた陸奥守は少し乱暴な足取りで階段をどんどんと上がっていく。

目の前に立ち塞がる豪華な扉に手をかけて、声をかける事もなく容赦なく音を立ててその扉を開けば、そこには布団の上で泣き腫らした目を出来るだけ見開いてみせた珊瑚が出迎える。




「む、むっ…ちゃ、?!」


「何をやっとるがじゃ珊瑚!」


「…っ…」


「そっとしちょいた方がおまんの為だ思うちょったけんど、まさかこがな痩せこけるまでとは思うちょらざった。それはすまざった!…やけんどおまんがやらんとならんことはなんや?おまんのやるべきことは飯も食わんで布団の上でいつまでも泣きゆーことか?!」


「それ…は……っ、だって…」


「だってもへちまもないろう!わしも長谷部も鶴丸も燭台切も他の奴らもどれだけ心配しちゅー思うちゅー!おまんがいつ笑うて帰ってきてもええようにって、もう泣いて欲しゅうないって腹括って鍛錬し続けちゅー!前に進んじょらんのは珊瑚!!おまんだけやぞ!!わしらを率いる立場のおまんだけがずっとそうしちょってどうするがよっ?!」


「っ……ごめん…」





布団の上で座り込んでいる珊瑚の腕を片手で無理矢理掴んで、そう吐き捨て、もう片方の手で俯いている珊瑚の顔を上げさせた陸奥守はゆらゆらと揺れている珊瑚の目を逸らすことなくしっかりと見詰める。
その力強い陸奥守の目に何も言えなくなった珊瑚はただ黙って陸奥守の目を見つめ返す事しか出来なかった。

言葉を発せないのは、言い返せないのは陸奥守の勢いが凄まじいからだけではない。
初めから、いつもずっと、隣で一緒に楽しそうに笑ってくれていた陸奥守から発せられたその言葉がどれも正しいものだったからだ。





「おまんが立ち直った時に伝えよう思うちょったけどな、今ここで伝えるのが一番ええ思うき今言う。……わしは大倶利伽羅から伝言を預かっちゅーんじゃ」


「っえ………?」


「あの時。わしが貫かれた大倶利伽羅の元に駆け付けた時にな、あいつは血塗れの手でわしの腕を掴んで、こう言うたんや」






(大倶利伽羅!?何をやっとるがじゃ!!こがな怪我して…!!今すぐ戻ろう!!わしが担ぐ!!)


(っ、いい…もう手遅れだ)


(何を言うろう?!ええからわしに掴ま…)


(俺の死に場所はっ!!…っ…俺が、決める……!俺が未熟だった、だけの…っ、…話だ…っ…それよ、り…)


(…大倶利…伽羅…?)


(……はぁ、…あいつ、に……伝えろ……)








「すまなかった」


「……!」


「あいつはそう言うてすぐ目を閉じた。わしはあいつがどういう奴か知らんがな、謝るっちゅーことは少なからず相手を認めちゅーきこそ出来ることちや。おまんは全部が全部間違うたわけと違う。全部おまんが悪いわけやない。…それでもおまんが「自分が全部悪い」言うならわしが一緒に背負うちゃる。やき…っ…戻ってこい、珊瑚っ!!」


「…ぅ、ふ…ぇ………っ!」


「…笑え、珊瑚」






目が眩む程に眩しく笑って、手を、伸ばして。
「戻ってこい」と語る陸奥守に、自分の大切で頼もしくて、大好きな…まるで兄のような初期刀のその腕を…





「っ……うん…!」




ゆっくりと、しっかりと。
掴んだ珊瑚のその表情は、まだ弱々しくも確かに笑っていた。




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