無償の下心
木製のチャイムがついたドアを押し開き、ドア横の札を“OPEN”にひっくり返す。

バル・ミカドダイニング。
今日も、立入禁止区域の近くでひっそり開店。


無償の下心


私のバイト先は、パスタやピザを中心に扱うイタリアンバルだ。
警戒区域の近くにあるせいで客足は多くないが、近隣の大学の学生やボーダー隊員の利用もあり、休日はそこそこ忙しい。イタリアンなんて銘打ってはいるけれど、客層に合わせて定番の枝豆、ポテトフライ、唐揚げなども揃っている。平日は深夜3時、休日前は明け方5時までという営業時間も若者の利用に拍車をかけているらしい。
ともかく、繁盛店とは言えないけれど、定番の店として一定の人気を獲得していると言えるだろう。

今日は平日。時間帯的に出勤してるフロアは私ひとりなので、開店と同時に来店したお客様の案内をして注文まで取る。ファーストドリンクは生ビール。トレンチの上にお通しを用意して、フリーザーからキンキンに冷えたジョッキをふたつ取り出した。本日1発目のご注文。さっそくビールサーバーのハンドルを手前に倒すと、半分ほど注いだところで注ぎ口がブシュッ!という音を立てて弾ける。傾けたジョッキは瞬く間に泡だらけになった。

「あちゃ〜…」

ビールが切れた。
1杯目からなんて運が悪いなぁ。内心愚痴りつつ予備に手をかけると、引き出そうとした樽が想像以上に軽くて体勢を崩した。隣のビール樽はカラ…つまり、使い終わったものだ。いつもは繁忙に備えて常に予備を置いてあるのに、昨日のドリンク担当が使い終わった樽を片付けなかったのだろう。…腹は立つけど仕方ない。ファーストドリンクはスピードが命だから、キッチンに入っている店長に一声かけて足早に店の裏に向かう。

社員通用口の近くにある物品庫は電気を点けても薄暗い。ここからサーバー下まで、この重たい樽を運ばなければならない。覚悟を決め、壁沿いにずらっと並んだビール樽のひとつに手をかけたところで背後から声がかかった。

「おつかれ」

振り返ると、ラフな格好にリュックを背負った烏丸くんが立っていた。半分ほど開け放したままのドアからこちらを覗き込んでいる。端正な顔にスッと伸びた背筋。適度に筋肉質な肢体と、クールなまなざし。さすが弊店の誇るイケメン、シンプルな装いが無駄を削ぎ落したおしゃれに見える。キッチン担当なのがもったいないと思いつつ、フロアだと酔った女性客に絡まれて仕事にならないだろう。店長の慧眼に間違いはない。

「おつかれ〜。18時から?」
「そう。シフト出したくて早めに来た。ビール切れたのか?」
「あ、うん。注文入ったんだけど、替えの分も置いてなくてさ」
「昨日忙しかったから、田中さん出し忘れたんだな」
「やっぱりドリンク田中かい。あとでジュース奢らそ」

ブツブツ文句を言いながら再度ビール樽に手をかけると、不意に背後から健康的な肌色をした腕が伸びてきた。驚いて振り向くと、思いのほか近くにいた烏丸くんとばっちり目が合う。いつの間にこんな近くに。不意打ちのきれいな顔に動揺して思わず後ずさると、気にした様子のない烏丸くんがビール樽に手をかけた。

「持つ」

そう短く告げた烏丸くんが、あまりにも軽々と樽を持ち上げるから。遅れて状況を理解した私は慌てて物品庫を飛び出して、烏丸くんが通りやすいように半開きだった扉を押さえる。20キロ近い樽を抱えているのに、先を行く背中はふらつくこともなく、確かな足取りでビールサーバーに辿り着いた。

「ごめんね、出勤前なのに。どうもありがとう」
「いいよ。ついでに替えていこうか」
「…いいの?」
「? うん」

それは、正直、めちゃくちゃ助かる。
居酒屋でバイトをしているくせに樽交換が苦手だから、許されるなら器用な烏丸くんにこのままお願いしてしまいたい。けれど烏丸くんのシフトは18時からで、それまでにまだ30分近く時間がある。勤労学生である彼に時間外労働なんてさせていいのかな。ファンの子に刺されないかな。
葛藤が表情に出ていたのか、不思議そうな顔をした烏丸くんが首を傾げた。イケメンはこんな些細な動作すらうつくしい。それからたっぷり5秒考えた私は、せっかくの申し出に甘えることにした。

「それはいいけど、何を迷ってたんだ?」
「出勤前だしなぁと思って」
「相楽は真面目だな」
「そうでもないよ。私がタダ働きしぬほど嫌いだから、他人にさせるのも気が引けるってだけ」
「なるほど」

雑談をしながらも手を動かしていた烏丸くんは、私の半分ほどの時間で樽交換を終えた。キッチン担当なのになぜそんなに上手いのか。

「烏丸くんありがとう」
「いいえ」
「あとで田中にジュース奢ってもらおうね」
「ふ、…交渉よろしく」

イケメンのほほえみを真っ向から浴びてしまった私は、烏丸くんが休憩室に向かった後もしばし呆然としながらビールを注ぐ。いつもクールな烏丸くんの、珍しくゆるんだ表情が頭から離れない。けれど霜付くほど冷えたジョッキに注がれたビールは、理想通りの7:3だった。

▽▽▽

田中:22歳の男の子。主人公と同期のバイト。器用貧乏。
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