桜梅桃李




良く晴れ、そよそよと吹く風が気持ち良い散歩日和。
コツコツと靴音を鳴らして住宅街を歩いている珊瑚は片耳に電話を当てながら誰かと楽しそうに通話をしているようだった。




「珊瑚、ええ引越し場所は見つかったのか?」


「うん!あのね!ベランダから大きな桜の木が見えるの!えへへ…何だか懐かしくなってね…大学からもそんなに遠くないし、ついそこに決めちゃった」


「おお!桜か…!がっはは!それはまっこと懐かしいな!……やけんどげに1人で大丈夫か?何も1人暮らしなんかせいでもわしと暮らせば良かったものを…」


「もう…本当にむっちゃんは心配性だなぁ…大丈夫だって!子供じゃないんだから!それに1人暮らしは一度してみたかったしねぇ。…………ふふ。昔みたいな大所帯でわいわいやるのも好きだけどさ」


「大所帯なぁ…あの頃はまっこと楽しかった。まぁ今もわしは幸せやけんど!…というかそれは当たり前やろう?可愛い妹が地元を離れて1人暮らしするなんて心配せん方が可笑しいぜよ。…たまには「お兄ちゃん」って呼んでもええがよぞ?」


「むっちゃんはむっちゃんだもん。やーだよ!」


「がっはは!言ったなあ?まぁ!その通りやけんども!」




電話の向こうで、今頃いつものあの元気をくれる笑顔をしていることだろう、家族の中でも何故か全く地元と関係のない土佐弁を話す兄の姿が浮かんだ珊瑚は、想像してしまった兄の笑顔に釣られるように笑う。

桜を見て懐かしいと感じるようになったのはこの世に生を受けて十を数えた頃だった。
家族と花見をしに、遠出して昔からあるらしい大きな大きな桜を見た時に、まるで桜吹雪でも降ったかのような感覚に陥って脳内に本丸での沢山の出来事が蘇ったのだ。

あの時は既に記憶が戻っていたらしい兄に抱き着いて、泣きじゃくって困らせた事を覚えている。





(えへへ、うん!…でもね、私がこうして笑ってられるのはむっちゃんのお陰だよ。真正面から褒めてくれたり怒ってくれたり……なんかね、私一人っ子だけど、お兄ちゃんがいたらこんな感じなんだろうなって、むっちゃんと居るといつも思う!)


(おお?わしが兄か?がっはは!それは大層自慢の兄やろうな!……やけんどきっと、何処かの世界で珊瑚とはげにそがな関係でいるんやないかとわしも思うことがあるがぜよ。)





いつかの、それはそれは遥か昔の何処かの世界で、そんな事を話していたのはやはり運命だったのかもしれない。
初めはセピア色に思い出していたあの光景も、今ではすっかり色を帯びて鮮明に思い出せる。

笑ったことも、泣いたことも、楽しかったことも、辛かったことも。
沢山、沢山のことが本当にあり過ぎる中で毎度一番はっきりと思い出せるのは、自分があの時のあの場所からいなくなった時のことだった。





「…なぁ珊瑚」


「んー?」


「健康診断は行ったんちやな?何もなかったんちやな?」


「え?!またその話?!それ昨日も言ったじゃん?!健康そのものだっての!」


「いやあ…!つい聞いてしまうがよ!昔が昔だけにな!……まっこと…あれは堪えた…」


「……うん。あれはごめん」





昔は自分の初期刀で、今は自分の兄で。
結局どんな時でも自分の傍にいてくれる、今は電話越しで会話をしている彼が毎度こうして自分の体調を気にしてくる理由。
それはこうしてこの世に生まれ変わることになった原因だった。

あの世界のあの自分は、死んだのだ。
別に事故にあったわけでも、寿命でもなく。
大倶利伽羅と結ばれてから季節の巡りを十回数えたくらいの時に病気で死んだ。
あの時のことは良く…それはもうテレビの映像を観ているかのように鮮明に思い出せる。

ベッドに横たわっている自分を囲んでいる刀剣男士達と、泣きながらも凛とした表情は崩さずにこちらから一切目を逸らさなかった長谷部。

「またな」と笑って挨拶をして、1人何処かへ走っていったむっちゃんと…






「良く…頑張ったな」






そう言って、いつまでもいつまでも大好きなあの穏やかな笑みで、目を閉じるまでずっとずっと、ずっと頭を優しく撫で続けてくれた彼のこと。

あの後のことを今は兄として約束を果たして再会した陸奥守に聞いた時は涙が止まらなかった。

彼は…くーくんは私が死んで数秒もしない内にどこかへ消え、追い掛けるように自分で腹を斬ったらしい。
誰にも介錯を頼まず、1人で。

それを発見したのは長谷部で、「あの時のことははっきり覚えている」と本人から何度も聞いた。
まぁその本人は今、自分の「父」としてこの世にいて、「母」がどうにも男勝りで、そのくせ優雅に琴を弾いたりしているのだからこれはもう巡り巡る運命なのかもしれない。

そう、巡り巡って、回り続ける。
運命ならば、それが偶然でもなく確かに存在するものだとしたら…





「…にしても大倶利伽羅は何処で何をしゆーんだか。…一足早く一番におまんの所に行ったっちゅーに、一向に現れんのぉ」


「……今頃になって産まれてきてたらどうしよう…歳の差が凄いよ…私犯罪者になっちゃうよ…」


「…いやいや待て待て。あの大倶利伽羅が赤ん坊か?!っ、がっははは!想像がつかん!!泣くのか?!あの大倶利伽羅が「おぎゃあ」って!いやいや!それはいかん!…っ、あ。いかんツボに入った」


「っ、ねぇもう!やめてよ!こっちにまで伝染しちゃうじゃん…っ、ふふ…っも、馬鹿!」





突然の大倶利伽羅の赤ん坊説が浮上して、兄妹仲良くツボに入ってしまったらしい2人は電話越しで笑い合う。

正直本当にそんなことになっていればかなりややこしい事になるが、それでも…どんな形でもまた彼に会えるならばこれからも自分は自分らしいく生きていけるのだろう。
そしてきっとそれは現実になる。
そう信じられるのは、あの時の彼の笑顔が本当に優しいものだったから。




「っ………ん?あれ…?」


「お?どいたが?」





激しく笑っていた筈なのに、また彼のことを思い出して懐かしく目を細めれば、ふいに周囲が開けた。
どうやら住宅街を抜け、大通りに出たらしい。
そのまま、何かに導かれるように横を見れば、そこには引越し先を決めた要因になったあの大きな桜へと繋がる道が現れた。




「…桜………あの桜の木だ……むっちゃんごめん、ちょっと行ってみるね!」


「お?おお。分かったぜよ。またいつでも電話してこい」


「ん!ありがとお兄ちゃん!」


「?!え、あ、えぇ?!珊瑚!今おまん…っ!何をゆう…っ、」




話していた「兄」との電話を切り、あの時のように「してやったり」といった表情をして笑った珊瑚は電話をポケットにしまうと道を曲がり、遠くの方でさわさわと揺れている桜の木へと真っ直ぐに歩き出す。
小道になっている林を抜け、開けた所に辿り着けば、後は緩やかな山のようになっている丘を登るだけだった。
所々にある、名前も知らない草花を踏まないように下を向いて歩いていれば、何やら誰かの足跡が続いていることに気づく。

先客でもいるのだろうか?
そしてその人もまた、自分のようにこの名前も知らない草花達を避けて歩いていたんだろう。
きっと優しい人なのかな、と想像しながら歩いていれば、いつの間にか桜の元へと辿り着いたらしい。





心臓が体全体を震わせるかのように大きく脈打って、涙が出たのは、顔を上げて見た桜が美しかったからではない。





「遅い。…いつまで待たせるつもりだったんだ」





心臓が脈打ったのは、涙が出たのは。
1人男性がその大きな木の幹に背を預け、本を読んでいたから。

初めて会った筈なのに、初めて会ったとは思えない。
だって、初めて会ったというわりには…あまりにもそのままの姿だったから。





「……いつから……そこにいたの……?」


「…もう季節を十数えた辺りからこの場所に通って待っていた」


「…………また刀?」


「その時代はもう終わっただろうが」


「…じゃぁ、何…?」





何?なんてそんなこと。
聞かなくても分かっている。
でも、でもどうしても聞いてしまった。

君は何で、誰なのか。
それは問いというよりも、その存在を明確にして欲しくて言った言葉。

存在を問われた彼は読んでいた本をぱたん…と閉じるとゆっくりと立ち上がる。
足元に咲いている草花を避けるように歩いて、あと一歩で手が届く距離まで来た彼は、あの時と何も変わらない穏やかな表情でこう言った。





「…刀の方が良かったか?」


「っ……何でもいい…くーくんと会えるなら、くーくんと一緒にいられるなら、何でもいい…!どんなくーくんでもいい…っ」


「…そうか。…だが今度は、俺はお前と共に老いていく。長い時間を掛けて、その隣でな」





笑って、両手を広げて。
その行動に対して何も言わなくても、「待っててやったんだからあんたが来い」と言っていることが瞬時に分かって、その瞬間に止まってしまっていた足は地を蹴って彼の腕の中に飛び込む。

どんな存在になっても何も変わらない。
彼の細い腰も、しっかりとした腕も、心安らぐ香りも。
その全部、その全部を思い出すように抱き締め返してから顔を上げれば、あの時のように光る金色と目が合った。




「あんたが好きだ」


「…私も、くーくんが大好き…ずっと、ずっと大好き」





繰り返す。
何度でも、何度でも。
どんな存在だろうと、それが同じ存在だとしても、例え違う存在だとしても。

繰り返す。
何度でも、何度でも。
君が君であるならば、あんたがあんたであるならば

自分は何度でもこの言葉を繰り返して、君に何度でも伝えよう。


例えそれがどんな世界で、どんな形だって。


巡り巡ってまたこうして出会えるのだから。





「…あんたはまた懲りずに蜜柑を食べてるのか」


「蜜柑の味した?」


「まぁ…懐かしい味だな」


「あはは!それはそうだろうね」





君と、あんたと
巡り巡る時の中で何度も繰り返す時間の中。
お互いに泣いたり笑ったり、沢山のことをその隣で何度も何度も繰り返し、その度に共に過ごしていくだろう。

そうだな、取り敢えずこの安らぎを一通り堪能した後に伝えたいことは…

君の未来のお兄ちゃんの名前が陸奥守ということと、
私の名字が長谷部だということかな。

俺の実家が蜜柑農家だということと、
数少ない友人の中に騒がしいくらい個性の強い奴らが数人いることか。




あぁ、幸せだな。
どんな存在でも、どんな時代でも、どんな世界でも。
こうして何度でも何度でも、巡り会えて
何度でも何度でも笑い合えるのだから。

そしてその度に、その世界で自分は自分らしく、生まれた通りに精一杯に生きていける。

嘘のない自分のまま、思う通りに、何度でも。



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