スクアーロを追い掛ける「すっくっあーろっ!」
廊下で見つけた広い背中に、思いっ切りダイブした。一応気配は消したけど、大声を上げながらなので全く意味はない。
「ゔぉお゙ぉい! 人の名前にスタッカートつけんなぁ! あと後ろから飛び付いて来るんじゃねぇえ!」
「おはよう! 今日もかっこいいね!」
「聞け!」
耳元で叫ばれても気にしない。うるさいけど。スクアーロの声なら平気だ。
私がへらっと笑うと、スクアーロはため息を吐いた。そして、私をぶら下げたまま歩き出す。
「どこ行くの?」
「ザンザスに呼ばれてなぁ。つーか、いい加減離れろぉ」
「やだやだー。スクアーロは幼なじみを蔑ろにするの?」
私の言葉に、スクアーロはぐっと黙り込む。
そう、私と彼は幼なじみなのだ。
マフィア学校の時に知り合って行動を共にするようになって(私が付いて回っていただけなんだけど)、卒業してヴァリアーに入ったスクアーロを追い掛けて私も入隊し、今に至るわけだ。……追い掛けた理由は、察してほしい。私もまだまだ若いってこと。ちなみにこれは余談だが、スカウトでなく自ら入隊する人はほとんど居ないため、後者の私はベルさんと同類扱いされている。果てしなく不本意だ。
とにかく、幹部のスクアーロに平隊員の私が気軽に話し掛けられるのも、一重に私たちが幼なじみだから。何だかんだで優しい彼は、私が「幼なじみ」と言えば大概のことを許してくれる。……つまり、「幼なじみ」でない私に意味はないということなんだろうけど。
分かってるんだ。みっともないって。
スクアーロは強くて格好良くて、本当なら雲の上の存在で。
「幼なじみ」って繋がりに縋ってるだけの、弱い私じゃ釣り合わなくて。
私なんか、要らないって。
「…? ゔぉおい、どうした?」
急に静かになった私を不審に思ったのか、スクアーロが振り返った。
「んーん、何でも!」
私は笑顔を取り繕って、パッとスクアーロから離れる。
怪訝そうな表情のスクアーロが、何か言おうと口を開いた時。
「なまえ、……」
「スクアーロさん!」
高い声が響いた。私たちがそちらに目を向けると、可愛い女の子がパタパタと駆け寄って来るところだった。
「おはようございます!」
「あぁ」
笑顔で挨拶する女の子に、スクアーロは素っ気なく返した。冷たいなぁ。……別に、優しく返事してあげて欲しいわけじゃないけど。
そんな彼の態度でも、女の子は変わらず笑顔だった。その頬は、微かに赤く染まっている。
───ああ、そっか。この子も。
何となく分かった。私とおんなじだ。
素っ気なくても、返事してくれるだけで嬉しい。会ったばかりの頃は、私もそうだった。
「それで、あの…」
彼女は俯いて、もじもじしていた。あ、私どっか行った方がいいんじゃ……と思った時、女の子が意を決したように顔をあげた。そしてスクアーロに向かって何かを差し出した。その顔は真っ赤だ。
「これ、読んでください!」
「…あ゙ぁ?」
眉をひそめながら、手紙を受け取ったスクアーロ。女の子はバッと勢いよく頭を下げて、走り去ってしまった。最後に、しっかり私を睨みつけて。
「…何だ、コレ」
「ラブレターでしょ」
「あ?」
スクアーロは眉根を寄せたまま私を見た。私は笑みを浮かべてみせる。
「良かったね! 今の子、結構かわいかったじゃん」
「……」
「あーあ、スクアーロよりは早く恋人作りたかったのになー。まあいいや、おめでとう。じゃあもう私行くねー。スクアーロも早くボスのとこ行かないと大変なことなるよ?」
「ゔぉい、なまえ」
スクアーロに背を向けて、足早にその場を去る。
後ろから呼び止められたような気もしたけど、無視した。
あの子可愛かったな、とか。すごく女の子らしかったなあ、とか。走り去る時に石鹸みたいな良い匂いしたな、とか。
……ああ、何だか私バカみたいだ。
そのまま近くの誰もいない女子用トイレの個室に入った。鍵を掛けた瞬間、堪えていた涙が溢れ出してきた。嗚咽だけは何とか押し殺して、肩を震わせる。
スクアーロはモテる。見た目ももちろん良いし、中身も男前だし。強いし、作戦隊長だし。頭もいいし。
幼なじみってだけの私が側にいることは許されないような人なんだって、ちゃんと分かってたんだ。
……分かってたはずなのに。
どうしてこんなに辛いんだろう?
「きっつい、なぁ…」
呟いて、息を吐き出す。
……考えて見れば、丁度いいのかもしれない。
弱い癖に付き纏って、スクアーロだって迷惑していたに決まってる。
しゃがみ込んで、ドアに背を預けた。三拍数えて呼吸を整え、立ち上がる。袖口で涙を乱暴に拭った。
───ヴァリアーを辞めよう。
適当に理由を付けて、辞めさせてもらおう。私程度ならいくらでも代えがきくはずだ。ダメだったら勝手に消えよう。逃亡なら自信がある。
スクアーロが誰かと付き合うと考えただけで、体の中に黒いどろどろとした何かが生まれる。醜い嫉妬だ。想像だけでこんな風になってしまうのだから、実際にそうなったら、私はきっと耐えられなくて、皆に迷惑をかけてしまう。
よし、思い立ったら即行動だ。
決心が鈍る前に、彼から離れよう。
個室から出る。さらに、冷たい水で顔を洗ってからトイレを出た。
ボスのところに行こうとして横を向いて、私は思わず動きを止めた。
「……遅かったなぁ」
「…スクアーロ?」
出入口のすぐ横の壁にスクアーロが寄り掛かっていた。
驚いたけど、私は平静を装って尋ねる。
「何してんの? ボスの用事は?」
「…あのなぁ」
スクアーロが呆れたようなため息を吐いた。
「目の前で泣きそうになりながら去ってく奴を放っとけるわけねーだろぉ」
ぽん、と暖かい手が頭に乗る。
スクアーロが私の顔を覗き込んだ。
「テメェはいつも一人でうじうじ抱え込みやがるからなぁ! ……相談ぐれぇなら、俺が乗ってやるぜぇ?」
「…………」
「…なまえ?」
───ああ、もうダメだ。
「うわあああ」
「あ゙ぁ!? おい、なまえ!?」
いきなり泣き出した私に、スクアーロがあわてふためく。
「うあ、も、馬鹿やろうっ、」
「はぁ゙!?」
「なん、このタイミ…ング、」
「……(全っ然何言ってるかわかんねぇ)」
「ひっとが、せっかく…諦めようとして、んのにぃい…!」
コイツは何なんだ本当に…! こっちが一大決心した途端に、狙ったかのようなタイミングで優しくしやがって…!
「…うお゙ぉい、もっとちゃんと分かるように……」
「うるさいばか!」
最悪だ。こんなの。
ただの八つ当たりだ。
ぐずぐずと泣き続ける私の頭を、スクアーロは困ったような表情をして撫でた。
「どうした、なまえ」
スクアーロの言葉を無視して、袖口でぐしぐしと涙を拭いた。
……もう全部、やめるんだ。
ヴァリアーも。
君についていくのも。
君を、好きでいるのも。
「ゔぉおい、擦ると赤くなんぞぉ」
優しく私の腕を掴んだ手を思いっ切り振り払って、大きく息を吸い込んだ。驚いたような顔のスクアーロを真っ直ぐに見据える。
「…は、」
「…必要ないなら、ちゃんと言ってよ。言ってくれれば、いくら私だって諦められるよ」
「……何言ってんだ」
「早く」
「……」
一言、いってくれるだけでいいの。
早く早く。早く聞かせて。
これ以上優しくしないで。
…それが一番痛いんだ。
世界が再び滲み出した。下唇を強く噛んで、その言葉を待つ。
「……ハァ、」
「…っ」
重たいため息に、体を震わせた途端。
不意に、視界が閉ざされた。
体が温かいものに包まれる。
「……相変わらずだなぁ、テメェは」
正面にいたはずのスクアーロの声が、頭の上から聞こえた。それは呆れたような色をしていても、どこか優しく響いた。
「ほら、ちゃんと話してみろ」
宥めるみたいに後頭部を軽く叩く手に促され、口を開いた。
「……スクアーロは、優しいから」
「…」
「弱いのに付き纏って、迷惑でも、幼なじみだから、言えないんじゃないの、って……私、なんか、いらな…」
「分かった。もういい」
スクアーロに遮られて、大人しく口を閉じた。
頭上から、深いため息が聞こえてきた。
───やっぱり。
ごめんなさい、と言おうとした。
「必要ねぇなら、とっくにそう言ってる」
「……ぇ?」
スクアーロの言葉を聞いて私の口から出てきたのは、何とも情けなく小さな音だった。
「これから先も、テメェにそれを言ってやる予定はねぇ」
「……そ、それって」
顔を上げようとしたけど、がしっと上から頭を押さえ付けられて、それは叶わなかった。
私から離れたスクアーロは、すぐに背を向けてしまった。
「ゔぉおい!! 分かったら行くぞぉ!」
「え? ど、何処に…」
「ボスんとこに決まってんだろぉ! テメェも一緒に怒られやがれ!」
「えぇ!?」
文句を言おうとして、歩きだしたスクアーロを見たら、綺麗な銀髪の隙間から真っ赤に染まった耳が見えた。
一瞬驚いたあと、何だかすぐに可笑しくなって、思わず笑ってしまった。それに反応して、スクアーロが勢いよく振り返る。
「ゔぉおい! 笑うなぁ!! おろされてぇのか!」
「ご、ごめ……だって、スクアーロ、真っ赤…」
「うるせぇえええ!」
叫んだスクアーロは、すぐにまた歩きだした。その背中を追いかけようとして、数歩進んで立ち止まる。
一緒に居ても、いいんだって。
弱い私だけど、他でもない彼が許してくれたんだ。
「……ゔぉおい、」
こっちを振り返ったスクアーロが、呆れたような声を出した。
「笑うなとは言ったが、泣けとは言ってねぇぞぉ?」
嬉し泣きだよ、ばか。
無骨な指で私の涙を拭った彼に、勢いよく飛び付いた。