ザンザスに甘える一言でいってしまえば、私は器用とは言えない人間だった。できないことがたくさんあって、役立たずと言われても仕方がない。
仕方がないとは分かっていても、そう思われるのは嫌だった。だから、せめて周りに迷惑はかけない様に、少しだけ無理をして生きてきた。それは、もう直らない癖みたいなものだった。
「あらなまえちゃん、なにしてるの?」
「書類整理を」
「…この量を? 一人で?」
「まあ…そうですね」
ルッスーリアさんが、積み上げられた書類を見て頬を引き攣らせた。天井近くまでうずたかく積まれた紙の山。たしかに量は多いが、これが私の仕事なのだ。
ヴァリアーの皆さんは殺ってばかりで報告書だとか事務作業をちゃんとやってくれない人が多いため、私が特別に本部から遣わされたのだ。事務のためだけに。
「一人じゃ大変でしょ。よかったら手伝うわよ」
「……いえ、お気持ちだけで」
ありがたい申し出を丁重にお断りしながら、手を動かす。ルッスーリアさんは幹部だし、年上だし、私ごときが迷惑をかけていい人間ではないのだ。
書類をさばき続ける私に、ルッスーリアさんは眉を下げて苦笑した。
「無理はしちゃだめよ? いつでも手伝うから」
「はい、ありがとうございます」
お礼を言って、手元の書類に目を戻した。
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何時間かたった。時計を見ながら作業していたわけではないから正確な時間はわからないけれど、明るかった窓の外が真っ暗になるくらいには時間がたっていた。手を止めてみると、積み上げられていた書類は、三分の一ほどにまで減っていた。
息を吐いて、ぐーっと体を伸ばす。ぴきぴきと嫌な音が鳴った。
「……よっしゃー続きやるぞー」
気合を入れるために言ったセリフだったが、逆に気が抜けてしまった。ぐでっと椅子の背もたれに寄りかかる。
……本当に、つくづく嫌になる。凡人すぎる自分に。普通というのは別に悪いことではないと思うのだけれど、こう、超人だらけの空間に放り込まれては、さすがに劣等感が付きまとうというものだ。
「別に、ダメ人間ってわけじゃないと思うんだけどな…」
比べて卑屈になっても仕方ないと分かっている。相手はただのエリートではなくて、エリート中のエリートなのだから。
こんなことを考えていても私の作業効率が良くなるわけではない。もうさっさと終わらせて、ベッドに入って、夢を見て、すべて忘れてしまおう。
そう思い、書類の山に手を伸ばした。ところで、バタン! と勢いよく扉が開いた。入ってきたのは、この屋敷のトップであるザンザス様だった。
「……」
「…お、お疲れ様です」
無言でこちらを凝視するザンザス様に、頭を下げて挨拶をした。正直言ってザンザス様は私にとって恐怖の対象だった。
彼は私の周りを取り囲む書類を見て眉を顰める。
「…まだ終わんねえのか」
「……申し訳ありません」
咎められているものと思い、慌てて作業を再開しようとした…のだが。
「ぶっ」
顔面に何かが飛んできた。デスクの上にぽすん、と音を立てて落ちたそれは、柔らかなクッションだった。えっ、痛ッ。普通に痛いんですけど…。こんな柔らかそうなクッションなのにすごく痛いんですけど。
「…カスが、退け」
「え、あ…はい、すみません」
ここは一応私のために与えられた部屋のはずだが、ザンザス様が言うのだから仕方がない。まだ終わっていない書類をかき集めて立ち上がった。
「ちげえ」
「ぶっ」
またクッションが飛んできた。やっぱり痛かった。思わず書類を置いて鼻の頭を押さえると、不意に体が浮いた。いつの間にか近くに来たザンザス様が私の襟首を掴んで持ち上げたのだ。
「えっ…うわッ!? …ぶっ」
そしてそのまま勢いよく投げ飛ばされる。落ちた先は一応柔らかいソファの上だったけれど、追い打ちのようにクッションが顔面に飛んできた。
「フン」
ザンザス様は嘲るように鼻を鳴らすと、私が座っていた椅子に座り、まだ手を付けていない書類を手に取った。一瞬固まってしまったが、彼が何をしようとしているのか気付いて、慌ててソファから立ち上がった。
「ざ、ザンザス様! お止め下さい、それは私の仕事で…」
「カスに任せていたら夜が明ける」
「……」
さすがにそこまで遅くはならない。一瞬ムッとしたが、彼のような有能な人間からしたら、私の作業スピードなど亀のように思えるのだろう。
「…分かりました。夜が明けるまでには終わらせますから、」
「そもそも元は他のドカスどもの仕事だろうが」
「……ええ、まあ…それはそうですが…」
その「ドカスども」が中々やらないので私が来たんですよ。
何を言ってもなかなか退いてくれなさそうなので、仕方なく立ったまま書類を手に取った。「さわんな」「ぶっ」またクッションが飛んできた。しかも至近距離だったのでさっきより痛かった。
「カスが一人で何でもかんでもやろうとしてんじゃねぇ。長時間やったところで作業効率が悪くなるだけだろうが」
「……」
「テメェはまず人に頼ることを覚えろ。それまで書類にはさわらせねえ」
そう言いつつ、ザンザス様はちゃっちゃと書類をさばいている。残りはもう少ない。
人に、頼れと。そう言われたって。
……だって、迷惑なんてかけられない。人並みの私が、あなたたちの中でやっていくためには、一人で頑張るしかないんだ。
「迷惑かどうか決めるのはテメェじゃねえ」
まるで心を読んだみたいに、ザンザス様が言った。
「カスのやる仕事が、オレの迷惑になれるとでも思ってんのか」
「……」
いつの間にか、書類は片付いていた。会話の片手間に、ザンザス様がすべて処理してしまったのだ。
「次、書類がたまったらオレの所に持って来い。一人で片づけようとしたら殺す」
「……」
「おいカス聞いてんのか」
「ぶっ」
またクッションが飛んできた。今どっからクッション出したこの人。
鼻を押さえて首を傾げたところで、唐突に気が付いた。……そうか、ザンザス様は。
「……はは、」
「…何を笑ってやがる」
「いえ…わかりました。ありがとうございます」
不思議だったのだ。この人の周りに何故人が集まるのか。私はずっと彼が怖いと思っていたから。
だけど、今分かった。この人は、私とは違うけれど、同じ不器用なのだ。不器用で、優しい。
先ほどまであった劣等感だとかそんなものが、いつの間にか消えていた。
私が一人で無理をする必要はないのだ。手を差し伸べてくれる人がいるときは、素直に甘えたっていいのかもしれない。
いくらか、気が楽になった。この超人だらけの場所でも、上手くやっていける気がした。
「いつまでニヤついてやがる」「ぶっ」