心臓とリンクして




ふわふわとした意識の中で、ひやりと何かの冷たい感覚を覚えた珊瑚はゆっくりと目を開く。
目を開いた先には昔の良さを残しながらもしっかりと頑丈にリフォームされた天井があった。
その天井が段々とはっきり見えるようになるまでに、何故自分はこんな状況なのだっけ、と記憶を思い出そうとした珊瑚だったが、それは何かを捲るようなぱらり…という音で静止される。

何の音だろう?と顔を右に向けた時に自分の額から落ちてきた濡れた手拭いを咄嗟にキャッチすれば、その動作に気づいたらしいある人物は珊瑚へと視線を移した。




「…起きたか」


「……あ…あれ……?っ、な……なんでいるの…?」


「別にあんたが気にすることじゃない」


「っ…だ、だって…気にするよ……任務は?まだみんな帰ってきてないん、じゃ…」




信じられない、そう思った。
だって、目の前にいたのは自分が横になっているベッドの端に座って本を読んでいる大倶利伽羅…くーくんの姿があったから。

申し訳ないと思いながらも、伊達のメンバーは初陣だった太鼓鐘を除いて全員が安定の強さを持っている隊なのもあり、連戦をお願いしてしまったはず。
故に今ここに彼がいることが可笑しい。

珊瑚がどうしてここにいるのかと聞いても大倶利伽羅がそれに対して答えることはなく、ただ読んでいた本を閉じて珊瑚を黙って見つめるだけだ。
これはもしかしたら怒っている、のかもしれない。




「え……っと、くーくん………仕事は…?」


「まだ言うか」


「う…………いや、あの…結構残ってたと思うんだけ…ど…」


「もう粗方終わった。あとは長谷部が確認で目を通すだけだ。…だからあんたのやることはもうない。大人しく休んでいろ」


「?!おわ…っ、え?!あ、あれだけあったのに?!」





怒っているかもしれないと思いながらも、恐る恐る相手の機嫌を伺うように珊瑚が聞けば、明らかに大倶利伽羅は機嫌がよろしくないようだった。
それに少し焦りながらも更に問いかけてみれば、なんと粗方終わってしまったという。

まず自分がどうしてまた寝ていたのかは分からないが、それにしたって確かにまだ仕事は山のようにあったはずなのだ。
それも文字通り、机の上に積み重なって。
しかし自分の机を見ても、確かにあったはずのその山がどこにも無い。





「ほ…本当に…ない…」


「だからそう言っているだろう」


「……くーくん、あの…もしかして、なんだけど……」


「何だ」


「……手伝って、くれた…?」




どれくらい寝ていたのかも、どれくらい時間が経ったのかも分からない。
しかし、窓の外がまだ暗くなっていないところを見る限り、そう時間は経っていないはず。
それなのにあの量の仕事が粗方片付いているということは、つまり。

そう思った珊瑚が大倶利伽羅に聞いてみるが、彼は何も言わずに黙っている。
お陰でまた沈黙が流れてしまった…これは聞かない方が良かったのかもしれない。
やはり謝っておいた方がいいだろうか。
彼が今こうして任務を抜けて本丸にいて、自分の隣にいる時点でどう考えても心配を掛けてしまったのは明らかなのだから。




「…っ、あの、くーくん…ごめ、」


「本当は知恵熱なんかじゃないんだろう」


「………」


「鍛刀部屋に、かなりの量の式神があった」


「…それ、は…」


「大方、鍛刀すれば戦力が増えて俺達の負担が減るとでも思ったんだろうが、それで霊力が尽きて熱を出すのはどうなんだ」


「…う……ごめんなさい…」




誰にも言わず、こっそりと用意していたはずなのだが、どうやら大倶利伽羅に発見されてしまっていたらしいその事実を突き付けられた珊瑚は心底申し訳なさそうに謝り、そして何より自分の不甲斐なさに恥ずかしくなって両手で顔を覆う。
任務に行かずに、バタバタと忙しく仕事をこなしてくれていた長谷部と陸奥守にバレていなかった為に、完全に油断していた。

だが、確かに後から駆けつけた…と思われる大倶利伽羅なら長谷部達と違ってその分視野も広かったのだろう。




「…むっちゃん達には言わないで…」


「残念だったな」


「うわぁ…………」




あぁ、もう終わりだ。
何てカッコ悪いところを見せてしまったのだろう。
それよりも何て勝手で、迷惑を掛けてしまったのだろう。
本当に自分は要領が悪くて、あの長谷部と共にテキパキと仕事をこなしていた祖母とは大違いだ。
きっと今頃、「こんな勝手をして倒れたわけか」と長谷部や陸奥守に思われているのかもしれない。

何より、今もまだ目の前にいる大倶利伽羅は、どう思っているのか分からない。
いや、彼もきっとこんな情けない主を持って心底見損なったことだろう。

体力が回復していないせいか、思うこと全てが悪い方向へと向かってしまって、自分でも止められそうにないと悟った珊瑚は、未だに両手で顔を覆ったまま、鼻の奥から込み上げてくる痛みに必死に耐えることが精一杯だった。





「……心配…したんだぞ」






この、小さく。
本当に小さくだけど、それでもハッキリと耳に届いたこの言葉を聞くまでは。






「……え…?」


「……」


「……お、怒ってるんじゃ、ないの…?だって私…こんな馬鹿で要領悪くて……情けない主だって、良く分かったでしょ…?」


「……確かに怒っていないわけじゃない。悪いが、正直に言えばあんたを馬鹿だとも思った」


「うっ、」


「…だが、」




心配した。
確かに彼はそう言ってくれた。
それに驚いて両手を顔から退けて彼を見れば、カチリと目が合ってしまう。

しかし本当にそうなのかとその勢いで問いただすようにいくつかの言葉を投げかけてしまった珊瑚に対し、大倶利伽羅は容赦なく答えていく。

その答えを聞く度に何かにグサリと刺されるような感覚を覚え、「う」と声を漏らして面目ない…と逃げ出したい気持ちから思わず目を閉じた珊瑚だったが、その瞳は少しだけ間を置いて言われた言葉と感覚のせいでぱっちりと開くことになる。





「…頑張ったな」





ぽん、ぽん。
たった二回の感覚と、とても穏やかな言葉。
それにプラスして、自分の頭に手を置いたままの状態でそう言った大倶利伽羅の表情が、今まで見たこともないくらい優しく目を細めているその光景が。

信じられなくて、でもそれは確かで。

どう表現したらいいのか、何をどう感じればいいのか。
何を言ったらいい?どんな顔をすればいい?
分からない。いや、分からないというよりも、分かりたくない。

ただ、ただ思うことは、そんなことどうでもいいから、
そんなこと考える時間があるなら、ただ、





「っ、くーくん…!」


「…?!っな、」





体が弱っているとか、ふらふらするとか。
そんなことを全く感じない程に、まるで羽が生えたかのように。
ふわりと上半身を起こして、目の前の彼へと飛びつきたかった。

思っていたよりも全然違って細いその腰に両腕を回して抱き着いて、自分でも分からないままに何度も「くーくん」と名前を呼ぶ。
別にそれに対して答えは返って来なくてもいい。
抱き締め返してくれだなんてことも思わない。
でも今は、今だけはどうか好きにさせて欲しくて、驚いたような声を出してから何もしてこない彼に甘えてしまいたい。




もしかしたら、初めて言われたのかもしれない。

「頑張った」というこの言葉を、初めて真っ当から言われたのかもしれない。

自分でも分かっている。
頑張るのは当たり前のことだって。それが普通なんだって。
でもそれは、どうしたら「頑張った」ことになるのか。
どうしたら「頑張れた」と自分で思えるのか。
ずっとずっと分からないままだった。

自分がそんなつもりじゃなかったのに周りから「頑張ったね」と言われるのが良く分からなくて、その度に心の中で首を捻っていたのだから。

それが、自分でも認めていた、唯一の歌に関して以外のことなら、尚更。





「…っ、おい…!」


「…ご、め…ごめん、くーくん…」


「っ…?」


「いま、だけは……ううん、いまだけで、いいから…っすきにさせ、て…っ、ごめん、ごめんね…」


「………分かった」





いきなりこんな事をされれば戸惑うだろうに。
いまだけでいいからとお願いすれば、大倶利伽羅は素直に黙ってそのままの状態でいてくれた。
その優しさが身に染みて、いつの間にかぽろぽろと零れてしまった珊瑚の涙が大倶利伽羅の白い服に染みを残していく。

それに気づいて、自分は何度彼の前で涙を流してしまっているのだろうと思った珊瑚は、これ以上は本当に嫌われてしまうと少し名残惜しそうに腕を離して身を引く。

身を引いた、つもりだった。




「…っ、へ、?」


「っ…別に、今だけじゃなくても…いい」


「…くー…くん…?」


「あんたがこうして欲しいなら……その、…場所には、よるがな…」





身を引いたと思っていた自分の体がまた何かにくっついて。
何かに押し付けられた耳から聞こえる心臓の音で、やっと自分が今どんな状況なのか理解した珊瑚はぽろぽろと零れていたはずの涙がすっかり止まってしまう程に目を見開く。

そして耳から聞こえてくるその音がやけに大きく何度も早いスピードで聞こえてくるのもあってか、それが更に自分の状況を伝えているように感じて顔がものすごく熱くなっていくのを感じた珊瑚は頭の中が真っ白になる。





「…っ…あんたはもっと、周りに頼れ」


「……あ、……ぅ…う、ん…」


「前にも言ったが…自分の頑張りも、素直に認めろ」


「っ…う、ん…」


「それが上手く出来ないなら…」


「出来ない……なら……?」







「俺がいる」







いつからだったんだろう。
きっと、自分でも気づいていないようで、気づかない振りをしていたというのに。

あぁ…馬鹿だなぁ。
こんなことを言われたら、こんなことをしてくれたら。





「っ………うん…。」




頭が真っ白だった筈なのに。
何も頭に浮かんでくる様子がなかったのに。
自分をきつく、優しく抱き締めてくれている彼のうるさい心臓の音とリンクした自分の心臓が。

真っ白だった自分の脳内で確かな音を刻んで自覚する。




彼が…好きだと。




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