無償の下心
「紬って彼氏いんの?」
「…なにいきなり」

週の真ん中、予約はゼロ。出勤早々やることがなく、暇すぎて灰皿を磨き始めた私に、調理場から田中が声をかけてきた。今日はキッチン担当らしい。料理からドリンク、フロアまでなんなくこなすくせに細かなミスが多いのが玉に瑕。ひとつ年上だけど、バイトに入ったタイミングがほぼ同じだから、なんだかんだ同期として仲良くしている。愚痴や相談も言い合える仲だが、そういえば恋バナはしたことがない。

「もしかして私のこと狙ってる?ごめんねぜんぜんタイプじゃない」
「狙うか〜い。俺のタイプは黒髪のクールビューティー系です」
「え、烏丸くん?」
「…まあ確かに黒髪クールビューティーだけども」

フロアとキッチンの境にあるカウンターに肘をつき、完全に私と雑談する体勢を整えた田中は、イヤそうじゃなくてさぁ、とウンウン唸る。店長にサボってるのがバレたら厄介なので、余ってた布巾を押し付けて灰皿を磨かせる。しばらく黙って手を動かしていた田中は、意を決して口を開いた。

「内緒なら内緒でいいんだけど」
「? うん」
「お前、烏丸と…付き合ってる?」
「はっ?」

予想もしなかった問いかけに手元が狂って、つい灰皿を取り落としそうになる。オイ、分かりやすく動揺しちゃっただろ!というか何がどうしてそうなった!?
色恋沙汰に疎いせいで必要以上にドギマギしている私をよそに、田中は思いのほか真面目な顔をしていた。茶化そうと発しかけた「どっちに嫉妬してんの?」という言葉をギリギリのところで引っ込める。

「…付き合ってないよ」
「あれ、そうなん?」
「てかなんでそうなる?バイト以外で会ったこともないのに」
「この前さぁ、俺の大学の友達が3人で飲みに来たらしいんだけど。お前、絡まれなかった?」
「あー…なんとなく覚えてるかも」

思い浮かんだのはジントニックの彼。
そうか、田中の友達だったのか。友達の友達だと思うと、適当な接客が若干申し訳なくなる。

「そいつらがさ、…あー、バイトの女の子に絡んだら、すんげえイケメンがフォローに出てきたって」
「ああ、ダル絡みされて困ってたら烏丸くんが代わりに注文取ってくれて」
「おい俺の友達ダルいとか言うな」
「ごめん」

そうかぁ、いや〜、ウーン?とひとりごとを言い出した田中を放って、シフト表を確認する。烏丸くんは19時から。さすがにまだ出勤しないはずなので、この失礼すぎる会話を聞かれる恐れもない。

「困ってる同僚のことほっとけなかったんだよ」
「確かに、優しいからなぁ」
「烏丸くんは『みんなの烏丸くん』でしょ。独り占めなんてしたら殺されるよ」
「ああ〜〜…」

苦笑する田中にも思い当たる節があるらしい。
『みんなの烏丸くん』とは、うちの女子高生バイトたちが使う合言葉だ。うら若い乙女たちが互いを牽制し合うための、一種の呪文。その裏でどんな駆け引きが行われているのか、私には分からない。たかだかみっつの年の差でも、大学生かつバイト歴の長い私は彼女たちの輪には混じれない。…混じる気もないけれど。

「確かにイケメンだけどなぁ」
「ねぇ〜」
「俺は烏丸と紬、お似合いだと思うぞ」
「…そりゃどーも。そんな予定、一切ないけどね」

なんだぁ、となぜだか残念そうにしつつも納得したらしい田中は、ようやくキッチンに引っ込んだ。冷凍フライドポテトの計量作業に戻ったようだ。無人の焼き場近くの窓からは、ちょうど沈みかけの夕日が見える。

鏡ほどピカピカに磨かれた灰皿には、冴えない顔をした女が映り込んでいた。

▼▼▼

「お、おっつ〜」
「おはようございます。田中さん、今日はキッチンなんですね」
「おー。フロアは紬がいるし」
「なるほど」

出勤時間である19時の5分前にタイムカードを切った烏丸は、今日の担当場所である焼き場に立って団体の予約とコース内容を確認している。真剣な横顔は男の俺から見てもイケメンで、こりゃあ女の子が放っておかないよなとひとり納得する。

「烏丸さぁ、この前酔って紬に絡んだ客、追っ払ったろ」
「…ああ、大学生くらいの3人組」
「あいつらさぁ、俺の友達なんだよね」
「そうすか」
「おー。悪かったな、迷惑かけて。ちゃんと行儀よくしろって言っといたから」
「迷惑というほどのことは」

飄々と返事をする烏丸は、俺の言葉にひとつも動揺しなかった。この精神力はいったいどこで培ってきたのか。やっぱボーダー?ボーダーのおかげなの?


──彼氏いるみたいっすよ。
わざわざフロアに立った烏丸は、注文を取った後、紬を口説いた俺の友達にそう言ったらしい。その無駄のない言葉と真剣な瞳に、友人は烏丸自身を『彼氏』と思ったそうだ。いわく、「フロアのかわいい女の子に声をかけたら、超絶イケメンの彼氏が釘を刺しに来た」と。
酔った勢いとはいえ、思いのほか本気で紬を口説いていたらしいアイツも、さすがに退かざるを得ないほどの剣幕だったようで。疑いの余地もなく『そう』なのだと思い込んでいた。

「あ、烏丸くん。おつかれ」
「おつかれ、相楽」
「今日どこ?」
「焼き場」
「お!さっそく串盛り合わせの注文入ってるよ〜他にもいろいろ」
「分かった」

紬の言葉通り、卓番号と料理名が記載されたレシートが1枚ずつキッチン側の機械から打ち出されていく。それを刺し場、焼き場、フライヤーと担当ごとに振り分ける。レジスターに向き合う小さな後頭部を眺めていた烏丸も自分の作業をこなそうと動き出した。…俺なんかは、その視線ひとつにも特別な感情を見出してしまうのだけれども。鈍い紬と表情の読めない烏丸じゃ、やきもきしているこちらの方が馬鹿らしくなってしまう。

うちのバイト先は恋愛禁止ってわけでもないし、どうとでもなったらいい。
なるようになったらいい。
けど。

紬の「フードオーダーいただきました〜!」という溌溂とした掛け声に、ヤケクソ気味に「ありがとうございまぁす!」と返すと、つられるように笑った紬が嬉しそうにオッケーサインを見せた。威勢のよさにもらった花丸。

恋人うんぬんはさておき、律儀で真面目なこの友人が幸せになってくれたらいいなぁと思いつつ。順番待ちで連なった注文たちを前に、俺も自分の仕事に取り掛かった。
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